13 自由詩


 とらわれて、籠のなか

 籠の縁を夜あるく

 やわらかな清し夜、籠のなかにも月が照る


 天から降るのは鳥の羽根

 次から次へ、

 青い羽根?

 夏空に青葉を溶かしたような、それは青?

 記憶のすみの、それは遠い色

 それはたぶん青い羽根

 ほら、青い羽根

 降る羽根の青に、

 杜の鳥の、高い涼しい声がてんてんと染まる


 とらわれて籠のなか

 粗い網の目、脆い骨、背を凭せかけ、遥か見上げる

 夜のやさしい光は

 異国の鳥の羽根を――

 あの鳥は南に生れたにちがいない





この詩では現在形が基本になっていますが、第2段の最後だけ、過去形にしようとしていました。(「……てんてんと染まった」)

ここだけ切りとって過去にするのもおもしろいかな、と思って。

でもけっきょく現在形に戻して、すべて現在形で揃えました。


散文でも、過去形と現在形どちらにしようか、迷うことがあります。

時制に厳格でない日本語ならではの迷いなのかもしれませんね。


以前どこかで、「過去形の同じ語尾をいくつも連ねるのは単調で稚拙な印象を与える。語尾にバリエーションを持たせるべき」というような文章論を見たのですが、私はその考えにくみしません。


(私の考えを押しつけるつもりはないので、あくまで、一意見としてお読みくださいませ)


「……した。……見た。……だった」のような「た」のつづく文章がもし稚拙に見えたなら、それは稚拙な文章そのものの罪であって、稚拙にならぬよう文を磨けばよい話です。過去形を連続させることに罪をせるのは安直な逃げだと思います。


多くの文章の達人が、過去形が(あるいは現在形が)幾らもつづく文章を遺しています。そのうつくしさ、醸し出す詩情は格別だと、私などは思うのです。


とは云え一方で、過去形と現在形とが混じりあう文がうつくしいと思えることも慥かにあります。

要は、一文一文、最適の表現を択ぶべきなのだと思います。ただ単調を避けるため頻繁に語尾の調子を入れ替えるのではなく。

(えらそうに書いておきながら、私自身の文章も、読み返してみると、不必要に語尾が変化し醜くなっていることがよくあって、、、ここに書くのも半分以上は自戒のためです)


これが自然にぴたっと決まるようになったら、物書きとして一段成長できるような気がします。


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