8 俳句(夏)
また俳句です。
前回、俳句に辛めの言い方をしたので、フォローをしておかなければ……と。
俳句はちょっと斜に構えてる、と言いました。
でも、そこが魅力でもあると思うのです。
心を動かされたってことを素直に表せられない。だから十七文字のなかに秘す。それが余韻を生む。
ふつうの光景が、作者の感性でぜんぜん別の景色になって、隠れていた本質がすっとあらわれたり、虚構の世界が垣間見えたり。
心に響く俳句からは、世界を自分のフィルターにかけて造りなおしてやるぞ!ってぐらいの気概を感じませんか。
芭蕉の評価についてまわる「侘び寂び」ってなんなのか、語るほどの造詣は私にはありませんが、短歌がのびのびと雅びなのと比べると、まったく別物なのは分かる。
その根元に、芭蕉の気概があるのかもなあと想像するのです。(あくまで、個人的見解です)
さて。先日、念願の富士登頂を果たしました。
体力の衰えを自覚せざるを得ない年頃ゆえ、近所の山でいくつか予行演習をしてからの本番決行です。おかげで、ちょっと山登りがたのしくなってきました。
ガチの登山家なら雪山を攻めてこそ、となるかもしれないし、春や秋の山も楽しいのでしょうけど、私にとっては登山は断然夏です。だいたい富士山は夏の間しか開いていませんしね。
……念のため検索してみると、登山は夏の季語となっていました。ひと安心。
この句は、富士山でなく近所の山を登ったときの句です。人里近いだけに、そこらで人の営みとぶつかる登山道です。
山門を過ぎまたつづく登山道
<読み>
さんもんを すぎまたつづく とざんみち
暑さと涼しさと、ふたつながらに感じていただけたでしょうか。
最後の読みは「とざんどう」と「とざんみち」で迷いました。
「とざん」が音読みだからそのつづきも音読みの「どう」とするのが自然だよなあ、とは思ったのですが、ここは敢えて不自然に!と結論。
でも「とざんどう」の方がいい、と思われたなら、そう読んでいただいて結構です。
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