49 俳句(夏)
みず透いて石藻濯うや澗の底
<読み>
みずすいて いわもあらうや たにのそこ
山登りの気持ちいい季節になりました。登っているとちゅう、清流をまぢかに見ることもしばしば。透きとおった水を目で見ても、せせらぎを耳に聴いても、冷たい水に手を触れても、清流は涼を届けてくれます。
小川に沿うた山道は、雨が降ったあとなんかは水びたしになって濡れるし滑りやすいしで、厄介なこともありますが……、それさえも山登りの醍醐味なのかもしれません(大ケガしないうちは)。
またしても季語なしです。「清水」なら夏の季語になるらしいのですが、「水が透く」では通らなさそうです。まあ水が透明なのは夏に限ったことではないですからね。
それどころか、秋の季語に「水が澄む」というのがあるので、それに近い「水が透く」を夏に詠みこむのは紛らわしい!と、非難を浴びるような誤用なのかも。
とはいいながら、句の全体から涼を感じていただくことに成功していれば、それで夏の句として成立するんじゃないか……と勝手に思っています。
ついでに俳句のルールについてもう一つ、「切れ字」のことを。
詳しい説明は端折って(というか説明できるほどの造詣はないので)結論だけいうと、俳句には「や」「かな」「けり」のいずれかをつけるのが良き、とされています。
そこで切って、リズムをつくるためだそうです。そう言われると、そうかも……と思う。でもこれがまたむずかしいなあ、と。
一応素直に、俳句にはなるべく切れ字を入れるよう意識してはいます。してはいるのですが、いまのところ、切れ字を生かした句づくりに成功した気がまったくしない。もう切れ字なんか考えずに、別のアプローチでリズムをつくる方がいいんじゃないの、とか思ったりもします。「や・かな・けり」って日常語で使わないし。
でもやっぱりおとなしく、基本に忠実に修行する方がいいのかな、とも思います。そのうちなにかが掴めるかもしれない――掴めたらいいなあ、と。
……季語にせよ、切れ字にせよ、俳句を詠みはじめて1年やそこらの未熟者が分かった風なこと言うな、とお叱りを受けそうなお話ですね。あと1~2年したら、考えが変わっているかもしれません。(そうなったら上述の意見はあっさり撤回します)
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