1章第30話 異世界猟兵の切り札

 激痛と、潜血。


 爪が引き抜かれて、俺の脇腹から血が溢れだす。


「……⁉ 【情報強化】が……⁉」


 いつの間にか左手すら異形のものへと変えて突き刺してきたグラムから、距離を取りながら俺は自分の身を守っているはずの【情報強化】が正しく作用しなかったことに困惑した。


 たいしてグラムは、一度は炭化したはずの肉体をしかし無理やり回復させて立ち上がると、そのまま自分の左手についた俺の血を舌で舐めて、


【オオウ、いいねエ。すげェ、ウマいぞ、こりャあ】


 クックッ、と喉を鳴らすグラム。


 その体の回復速度が、先ほどの比じゃない。


 魔獣として見ても異常な回復速度に──しかし俺はグラムの特徴的な呼吸音を聞いて、奴が何をしたのか悟る。


「──〝呼吸〟か⁉」


【そノ通リ!】


 喉を鳴らしながら笑うグラムは、大きく息を吸い込み。


 それと同時にグラムの体に俺がつけた傷が急速に回復するではないか。


【こんな身なりに成っちまったガ、これでも呼吸は使えるんでなア。それを使って、ちッと回復速度をあげさせてもらった】


「……なんて、厄介な……‼」


 なるほど、これが人の魔獣化ということか。


 人が持つ生来の技能と知恵を人と同じように使う魔獣。


 こんなの厄介以外の何物でもない。


 だからこそ俺が舌打ちを漏らす中、グラムはもう一度その手を振り上げて、


【ほオら、ナニつったってんダヨ‼】


 叫んでグラムが地を蹴る。


 それだけでグラムの体は瞬時に加速し、こちらへと肉薄してきた。


「………ッ‼」


 俺は、とっさに剣を振り上げることで、その一撃を防いだが、しかしあまりにも重い。


 腕が痺れて危うく杖剣を振り落としかけた俺に、容赦なくグラムの第二撃が振るわれた。


【シャア──‼】


 もはや人のものとは言えない咆哮を上げて、腕を振り下ろしてくるグラム。


 俺はその一撃を防ぐため【防壁】を展開。


 そうしてたたきつけられたグラムの腕は一撃にして俺の【防壁】を粉々に砕いた。


「───‼」


 後方へと跳躍することで距離を取り、なんとか攻撃を回避。


 グラムも調子に乗って追撃してこず、一度こちらと距離を置くと、ニヤニヤとした顔で俺を見やってきて、言う。


【どウした? 随分とヨワ気だなア、オイ?】


 グラムがなにかを言ってくるが、俺はそれを無視して【治療術式】を起動させて、わき腹の傷を応急的に処置。


 一種の【情報強化】として〝傷の無い状態〟を付与することで、傷を防ぐこの魔法は、長い時間何度もかけ続けないと本当の意味で完治は困難だが、この場しのぎならばなんとかなる。


 そうして傷を一時的に防いだ俺は、改めて剣を構え、たいするグラムも面白いというようにその腕を振り上げて舌なめずりをした。


【いいねエ、やッぱり獲物は甚振らネエと面白くなイッッッ!】


 腕を振り上げ、こちらへと駆けだそうとするグラム。


 その機先を制する形で、俺はグラムの目の前に【雷撃】を落とした。


 いきなり頭上から降ってきた雷に、ビクリと驚いて反射的に動きを止めたグラムへ、俺はその身に【属性強化】を纏う。


 そうして、紫電を身に帯びた俺は、一歩。


 ただのそれだけで世界の事象が〝雷が走った〟と錯覚し、文字通り紫電の速さとなって俺はグラムへと肉薄した。


【───‼】


 俺の接近を、しかしグラムはただ雷が駆け抜けた、としか認識できなかっただろう。


 だから避けることもできずに直撃した。


 上段からの振り下ろしは、身にまとう【属性強化】によって、文字通りの落雷と化し、グラムへと叩き込まれる。


 その一撃は、例え5リージュ超えの大型魔獣でも跡形もなく絶命するほどもの。


 そんな一撃をグラムはその身に受けて、


【アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ‼】


 迸る絶叫。


 先ほどとは比べ物にならない熱量の雷をその身に受けて、グラムの体が内側から爆発し、そしてその回復能力によって回復されては、また爆発四散する。


 それを何度も繰り返し、咆哮するグラム。


 焼かれては、回復し、爆発しては、また回復する。


 普通の人間の精神状態ならば、もうとっくの昔に気がくるっていただろう激痛。


 それを何度も、味わって、そしてグラムは──


【あ──あ】


 雷が収まった。


 俺が身にまとう紫電が完全に途絶えて、そして声とも呼気ともつかない音をグラムはその喉から漏らす。


【あ、ああ……。ああ、あ、!】


 ギョロリ、とその目がこちらへ向いた。


 グラムの口端が吊り上がり、なにが面白いのか、ケタケタと大声をあげて笑いだす。


【アハハハはハハハハハ! アハははハハ、ハア──‼】


 そのままグラムは立ち上がった。


 膝の力だけで、無理やりに上半身を起こすグラム。


【こォ──れは、きいたぜェ】


 だから、


【オカエシダ‼】


 グラムが腕を振り上げた。


 もはや剣の刃とも錯覚させるほどに伸びたその爪が、こちらへと向かって振り下ろされる。


「───ッ‼」


 それを見て、俺はとっさに回避を試みた。


 だが、そんな俺を。


【逃ガスカヨ‼】


 言って俺の足になにかが絡まる。


 見れば、グラムの背後からいつの間に生えたのか、長いトカゲのような尾が伸びており、それが俺の足に絡まって、動きを止めたのだ。


 万力のごとく締め上げ、そのまま俺の足をへし折ろうとするグラムの尾。


 その痛みにも顔をしかめたが、それ以上に俺が焦りを浮かべたのは、グラムがいまにも振り下ろさんとするそのカギ爪である。


 先ほど【情報強化】のそれも叩き破った、一撃が迫る。


 食らえば一たまりもないだろう、それを俺は前にして──


「ウオオオォォォォオオオオオオオッッッ‼」


 そんな裂帛の気勢と共に横合いから何かが、突っ込んできた。


 ハウルだ。


 灰色の毛並みをした人狼が、大剣を振り上げ、横よりグラムに激突する。


 轟音がなり、グラムの腕がハウルの大剣を受けて弾き跳んだ。


【アァ⁉】


 そちらへとグラムが振り向くのと同時、その伸びたばかりの尾へと風の魔弾が突き刺さる。


【グアッ⁉】


 たまらず、尾を引っ込めて、俺の足を離したグラム。


 そんなグラムをしかしハウルは追撃せず、代わりに俺をその太い腕で抱き寄せて、後方へと退避しようとするではないか。


「……⁉ ハウル‼ なにを──⁉」


「大馬鹿者ッッッ‼」


 こちらの耳がキンッとなるような大絶叫による叱り声をハウルは叫んだ。


「なぜ一人で突っ走った⁉ あんなバケモノを相手に、一人で挑むなど言語道断だぞ‼」


『そうですよ、ミコトッ! そんなに私達が頼りないですか⁉』


 続いて俺の顔のすぐそばに表示枠が開いて、そう叫び声が響くので、俺は目を白黒させながら、そちらへと振り向く。


「ハウル、ディア……」


「いいから、お前はいったん後ろへと下がれ。見ていたぞ! 大怪我ではないか!」


『ここで時間を稼げば、ミコトの放った攻撃に気づいた他の冒険者も駆けつけてきます! そうすれば、なんとか対処法も──』


 そう二人は言ってくれるが、しかし残念かな。


 魔獣を相手に、そんな期待は無意味だ。


「……放してくれ、ハウル」


「な……! まだ言ってもわからな──」


「──あれは、俺が倒さなければならないんだ」


 言うと同時に、ハウルの背後にグラムが迫った。


 俺はそれをしかし【防壁】を三重に張ることで防ぐ。


 二つまでが叩き割られ、一つも大きなひびが入ったが、何とかグラムの一撃は防がれ、それに安堵の息を吐きながら、俺を抱えるハウルの脇腹に一つ蹴りを入れて、離れる。


「ぐっ……‼ ミコト⁉」


 ハウルがこちらを睨みつけてくるので、俺は振り向かずに笑みだけ浮かべて、


「安心しろ、ハウル、それとディア。俺だって死ぬつもりはねえよ」


 口にしながらペッと吐き出したのは血が混じった唾だ。


 内臓が傷ついたわけではないにしろ、俺の体はあちこち傷だらけ。


 本来なら重機関銃の連射を受けてもけろりとしている魔導師の【情報強化】をあっさり打ち破ったハウルは危険極まりない。


 こいつが、俺達の後に北にある王都を襲えば、どれだけの人が犠牲となるか。


 だから、


「俺が、ここでこいつを止めなくちゃいけないんだ」


 猟兵としての矜持をもって決然とした眼差しでそう告げる俺に、ハウルは無言でこちらを見やり、そして俺の横へと立って、その大剣を構える。


「ならば、私も共に戦う。それだけは譲れないぞ」


『私もこの場にとどまって掩護いたします』


 そうハウルとディアが、口々に言うのに、俺は唖然とした表情を浮かべ。


「お前ら……」


 そうしてすぐに退避しろ、と言いかけて、しかしハウルの決然とした眼差しが、表示枠から響いてくるディアの覚悟が、それをとどめさせる。


 だから、代わりに俺はこう告げた。


「……なら、ハウル、ディア。。10秒だけで言い。時間を稼げるか」


 俺の短い問いかけに、ハウルはこちらへと振り向かず、しかし無言で頷いた。


「承知した」


『はい。お任せください』


 俺の言葉が終わるのと同時にぐらり、とグラムが身を熾す。


【オオウ? オ喋リハ終ワリカア?】


 異形化が進み、もはや声帯すら変じたのか、聞き取りずらい、その言葉に俺はしかし神妙にグラムを見つめ、その剣を構えると、


「頼んだぞ、ハウル、ディア!」


 俺の言葉と同時に、ハウルが駆け出し、ディアが魔弾を撃ち込む。


 グラムの攻撃をなんとかかいくぐりながら、肉薄するハウル。


 遠方よりディアが狙撃を行うことでグラムの動きをかき乱し、そうすることでハウルとディアは俺が体勢を整えるための時間を稼いでくれていた。


「ありがとう、二人とも」


 そう感謝の言葉を口にしながら、俺は息を吸い込み、その精神を集中させる。


 体内で魔力を燃え上がらせ、それをくべて魔導師回路を駆動させた。


 意識するは撃鉄。


 想起するは回転弾倉。


 六つの銃弾が収まったその弾倉を、撃鉄を起こしてゆっくりと回転させる。


 そうして銃身へと弾丸を装填。


 だが、それでは足りない。


 だから俺は魔導師回路を駆動する魔力をそのまま眼球を構成する霊体へと注いだ。


 なみなみ、とありったけの魔力を注がれた眼球の霊体は、そこに刻まれた複雑怪奇な回路状の霊的構造体を励起させ、激しく燃え上がらせる。


「………ッ」


 眼球に灯がともった。


 そう感じると同時に、激しく目が痛む。


 だが、俺はその走る激痛を無視して、さらに意識を集中。


【──ウオラ──‼】


 その間にも、グラムが腕を振るい、ハウルはそれを大剣で受け止めた。


「………‼」


 ピキッと音を立てて罅を走らせた大剣。


 それを、しかし盾としつつハウルはグラムの猛攻に耐える。


 遠方より発砲音が鳴り響き、グラムの腕に風の魔弾が突き刺さった。


【チィッッ‼ ウザッタイ!】


 振り返り、グラムが向いた先、彼は大きく息を吸い込んで──そして吐いた。


【ガアアアアァァァアアアアッッッ‼‼‼】


 咆哮を上げ、グラムの口腔より莫大な熱量が発せられた。


 体内で魔力を収束させて放ったのだ。


 それはディアのいる高台まで一瞬で駆け抜け、そこに莫大な熱量を生じさせる。


「ディア⁉」


 たまらずハウルが叫ぶと、その叫びの返答というように風の魔弾がグラムへと突き刺さる。


 それでも、グラムは止まらず、二人ではロクな負傷も与えられない。


 だから、グラムの視線が俺に向くのはある種の必然だった。


【ソコデ突ッ立ッテンジャネエヨ‼】


 叫び、グラムがハウルを押しのけ駆け出した。


 ディアが風の魔弾を打ち込むがそれも硬化させた皮膚で防ぎ、そのまま最上の得物である俺へと向かって走る。


「『ミコト!』」


 二人の叫び声。


 避けろ、とでも言いたいのだろうか。


 ああ、でも大丈夫だよ、二人とも。


 もう切り札を切る準備は整ったから。


 ──【魔眼】開眼。


「───」


 俺は目を見開く。


 瞬間。


 世界のすべてが切り替わった。

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