1章第29話 異世界猟兵の戦い
いない、と思っていた。
魔物と呼ばれるモノ達だけがいて、この世界に〝ソレ〟は存在しないと、そう思っていた。
なのに、
「……なんで、魔獣がこの世界に……」
それも人が変じた姿として。
あり得ない。
あり得てはならない。
本来、人間──第四次生命は、その身にまとう魂魄の熱量によって、外部から自分を侵そうとする汚染魔力に対して、強い抵抗力を有する。
もしそれが貫かれても、第四次生命の魂魄は複雑で、それゆえに変貌するよりも早く自壊してしまうために
しかし、それを覆すものが目の前に存在している。
あり得ない、とそう断言したくても、しかし身にまとう汚染魔力が、肌を刺すその気持ち悪いほどによどんだ感覚が、あれは魔獣だと俺に告げている。
「──ミコト! いきなり、なにを走り出したんですか!」
「──そうだぞ、我々を置いていくな‼」
嗚呼、なんと間が悪い。
ついてくるな、と命令したのに、二人はどうやら聞いていなかったようで、結局こちらへとついてきてしまったディアとハウルは、その光景を見て息を飲む。
「え──」
「なん、だ。あれは……」
顔を青ざめさせるディアと、表情を硬くするハウルに、しかしいまだナニかをくちゃくちゃと咀嚼していたグラムは、その顔を歪に歪めて笑った。
【ハハ。おいおい〈狂狼〉に〈妖精の射手〉も現れたのかよ。こりゃあ本当に今日の俺はついているんぜェ。カッ食らいたかった奴らが三人纏めて現れるなんて──‼】
くつくつ、と笑ってグラムはそう告げる。
たいしてハウルの表情はなお険しく。
いまや二人の青年の遺体から漏れ出た真っ赤な液体が、そのまま空気の下で固着しているのを見つめながら、ハウルは問う。
「──グラム。いや、かつてそう呼ばれていた者よ。そこにあるのは、なんだ?」
【あ~? こりゃあ、あれだよ、あれ。俺の食事】
なんでないことのように、地面へ横たわる青年たちの遺体を見下ろして言うグラム。
まるで酔っ払いのような陽気さで、しかしその実は狂気に彩れた瞳でハウルを見返して彼はなおもその吐き気を催すような言葉を口にした。
【結構まずかったな。前に俺様を連行しようとしやがった馬鹿どもだから、おいしいのかと思ったが、別にそうでもねえ。これだったら、この前食べた法術師の女の方がまだマシだ】
「……ッ。被害者は、他にもいるのか……ッ⁉」
冷静に、しかしその内心で怒りを膨れ上がらせながらハウルは問う。
【被害者ァ? なアに、言ってんだよォ? こいつらは俺の糧になったの。お前らだって肉を食べるだろ? 家畜の。それ食ったら、豚や牛どもは被害者になるのか? だったら俺達はァ、立派な殺人鬼だぜェ? でもそうじゃアないだろ? つまりそういうことなんだよ、〈狂狼〉】
「……人と家畜を一緒にするな──‼」
とうとう怒りが限界に達したのだろう。
背中の大剣を引き抜きながら、そうグラムへと吶喊を仕掛けたハウル。
鋭く深く〝呼吸〟を行い、全身に魔素を巡らせながらそうして突っ込もうとする彼を──しかし俺は腕を伸ばして、無理やりに背後へと放り投げた。
「……⁉ ミコト! 何をする!」
「──いいから、下がっていろ、ハウル。あれはお前が相手にする存在じゃない」
ただの一言。
それを告げただけで、しかしハウルとディアは息を飲んだ。
「……みこ、と……?」
目を見開いて、こちらを見やるディアに、しかし振り返らず、俺は無言で杖剣を抜く。
「おい、一つ聞かせろ」
【あァ? なんだよ、オマエもお喋りかア? 小僧】
こちらへと視線を向けてきたグラムの言葉を俺はしかし無視して、ただ一つだけ聞いた。
「──お前は、俺が美味しそうに見えるか?」
グラムへとそう質問をする俺。
俺のその言葉をしかしディアとハウルは、理解できないというような表情で見やる。
ああ、それが正しい。
本当に人間ならば、いまの二人の反応こそが正常なものだ。
でも、しかしグラムは、
【──もちろん!】
顔を輝かせて、グラムは叫んだ。
【本当に驚くよ。なんだ、オマエ、さっきからよだれが止まらねえぞ!】
ギラギラ、とこちらを見やってそう告げるグラムに、俺は無言で目を細める。
一方のグラムは、そんな俺の視線に気づいた様子もなく、その眼差しをただただ俺へと固定しながら、まるで最高級の肉を目の前に出されたかのような表情をして、
【ああ、ああ! 俺が元のままだったら、どちらかと言えば女の肉がおいしく感じるんだろうが。しかしいまは違う! オマエだ、小僧! オマエの肉が一番うまそうに見える! なんでだろうなア? 人間の肉なんてそのために育てられた家畜どもよりマズいはずなのニ……‼】
歓喜に震えるように、あるいは、待てができない犬のように。
体を震わせ、いまにも俺を頭からしゃぶりつきたい、と言いたげな表情をするグラム。
それを俺は冷静に見据えたまま、言う。
「──魔獣は、汚染魔力が溢れる環境下で、その魂魄を変異させた生物のことを言う」
ポツリ、とそう呟いた俺の言葉にディアとハウルはおろか、グラムですら、怪訝な眼差しをこちらへと向けてくる中、俺は淡々とした声音で言葉を続けた。
「魂魄を変異させられ、その肉体すら異形のものに変じた魔獣は、それゆえに膨大な魔力を摂取しないと、生存し続けられないっていう弱点があるんだ」
【へえ? それが?】
心底からどうでもよさそうに、そう返事をするグラム。
背後の二人すら俺が言いたいことも理解できない様子で見やるが、俺はそれを気にせず、代わりに彼らから少しだけ距離を取りながら、両手で杖剣を構え。
「通常は【魔力溜り】っていう霊脈から魔力があふれ出た場所より魔力を吸い上げて生存するが、それができないとき、魔獣はほかの生物を捕食することで足りない魔力を吸収するんだ」
ここまで言って、ようやくグラムも俺がなにを言いたいのかわかったのだろう。
その目を見開き、口の端を歪に吊り上げながら、彼は言った。
【ああ、そういうことか! つまり、俺がオマエを食べたくテ仕方ないのは! オマエの言うマリョク? って奴をオマエが膨大に持っているからなん──】
ダナ、という言葉を俺はしかし最後まで言わせない。
「───」
無言での一歩。
たった、それだけで俺とグラムの距離は無に帰した。
【ア?】
一瞬で接近した俺に、グラムも気づくが、もう遅い。
蹴りを放つ。
最大出力まで魔力を注いだ【情報強化】は正しく、俺の意思に従ってその効果を発揮。
振るった蹴りは一瞬で音速を超え、そのまま振るった足に圧迫された空気が圧縮断熱を起して赤熱するのも構わずに、俺はグラムの腹へと蹴りの一撃を叩き込む。
吹き飛んだ。
グラムの体が、砲弾のごとき勢いで一瞬にして加速を得て、そのまま悲鳴を上げる間もなく曲線を描き、吹っ飛んでいく。
俺はそれを無言で追う。
距離にして100リージュは離れただろうか。
加速力を失ってまたも地面へと落ちてきたグラムへ、二度目の蹴りを俺は叩き込んだ。
【───⁉】
さすがのグラムも二度目の蹴りは防御しようと身構えたが、そんな抵抗は無駄だ。
俺の一撃は、交差したグラムの両腕に突き刺さり、それをバキッボキッ……! とへし折る音と感覚を響かせて、もう一度吹っ飛ばす。
今度は500リージュ。
これで合わせて600リージュ──こちらの単位で1.2キロの距離までグラムを蹴り飛ばし、そうして俺はディアとハウルからこいつを離したことで、ようやくその足を止める。
【う、ぐっ、があ……!】
思いっきり地面へと叩きつけられた格好となったグラムがそんなうめき声を漏らす中、俺は剣を中段に構えて、目の前の男を──否、かつて人間だった存在を冷ややかに見据えた。
「立てよ。その程度でやれるとは俺も思っていない」
【ハッ】
言うと同時に、それまで苦悶の表情を浮かべていたのが嘘のように、グラムが立ち上がる。
それと同時に複雑骨折していた腕が、まるで時間を逆戻しにするかのごとく瞬時に回復。
ニタニタと笑いながらこちらを見やるグラムの表情は余裕に満ちていた。
【ハハッ! すげえな! それがオマエの本気か⁉ 決闘をした時とは全然ちげえ!】
機嫌よくそう叫ぶグラムは、だけどな、と口にして、
【それでも、俺の方が強い!】
叫んでグラムが飛びかかってきた。
【とりあえず、その体を食らわせろ──‼】
俺はしかし、それを無言で見つめて、
「バカを言え──駆除されるのはお前だよ」
異形に変じた半身の右腕。
もはや獣のそれにも似た鋭いかぎづめの生えたそれを俺へと振り下ろそうとする。
俺はその一撃に対して杖剣を振るうことで弾き飛ばした。
【うお──⁉】
「──術式発動」
短く、そう言葉を唱えることで、短時間による術式の発動と対象の照準を行う。
そうして発動するのは第二種攻性術式【
空気中から分離し、集めた膨大な電子を一筋の線上にしてグラムへと叩き込む。
この際、術式は射程圏内に〝電子の流れが通った〟という事象改変を起こす。
それに従って、因果律を逆転させるような形で電子の流れは奔るが、しかしそれでは射程内にある物体の電気抵抗を突破できない。
結果、グラムの体内に叩き込まれた莫大な電子は、グラム自身が持つ電気抵抗によって推進を阻まれ、そのまま体内で停滞。
すると、どうなるか?
答えは単純で、推進を止められグラムの体内にとどまった電子は、その電気抵抗に従って莫大な熱量を発する。
──爆発。
目の前で襲い掛かってきたグラムは、しかし俺の一撃を受けてあっさりとその体の半分までを爆発四散させた。
【……ッ、……ァ、……ッ!】
声帯すら失い、そうして呼吸もできなくなったグラムだが、それでも肉体は急速に回復を始めるので俺は、その体に杖剣を叩きつけた。
今度は【属性強化】によって短時間ながら剣に紫電を纏わせたうえでの刺突。
莫大な熱量を持つ雷が突き立てられた刃を介して、解放され、グラムの体を灼いた。
【───‼】
またもや声にならない絶叫を上げるが、しかし俺はそれを無視する。
ここまでやって、ようやっと肉体の端が炭化し、グラムの回復が止まる。
それを確認して俺は剣をその体から引き抜き、そしてグラムは、ドサリ、と音を立てて崩れ落ちるのだった。
それでも息があるのかコヒュー、コヒュー、とグラムはゆるく呼吸をする。
「───」
俺はそんな彼へ特別な感慨を抱くことなく、剣を振り上げ。
ただただ無言でその息の根を止めるべく、例え魔獣となっても絶対の弱点となる頭蓋骨内の脳髄を粉砕するため斬撃を振るう。
ザシュッ、という音が森へ響いた。
それは俺が振り下ろした剣がグラムの脳髄を割った音──ではない。
「な──⁉」
グラムの腕から延びた爪が、俺の腹に食い込んでいた。
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