夢の中?

「あれ……?」


 少しだけ、と目を閉じたつもりが、いつの間にかぐっすりと眠ってしまっていたようだ。


「あっ! バスは?」


 あたりを見まわして初めて、私はある異変に気がつく。

 バスが来ている、来ていないよりも、遥かに驚くべきことがあった。

 なんと、私が今いる場所は――室内だったのだ。


「ここは……どこ?」


 私はなぜかパステルピンクのルームウェアを着て、まったく見覚えのない部屋のベッドで横になっていた。


 不思議なことに、ここにある家具や洋服は私好みの物ばかりで、見知らぬ場所なのに何だか落ち着くような、そんな空間だった。


 意識が少しずつハッキリしてくると、さらなる異変に気がついた。

 私の身体が、私の身体ではなかったのだ。

 なんというか、のだ。


 身体の感覚に馴染みはあるけれど、私の手足はこんなに長くないし、背もここまで高くない。

 それに、左手の薬指に着けているアクセサリーにも見覚えはなかった。


「これって……もしかして、結婚指輪?」


 そっと指輪を外して内側を覗いてみると、そこには『KEITO to KAORI』と刻まれていた。


「やっぱり、私はケンタ君と結ばれないのか……」


 改めて私は肩を落とす。

 でも、今はそれどころではなかった。 


「いったい何が起きているんだろう?」


 状況がまったく飲み込めず、次から次へと疑問が浮かび上がってくる。


 そもそもここはどこ?

 この身体は誰のものなの?

 確かに私はカオリだけど、ケイトって誰?

 バス停で目を閉じたあと、いったい私に何が起きたの?


 いろいろな考えを巡らせているうちに、私はある一つの答えにたどり着いた。


「もしかして、夢を見ているのかな?」


 夢にしてはリアル過ぎる気もするけれど、それが一番納得のいく答えだった。


「そっか、疲れすぎて深い夢を見ちゃってるんだね」


 自分に言い聞かせるようにそう呟いたとき、またもや予想外なことが起きた。


「佳織ちゃん?」

「……えっ?」


 目の前にあったドアから三十歳くらいの男の人が部屋に入ってきて、私の名前を呼んだのである。

(よく見ると、私好みのイケメンだ。)


「えっと……あなたは?」


 その男の人はほんの一瞬だけ驚いた顔をしたけれど、すぐに優しい笑顔に戻って私の質問に答えてくれた。


「僕はケイトっていうんだ。よろしくね」

「……ケイトさん」

「うん。君の未来の旦那さんだよ」

「だ、だっ、旦那さん?!」


 ケイトさんの衝撃的な発言に、私はさらに動揺してしまった。

 この素敵な男の人が、私の旦那さん……?!

 いやいや、そんなことより――。


「いま未来の、って……?」

「君はきっと、十五歳の佳織ちゃん、だよね?」

「そうですけど……」

「それなら間違いない」


 この男の人――ケイトさんは今たしかに、と言った。


「もしかしてこの身体は……将来の私の?」

「正解。君はとっても美しい女性になるんだよ」

「なっ……!」

「ほら、鏡を見てごらん」


 そう言ってケイトさんはスタンドミラーをゆびさす。

 私は呆気にとられながらも、自分の姿を鏡に映してみる。


「わあ……!!」


 鏡に映っていたのは、ちゃんと私の面影がある、綺麗なオトナの女の人だった。

 それはまさに、私がこうなりたいと憧れている姿そのものだった。


「今日も綺麗だね」

「あ、えっと、ありがとう……ございます……」


 顔から本当に湯気が出ているかもしれない、と思うくらい顔が真っ赤になった。

 オトナの男の人からこんなにサラッと褒められたことなんてなかったから、すごく照れてしまった。

 だって私……まだ中学生だし。


「さて。そんな佳織ちゃんに、僕から大事なお話があるんだ」

「大事なお話?」

「そう。とっても大事なお話」


 ケイトさんは優しくも真剣な眼差しで、まっすぐに私を見つめている。


「まずは……これを見て」


 そう言ってケイトさんが差し出したのは、卓上カレンダーだった。

 七日の日に赤い丸がついている。


「今日は、二〇三七年の七月七日なんだ」

「二〇三七年って……十五年後?!」

「そのとおり。この時代の佳織ちゃんは、三十歳」


 三十歳の私――まったく想像がつかなかった。

 十五年後、私はどんな風に、どんなことを思って暮らしているんだろう。

 お父さんもお母さんも、元気にしているかな。


「ちなみに僕と結婚式をあげたのは、二〇三五年の七月七日だよ」

「結婚式……!」


 ということは、二十八歳で結婚したことになる。

 結婚式――なんとなく憧れてはいるけれど、まだまだピンとこない言葉だ。


「でね、ここからが一番重要なんだけど」


 ケイトさんは改まって話し出す。


「今ここで起きていることを、佳織ちゃんは結婚式の日まで誰にも話しちゃいけないんだ」

「どうしてですか?」

「どうしても。ただ……」

「ただ?」

「その理由はきっと僕じゃなくて、佳織ちゃんが見つけるんだと思う」


 ケイトさんはちょっといたずらっぽく笑った。

 私が将来、この人を好きになる理由がなんとなくわかった気がした。


「佳織ちゃんは今、苦しい事に直面しているのかもしれないし、これからも辛い経験はたくさんあると思う」

「うん」


 ケイトさんはきっと、今日私が失恋したことを知っているのだ。


「でもね、佳織ちゃんのことを大切に思っている人はちゃんといるから。この時代の僕も、その一人」

「うん……」


 なぜだか、涙が溢れそうだった。

 でも今は泣いたらいけない気がして、涙を必死にこらえる。


 そんな私を見て、ケイトさんは優しく頭を撫でてくれた。

 それでも私が何も言えずにいると、今度はそっと抱きしめてくれた。


 初めて会う人のはずなのに、ケイトさんの手のひらも体温も匂いも、まるで昔から知っているみたいに安心できるものだった。

 十五歳の私は、三十歳の私のことを羨ましく思った。


「約束、守れそうかな?」

「はい……!」

「それでこそ佳織ちゃんって感じだね」


 ケイトさんは最初と変わらず、ずっと優しい笑顔で話してくれている。


「そろそろ元の時代に戻らないとかな?」

「えっ! 戻れるんですか……?」

「もちろん。僕は魔法使いだからね」


 ケイトさんは本気とも冗談ともつかないようなことを言った。

 でもひょっとしたら、本当にケイトさんは魔法使いなのかもしれない。

 事実、私の心は魔法をかけられたみたいに軽くなっていた。


「じゃあ佳織ちゃん、目をつぶって」

「はい……って、ええっ?!」


 目をつぶるの?!

 そ、それって、もしかして……子どもの頃に絵本でよく見たような、そういうこと?!


「大丈夫だよ、緊張しないで」

「……!!」


 私は急いで目をつぶった。ありえないくらいの早さで心臓が動いている。


 それから数秒後、唇に何かが触れる感触がした。

 思わず、そっと目を開けてみる。

 ケイトさんは人差し指を私の唇に当てていた。


「きっとまた会おうね、佳織ちゃん」


 その言葉を聞き届けた直後、私の意識はどんどん薄くなっていった。


 待って……ケイトさん、聞きたいことがあるの。

 あなたの名字は?

 私といつ、どこで出会うの?

 どんなところを好きになってくれたの?

 どうして今日、私に会いに来てくれたの?


 質問は山ほどあるのに、私はもう口を動かすことができなかった。


「いくら君たち二人のお願いとはいえ、ファーストキスは奪えないよ……」


 遠くなっていく意識の中、最後にケイトさんがそう呟いたのがぼんやりと聞こえてきた――。

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