1章第23話 異世界猟兵と覚悟
「──あはは! いやあ、苦戦した、苦戦した!」
笑い声をあげ、俺は王都を歩く。
いましがた南の森から戻り、俺とハウルは冒険者ギルドに報告へと帰るところだった。
「あの蛇野郎が、ブワァー! って口から毒霧を噴射してきた時は、俺も冗談抜きで肝が冷えたよ。ハウルが【
【
その範囲は広く、しかも一度や二度ではなく、何十回とわたって毒霧を吐き続けるものだから、実際の強さに比べて苦戦すること苦戦すること。
おかげで十分と予想以上に倒すまで時間がかかったが、それでも倒した後の達成感は不思議とよくて、そうして笑う俺にハウルもまた同じような顔で笑みを浮かべていた。
「たいしたことじゃないさ。それに、こちらも助かった。正直、書物で見知っていたよりもさらに広範囲に毒霧がまかれたからな。ミコトの【防壁】という法術……いや、魔法か。そのおかげで俺も毒を受けなくてすんだよ」
「それこそたいしたことじゃねえよ。【防壁】はそのためにある術式だからな」
俺が常に身にまとう【情報強化】は体外から有害な物質が入ってきても、それによって体調が変動することを防ぐ効果もあるのだが、だからといって過信はいけない。
世界が違う以上、俺の【情報強化】では防げない類の毒物が存在するかもしれないので、正直毒の霧をまかれた時、とっさにハウルがそれを教えてくれなかったらやばかった。
そういう意味でも本当にハウルへ教えを頼んでよかったと思う。
「さて、ハウル。これから俺達は冒険者ギルドに報告へと向かうんだったか?」
「そうだな。一応は浅瀬と言える地点に【
言って、ハウルは自身が背負っている背負い鞄を見やる。
その中には【
実質今日の稼ぎは、それを折半した3万コールとその他魔物の小ぶりな魔石を換金した額といったところか。
さらに俺はそこから5000コールをハウルに払うことになっているが、今日のことから言ってもその分の価値は十分にあるだろう。
「んじゃ。さっさと冒険者ギルドに行って、魔石の換金とかもしねえとなあ──」
そう言って俺が伸びをするのと、その声が響いてきたのは、ほぼ同時だった。
「……おい。見ろよ、あれ……」
「……ああ。〈狂狼〉の野郎だ……」
「……一緒にいるのは、あれか。噂の新人……」
「ハッ。獣人なんかと一緒にいる気が知れねえ。あんな人擬きの魔族紛いと一緒にいるなんてどうかしてんじゃねえの。俺だったら頭からいつかじられるかって気が気じゃねえよ」
「バカ言え。お前みたいな美味しくなそうな奴の肉なんていくら〈狂狼〉でも食わねえって」
そう言ってそいつらは、互いに顔を見合わせ、汚い笑い声をあげる。
その声をしかし獣人特有の鋭敏な聴覚でとらえ、途端に表情を曇らせたハウル。
「……ミコト。すまない。俺と一緒にいるばかりに……」
「んー。なにが?」
きょとん、と首をかしげてそちらへと振り返るとハウルは面食らったような表情でこちらを見やってくるので、俺は仕方ないなあ、と言いたげな表情で笑って言う。
「なんか、人擬きのサルがキーキー人の声を真似して鳴いているけど、気にするな。オウムだって人の言葉を喋るだろ? だったら人と同じ言葉を喋って芸をするサルもいるさ」
わざと、少しだけ大きな声でそう言ってやると噂話に興じていた奴らが顔を真っ赤にするが、俺とハウルに挑んでくる勇気はないのだろう。
そのままそそくさと去っていく愚か者どもに、だからテメェらはサルなんだ、と内心で蔑みの視線を向けながら、俺は笑みを浮かべてハウルに向く。
「な? 気にしなければ静かになる」
ニヤリとした表情を浮かべてそう言ってやると、ハウルは唖然としたこちらを見やり、
「ミコトは、その……強いな」
しみじみそう告げてくるハウルだが、しかしその評価はちょっと気に入らなくてついつい俺は、別に、と不貞腐れた顔でハウルから視線を逸らした。
「……俺はただ、他人のことを理解しようとしない奴や、自分が理解できないことを否定して喚き散らすような奴が嫌いなだけだよ」
その時ばかりは感情を押し殺した底冷えするような声音でそう告げると、ハウルも俺の異変に気付いたのか、どこか心配そうな表情を向けてくるので俺はつい苦笑する。
「なに変な顔をしてんだよ、ハウル。ほら、もう冒険者ギルドにたどり着いたぜ」
言って俺が片手の親指で示した先、そこには冒険者ギルドの建物が見えていて、ようやっとハウルもその笑みを柔らかなものに変え、ああ、と頷き返してきた。
「そうだな。ありがとう、ミコト」
「んー。なにが?」
もう一度同じセリフを言って、彼の礼を誤魔化す俺にハウルもククッと喉を鳴らす。
そうして俺達は、冒険者ギルドの建物に入ろうと、その扉に手をかけて、
「──どういうことなんですかッッッ⁉」
突然、冒険者ギルドの中から響いてきたそんな叫び声。
悲鳴じみたその大音声に俺が面食らって目を丸くする中、その声の主は直前までと変わらないか、あるいは超える音量で叫び声を響き渡らせた。
「お願いします! どうしても必要なんですッ。だからどうか、どうか──‼」
「な、何度言われても無理なものは無理なんですッ、冒険者ディア⁉」
「ディア⁉」
ギョッと俺は冒険者ギルドの建物へと駆けこむ。
最奥の受付では、ディアが体を振り回すよう勢いで、アイウィック氏に詰め寄っている姿が見えて、顔を真っ青にした俺は、すぐさまそちらへと走った。
「おい、ディア⁉ いったいなにがあったんだ⁉」
とりあえず、彼女を落ち着かせるため、その肩に手を置き、一度アイウィック氏から離す。
その姿にアイウィック氏が感謝するような視線を向けてくるので、どうやら尋常じゃない事態が起こっているようだ、と俺は悟りつつ、ディアを見やると、
「……み、こと……」
いきなり引っ張られて驚きを浮かべていたディアは、しかし俺の顔を見た瞬間にその表情をぐしゃりと歪め、目じりには大粒の涙がこぼれるではないか。
「お、おい。ディア……?」
さすがに俺も狼狽を露わにして見やる先で、ディアは泣きじゃくりながら、俺の胸倉へと手を伸ばし、そのまますがるような声音で叫ぶ。
「ミコト……! ミコト‼ 妹が……ッ! 私の妹が……ッッッ‼」
「お、落ち着け、ディア……⁉ 俺もいま来たところで、状況が分からないんだ⁉」
たまらず、そう叫ぶ俺に涙で顔を濡らしていたディアは、それでもその手で必死に涙をぬぐい、そしてポツリポツリとそれを語りだした。
「わ、私の妹が発作を起こして。妹は病気で、発作を抑えるには〝黒き森〟でしか取れない薬草が必要で……。でも〝黒き森〟は立ち入り禁止って言われて……‼」
彼女も言葉をまとめられるような精神状態ではないのだろう。
支離滅裂なその言葉を、しかし要約するとどうやらディアの妹さんが病気で発作を起こし、その治療のために〝黒き森〟へ行かないといけないようだ。
だが、ディアが言った〝黒き森〟が立ち入り禁止、とはどういうことだろうか?
そう疑問してアイウィック氏に視線を向けると、氏は困り顔を浮かべながら頷き、
「現在我が冒険者ギルドでは〝黒き森〟への冒険者の立ち入りを制限しているんです。ここ最近、浅瀬でも討伐推奨レベル30越えの魔物が現れるようになり、とてもではありませんが上級冒険者不在のいま対処できないという判断からそうなりました」
端的に事実だけを口にするアイウィック氏に、俺もようやくディアがここまで混乱している理由が理解できた。
「……つまりディアの妹さんを治す薬草を取りに行きたくても取りにも行けない、と?」
「ええ。正確には、レベル30を超えた一級冒険者か、あるいは同様にレベル30以上の魔物討伐系限定解除資格持ちが最低二名いれば話は変わるのですが……」
その言葉に、バッ、とディアが顔を上げる。
「み、ミコト……‼」
叫ぶと同時に、ディアはその端正な顔をほとんど触れられそうなほど至近にまで近づけてきて、そのまま必死に懇願するような眼差しを俺へと向けて言う。
「お、お願いします! なんでもしますから、お金だっていくらでも払いますから! だから、どうか妹を救うために力を貸してください!」
そう言って必死に頼み込んでくるディアに、しかし俺はたまらず視線を逸らした。
「……まいったな……」
苦い声音で呟いた俺の言葉に、ディアはその表情を絶望へと染める。
ディアのそんな表情にひどく罪悪感を覚えたが、しかし俺は彼女へ安易に頷けない。
もちろん彼女には恩義がある。
できれば、俺も手を貸したい。
だが、アイウィック氏は言った。
──最低でもレベル30を超える一級冒険者か、もしくは魔物討伐系限定解除資格持ちが、〝二名〟は必要だと。
一人は俺でいいだろう。
なんと言ってもレベル128で、下級の二級冒険者だが魔物討伐系限定解除の資格を持っているので、基準は十分に満たしている。
問題は、もう一人。
レベル30超えの一級冒険者という、そのような資格を持つ人間が都合よくこの場にいるとは──限るのだから、俺は心底からまいっているのだ。
「──ミコト」
ゆっくりとした足取りでハウルが近づいてくる。
そんなハウルへと俺は、胸元にディアを縋りつかせたまま、振り返り、その顔に苦笑を浮かべながら、一つ問いかけた。
「ハウル。いまの話は聞いていたか?」
「無論だ」
力強く頷くハウル。
それに、ようやくディアも気づき、獣人の男の姿を前に目を見張る。
そんな視線を受け止めて、しかしハウルは沈黙を選んだ。
ハウルの階位は一級冒険者である。
レベルも32と基準を満たしていた。
彼が同行すると一つ頷くだけで、ディアは妹のために薬草を取りに行けるのだ。
取りに行ける、のだが……。
「なあ、ハウル。俺は彼女に恩義がある。彼女のためならたとえそれがどんな無茶でも手を貸してやりたい、と思う程度にはな」
ディアの肩に両手を置き、ゆっくりと俺の体から引き離してやりながら、しかし視線はハウルへと固定して、俺は言う。
「だから、俺自身は〝黒き森〟に行くことには賛成なんだ。問題は、さ。もう一人必要ってことで、それにハウルが同意してくれたら、それもどうにかなる」
「ああ、そうだな」
神妙な表情で、しかし感情を一切感じさせない声音をもってハウルはそう答える。
それに俺は苦笑を浮かべながら、だけどさ、と口にして、
「──でも、俺には君を説得する言葉がない」
言葉を尽くし、情に訴えて、ハウルに頼み込むことは簡単だ。
だけど、そういう風に彼を、彼にとってはよく知らない他人である少女のために、死地へ引っ張っていくことが俺にはどうしようもなくできない。
元の世界で、まさに大勢の仲間が死に絶えていきながら、なお生き残って──でも生き続けられなかった俺は、だからこそ仲間に〝一緒に死んでくれ〟とは決して言えないのだ。
でも、それでもディアを助けたい、という想いは本物で──だから。
「だから、さ。俺はこうする以外で、君に頼む方法を思いつかない」
言って俺はハウルに頭を下げる。
深々と、直角に腰を折って、まるで処刑人にその首をさらすかのように頭を差し出す俺に、ハウルのみならず、横で推移を見ていたディアまでも息を飲んだ。
「ちょっ‼ ミコト⁉ 何をしているんですか⁉」
慌てた表情でそう叫ぶディアを、しかし俺は無視してハウルへと言う。
「──ハウル。君を説得する言葉は俺にはない。だから、俺は行動で示す。どうか頼む、彼女のために俺と一緒に〝黒き森〟へ言ってくれ」
そういってただただ無言に頭を下げる。
その姿にハウルは固まり、しかしディアは声を荒げた。
「やめてください! あなたが、頼み込む問題ではありません」
頭を下げ続ける俺に、いまだけは妹への心配を忘れて、怒りの形相を浮かべるディア。
そう言いながらディアは予想以上に強い力で俺の肩を押し、そのまま俺の頭を上げさせると、途端、その視線をハウルへと向けた。
「ミコト。あなたが、もしそれをするなら──」
涙で、その顔を濡らし、しかしそれでもその表情を覚悟で固めたディアは目の前に立つハウルをまっすぐ見やり、
「私が、こうするべきです」
言って、ディアが頭を下げる。
獣人であるハウルへ、人間族である、彼女が。
「───」
その態度にハウルが目を見開く中、ディアは必死な声音でこう叫んだ。
「一級冒険者ハウル・ウォーガン様。どうか、妹のためにその力を貸してください……!」
少女の、その頼み声に、息を飲んだハウルは、しかし一度その目を固く閉じる。
そうしてどれほどの沈黙がこの場に流れただろうか。
「………」
ディアは、その間一度も頭を上げなかった。
妹が、それほど大事なのだろう。
唇を噛みしめ、その震える両手を硬く握りしめて、それでも彼女は必死に懇願する。
その、少女の姿にハウルは、はたして──
「──相分かった」
目を見開き、深く頷くハウル。
「友と、そして〈
そうして、俺達は〝黒き森〟へ向かうことが決まった。
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