1章第19話 異世界猟兵と獣人

「──はい? 常識を学びたい、ですか……?」


 俺が異世界で冒険者となって早数日。


 今日も今日とて冒険者としての仕事に来ていた俺は、ちょうど受付を担当していたアイウィック氏にそんなことを告げてみる。


「はい。もうアイウィック氏もお気づきでしょうが、俺ってここではかなりの常識知らずですからね。一度、そういう常識を教えてくれる場所なり、人なりを紹介してほしいな、と」


「……普通、常識というものは生活していく中で自然と身につくものなのですが……」


 いや、言うことはごもっともだけど。


「その常識を身に着ける時間がないから、困っているんですよ。また先日みたいなことを起すのも忍びないですし」


 先日、俺が王都南の森で盛大に第一種攻性術式をぶっ放した影響により王都が上から下への大騒ぎとなった件の事件。


 あれも俺がこちらの世界の常識に疎いことから起こった悲劇ともいえる。


 元の世界であれぐらいしても、ああ、今日も魔導師が魔法をぶっ放しているなあ、ぐらいの扱いだったのに、こっちでは大騒動になるのだからたまらない。


 特にそのせいで目の前のアイウィック氏に迷惑がかかったのは俺としても痛恨の極みで、早急にこちらの世界の常識を身に着ける必要性を俺は感じていた。


「過ごしていれば、多少は常識も身につくかと思いましたが、ぜんぜんそんなこともないですし、やっぱり人って学んでいないことはわからないもんですね~」


 しみじみそう告げる俺にアイウィック氏はなるほど、と頷き返してきて、


「そういうことでしたら、我々としても当ギルド主催の研修をお勧めするのですが……」


「研修って? そういうのがあるんですか?」


 俺の疑問に、ええ、とアイウィック氏は言う。


「我々冒険者ギルドも所属する冒険者の技能向上には腐心していますからね。各種研修や講習を主催しているんですよ。その中ではこの国における常識を学ぶものもあります」


 アイウィック氏のそんな解説に俺は、へえ、と感心の頷きを返した。


「じゃあ、俺もその研修を受ければ──」


「──ですが、現在我がギルドでは一切の研修や講習を行っておりません」


 さらり、とそう告げたアイウィック氏に、俺はがくりと肩を落とす。


「いや。どういうことですか、それ?」


「当ギルドは現在深刻な人手不足でして。研修を行いたくても、それを依頼する冒険者が不在ではいかんともしがたいのですよ」


 そう言って、はあ、と嘆息を漏らすアイウィック氏。


「……? それ、たびたび聞きますけど、この王都冒険者ギルドってそんなに人手不足が深刻なんですか?」


「ええ。ここから離れた国で、災害級の魔物が出現しましてね。それを討伐するため、教会は勇者様の派遣を決定し、勇者軍が結成されたもんですから、我が国からも〝星持ち〟の上級冒険者をはじめその他一級冒険者なども勇者軍に戦力として出さねばならず……」


 勇者に勇者軍、これもまたたびたび聞くが、あまりアイウィック氏にあれこれ聞いて彼の仕事の邪魔をするのも何なので、俺は黙ってその言葉をやり過ごす。


 代わりに、俺はこんな問いをアイウィック氏に向けた。


「上級冒険者を戦力として? 上級冒険者って〝連盟アライアンス〟って呼ばれる組織の直属って話ではありませんでしたか?」


「そうですね。基本的に上級冒険者の所属は〝連盟〟です。ただ、件の上級冒険者は我が国の女王陛下より〝女王の冒険者ロイヤル・アドベンチャラー〟の称号を下賜されていますから、所属は〝連盟〟でも、実質的には我が国の冒険者という扱いになっています」


 そんなアイウィック氏の言葉に俺は、なるほど、と一応の納得を浮かべつつ、その上でしかし肩を落として落胆を露わにする。


「……そうだとすると、常識を学ぶってことはやっぱり自然に身につくのを待たなばならない感じですかね……」


 研修を担当する冒険者が不在では、それを教えてくれる人もいないし、と頭を掻く俺に、しかしアイウィック氏は少し思案顔を浮かべ、


「いえ、一つだけ方法はありますよ」


「方法、と言いますと?」


 眉をひそめて、そう問いかけるとアイウィック氏は頷いてそれを告げる。


「簡単な話です。〝常識を教える〟という内容で冒険者ミコト、あなたが依頼を出せばいい」


 意外な言葉に、俺は目を白黒させた。


「……依頼、ですか? それってクエストってことですよね? 冒険者が冒険者に依頼なんて出せるものなんですか?」


「冒険者が依頼を出してはならない、という制限は特に設けていませんからね。というよりも研修が行われていない現在、将来有望な冒険者には先輩冒険者に依頼という形で教えを乞うのは当ギルドとしても推奨していることではあります」


「へえ。じゃあ、俺もそれを頼もうかな……ちなみに相場はどれぐらいで?」


 念のためにそう問いかけると、アイウィック氏はさらりとそれを口にする。


「相場は一日5000コールほどを見ていればいいかと。あなたは二級冒険者で、実力も高いので、一級の信頼できる冒険者に頼むことになりますので、それぐらいかかります」


 なるほど、5000コールか。


 それぐらいだったら数日分ぐらいは出せなくもない。


 いまの俺には50万コールほどのお金が懐にあるし、いざとなれば適当な魔獣の討伐依頼でも受ければすぐに稼ぎ出せる金額だ。


「じゃあ、それで。ちなみにいま現在ちょうどいい人っていますか?」


「そうですねえ、いるにはいるんですが……その、少し問題が」


 途端、口ごもるアイウィック氏に俺は、はい? と首をかしげる。


「問題、と言いますと、あのグラムのように性格的な形で?」


「いえ。性格は申し分ないですよ。実直で真面目。実力もレベル32と当ギルド第一位……ああ、いえ、あなたがいるので第二位となりますが、それでも腕前は確かですし、クエストの達成率も高く、なにより当ギルドでは現在唯一の一級冒険者ですので」


 アイウィック氏がそう告げるのを聞いて、俺は氏が何を言いたいのかを察する。


「あー、なるほど。つまり人手不足に陥っている現在、その人は各地に引っ張りだこで俺みたいなポッと出の新人の面倒を見る余裕はないということですか」


 一級冒険者というのは確かこの冒険者ギルドでは下級冒険者の中で最も高い階級であったはずで〝星持ち〟と呼ばれる上級冒険者が不在の今は特に忙しいことだろう。


 そんな合間を縫って〝常識を教えてくれ〟なんてふざけた依頼をその人が受けてくれるわけがないか、とそう思った俺だが、しかし意外にもアイウィック氏は首を横に振る。


「いいえ、その方はいま長期にわたる依頼を受けていないはずなのであなたが依頼を出しても問題なく受けてくださると思いますよ」


 アイウィック氏の言葉に、俺はひどく困惑した。


「はい? じゃあ、なぜ問題があるなどと……」


 そう俺が言うよりも先に、しかしアイウィック氏の視線が俺の背後に向く。


 同時に、ギルド内がざわつくのを俺は感じた。


「……? なんだ?」


 いきなりの空気の変化に俺が怪訝に背後へと振り向くと、そこには一人の人物が冒険者ギルドの建物へ入ってくるのが見える。


 かなり大柄な人物だ。


 あのグラムよりもさらに背が高く、もはやクレーロの単位よりもリージュの単位で表すほうが正しいような巨躯を持つその人物は、その背に、自身の体よりもさらに巨大な大剣を背負っており、それでいて足取りにはいっさいの揺るぎがない。


 顔立ちは端正ながらも眼差しは鋭く、その灰褐色の髪の下で引き結ばれた表情といい、身にまとう雰囲気はまさに歴戦の戦士、という感があった。


 その雰囲気にも圧倒されるが、しかし注目するべきは彼の頭。


 灰褐色の髪の上に、二つの三角形をした耳が突き出ていた。


「……獣人……?」


「ええ、獣人族の冒険者にして〈狂狼〉の異名をとる我がギルド第二位の実力者──一級冒険者ハウル・ウォーガンです」


 言ってアイウィック氏は腕を振り上げると、それに気づいた獣人の男性──アイウィック氏曰くハウル・ウォーガンなるその人物がゆっくりとした足取りでこちらへと近づいてくる。


「ご無沙汰しております。アイウィック殿」


 真面目そうな重低音でそう挨拶をするハウルにこちらもにっこり笑うアイウィック氏。


「ええ、こんにちは、冒険者ハウル。ちょうどよかった。あなたに紹介したい人が──」


 そう告げながらアイウィック氏が俺へと視線を向けると、彼もようやく俺の存在に気づいたのか、見下ろすような形でこちらを見やり、その端正な形の眉を緩く上げる。


「こちらは、依頼人の少年ですか? 彼の護衛依頼かなにかをご要望でしょうか?」


「ぐっ……」


 まさかの依頼人扱い、それも護衛対象とみられたことに俺が言葉を詰まらせる中、アイウィック氏はよほど面白かったのか、くくっ、と口を手で押さえながら喉を震わせ、


「依頼人、という点はあっていますが、内容は護衛ではありませんよ。こう見えて彼はあなたよりもずっと強いので」


「……! だとすると彼が噂の。いや、それは失礼した。私はハウル・ウォーガン。一級冒険者だ。あの乱暴者のグラムを倒した腕前、風の噂ではあるが聞き及んでいる」


 そう言って深々と頭を下げる彼は、本当に生真面目な性格をしているのだろう。


 なので俺は苦笑しながら手を前に出し、いえいえ、と首を横に振った。


「二級冒険者のミコト・ディゼルです。どうぞ、お気になさらず。このような童顔ですからね。年齢がわからなくても無理はないでしょう」


 苦笑しながら俺がそう言うと、しかしアイウィック氏は、ほう? となにやら感心したように声を出し、ハウルもまた面食らったような表情で俺を見やってくるではないか。


「冒険者ミコトは、獣人を前にしても嫌悪はないようですね」


「……? そりゃあ、ええ、まあ」


 なにに感心されたのかわからず怪訝な眼差しを俺がアイウィック氏に向けると、氏は、何とも言えない表情で苦笑しながら、こんなことを告げる。


「いえね。一部の方には獣人というだけで強い嫌悪を露わにする方がいますので。もし冒険者ミコトがそのような方だった場合は、冒険者ハウルに依頼を頼むこともできませんでした」


 アイウィック氏の言葉を聞いて、俺は理解の表情を浮かべて頷く。


「ああ、なるほど。種族差別ってやつですか」


 元の世界にも獣人をはじめ多くの種族がいたが、それでも差別は絶えなかった。


 俺の祖国である帝国では、そう言ったことも表向きは禁止されていたが、一部の過激派がそれに迎合しないなんてことはよくあったことだし、この世界でも事情は同じだろう。


 だからこそ、俺はそういう差別を持つことをよしとしないのだが。


「いえ、それならご安心ください。獣人というだけで差別するほど俺も愚か者ではありませんよ。それにまあ、俺の剣の師匠も獣人でしたし」


 その言葉に、しかし一番反応したのは、どういうわけかその獣人であるハウルだ。


「なにっ? その獣人とはどこの氏族だ⁉」


 勢いよくこちらへと顔を近づけてきてそう問いかけてくるハウルに、俺はたまらずその場で後退しながら、彼を押しとどめるように手を前に出して制止しつつ、


「いや……、その言ってもわからないと思いますよ? 遠い地の氏族ですから」


 厳密にはこことは違う世界の、だが。


 しかしそれを語りだすとややこしくなるので、言葉を濁しながらそう俺が告げると、ハウルも前のめりすぎたと自覚したのか、俺から離れてゴホンと咳払いをする。


「たびたびの失礼、申し訳ない。それで、ミコト殿から、依頼とあったが、それはいったい、どのようなものであろうか……?」


「ああ。どうぞ、ミコトで構いませんよ。敬語も不要です」


「むっ。では、俺のほうもハウルと呼んでくれ。同様に敬語は不要だ」


 私から俺に一人称を変えてハウルがそういうので俺も、わかった、というように頷き返す。


「じゃあ、敬語は抜きにするけど……依頼内容は、簡単に言えば〝常識を教えてくれ〟っていったところかな?」


 俺の端的な言葉に、アイウィック氏が横から補足するように言葉を挟み込む。


「冒険者ミコトは、さる事情からこちらの常識は疎くて。先日の落雷事件は憶えていますか? あれも冒険者ミコトの埒外な異能によって起こされたものなのですよ」


「なんと……! あの時は俺も近くで魔物討伐をしていたが、無数の落雷が突如降ったのはよく目に焼き付いている。あれもミコトが起こしたのか……⁉」


「ええ、そうなんですよねえ……はあ」


 ハウルの驚きに合わせるようにしてアイウィック氏の嘆息が重なる。


 そんな二人の反応に俺は、ははは、と誤魔化し笑いを浮かべながら、それで? というようにハウルを見やり、


「依頼を受けてくれるかな。数日の拘束になるんだけど?」


「こちらからもお願いします。冒険者ハウル。この通り常識知らずですので次になにをやらかすかこちらとしても気が気ではなくて」


 そう告げて懇願の眼差しを向けるアイウィック氏と俺をハウルは交互に見やって、


「ふむ、そうだな──」

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