53 短歌


 月見れば、かなしかるべき人の世に

       とうとうたらり、たらりらたらり


 風騒ぐ。幸くあれ、うた口に乗せ

       たらりたらりや、たらりあがりら


<読み>

つきみれば かなしかるべき ひとのよに とうとうたらり たらりらたらり


かぜさはぐ さきくあれうた くちにのせ たらりたらりや たらりあがりら




下の句には、意味不明な平仮名がずらり。なんの呪文だ?と思われたかもしれません。

さて正解は――呪文と考えて大筋のところ合っている、のだと思います。たぶん。


これは能の演目のひとつ、「翁」のうたいの冒頭の言葉。

正しくはこんな文言です。

 とうとうたらりたらりら。たらりあがりららりとう

 ちりやたらりたらりら。たらりあがりららりとう


「翁」はおおむね、繁栄・豊穣・平和等を予祝する舞と考えてよいでしょうから、この言葉にはきっと、それらを呼び込む力がこめられているはずです。(まちがっていたらごめんなさい……)


月を見て世をはかなもうとも、風に胸騒ごうとも、とうとうたらり。みなさまどうぞ、自らの人生を愛でて、明るい明日を信じて、ちりやたらり。

意味の見えないおまじないの言葉はそのうち熱を帯び、ひとびとを煽動するでしょう。お伊勢参りの「ええじゃないか、ええじゃないか」のように。ひとびとの熱狂にちょっと心がざわつくのは、そこに制御できない不吉なものの影を見るから。

まじない」と「のろい」は、ルビを振らなければ区別がつかないんですよね。


……なんだかまた不吉な方向へ話が行きかけましたが、一方でこれはまた、救済へと至る道のようにも思います。

この世には辛いことも、矛盾も理不尽もあって、生きていく限り、それらに出逢わず過ごすことはできない。そうであっても幸福に生きることはできると信じて(あるいはそれは来世のことかもしれませんが……)、とうとうたらりととなえる。称えればよい未来が来ると信じる。信じて今を懸命に生きる。

その姿勢は、念仏にも通ずるような気がします。(他のあらゆる宗教の祈りにも)


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