1章第8話 異世界猟兵の悔悟

「………」


 ざわざわ、と人ごみにあふれた雑踏の中。


 その一角にある石畳に腰掛けて、俺はなにをするでもなく街中へと視線を向けていた。


 女神から衝撃的な真実を明かされて一夜たった後だ。


 正直いまもなお明かされた真実に精神が追い付いていなくて、いま自分が夢の中にいるのか現実にいるのかも判別がついていない。


「……俺は死んだ、か……」


 自分は死んでいた。


 それ自体にも愕然としたが、なによりも俺の精神を追い詰めたのはそのことによって女神が告げたこの言葉だった。



 ──あなたは死んだ人間です。なので元の世界に戻ることは叶いません。



 元の世界に戻ることはできるのか、という問いかけに対する女神の返答だ。


 いきなり異世界と言える場所に連れてこられて、それでもなんとか自分を保っていられたのは元の世界に戻れるという希望だけだったのに、それもしかし女神の言葉一つで潰えた。


 だったら、どうして俺をこの世界に呼んだんだ、なにが目的なんだ。


 そう問いかけた俺に女神が答えたのは。


 ──あなたはただこの世界にいるだけでいい。


 ──世界ほしにとって知性を持つ人類はいうならば花の花粉のようなもの。あなたという存在がこの世界にいるだけで芽吹くものもあるでしょう。


 ──わたしという『星霊かみ』はただそれだけを望みます。


 ──あなたを束縛せず、あなたに求めることはなく。


 ──ただ自由に生きなさい。


 それがわたしの求めることです、という言葉と共に話を締めくくり、そして気づけば俺は教会の中へと戻っていた。


「……なにが、自由だよ……」


 そんな風に放り出されて納得がいくか。


 自由と評して放り出されるくらいなら、それこそ死にそうになるような困難でも与えられたほうがまだしもマシだった。


 そう思ってしまうのは俺が矮小な〝人類〟だからだろうか?


『星霊』と呼ばれるほどの存在の思考を理解したいとは思わないが。


 それでもただただ自由を与えられることがこれほど苦痛なのだと俺は初めて知った。


「……はあ……」


 大きくため息をつき、俺は俯く。


 もう生きる気力すらなくなってしまった俺がそうして無為に時間を過ごしていると──


「──なにをおおきなため息をはいているのですか?」


 唐突に声がかけられた。


 顔を上げると、そこにはこの世界でも数少ない見知った顔が。


 銀色の髪を、しかし今日は頭の後ろで綺麗に結わえたその少女は、


「ディアか」


「ええ。昨日ぶりですね、ミコト」


 そう挨拶をしてくる少女に俺は、ああ、と気のない返事を返す。


「いったいなにをしに……って、ああ。借金を取り戻しに来たのか」


「はい。その通りです」


 あっさり、とそう頷くディアに、苦笑するしかない俺に、彼女は、ふむ、と首を傾げた。


「……その様子だと、まだまだお金を返す当てはなさそうですね」


「ああ、すまないな。まだ借金は返せそうにない」


 心底から参った顔で、バリボリと後頭部を掻き俺がそう告げると、しかしディアは、眉をひそめてこちらを見やり、


「……ミコト。あなた、死にそうな顔をしていますよ?」


 なかなかに鋭いディアの言葉に、俺は思わず自嘲めいた笑みを浮かべてしまう。


「ああ、そうだな。正直そんな気分だ」


 死にそう、というよりは死んでいる、ではあるが。


 元の世界の俺は死んでいて、この世界の俺は『星霊』と呼ばれるような高位霊的生命体によって造られた存在にすぎない。


 そんな事実を提示されて、もはや気分は死人同然であった。


「……なにか、あったんですか……?」


 自嘲を浮かべる俺を見て、しかしディアはそう問いかけてくる。


 銀髪をした少女の表情は、ほとんど動かなくて俺でも感情が読めない。


 だから、いまの言葉が心配から発せられたものなのか、それとも単なる疑問として発せられたものなのか、俺には判別がつかなかったが──まあ、それも関係ないか。


 なんでもない、と彼女を拒もうとして、でも、それを言う直前に俺は口をつぐむ。


 唯一この世界で顔見知りともいえる彼女まで拒んでしまっては、とうとう俺にはなにも残らなくなるのではないか、という危機感が胸を突いたのだ。


「……一つ話を聞いてもらってもいいかな?」


 その代わり、俺が告げたのは自分でも予想外の一言だった。


 甘えた自分の一言に、慌てて俺が発言を取り消そうとするが、しかしそれを口にするよりも先に少女が無言で隣に座る。


「わかりました。特別に話を聞いてあげましょう」


 そうして俺に話をしろ、と促してくる少女に俺は一瞬言葉に詰まってしまったが、それでも彼女からの促しはなぜか断りづらくて、だから自然と言葉が口を突いて出ていた。


「……俺がこことは別の場所から来たってのはディアにも言ったよな。それで、俺はできるなら元居た場所に戻りたいって思ってたんだ」


 ポツリ、とそう呟いた俺にディアは、そう、と頷き返してくる。


「思っていたと過去形で語るということは……」


「ああ。もう戻れなくなった。二度と永遠に」


 自嘲を浮かべてそう告げた俺にディアは何と言ったらいいかわからない表情を浮かべた。


「……それは、災難でしたね。もう故郷に戻れないという状況は、私にも想像がつきません」


 言うディアに、しかし俺は首を左右に振る。


「いいや、実を言うと故郷に戻れないってこと自体はあまり気にしてないんだ」


 唐突にそう告げた俺に、さすがにディアも予想外だったのか、え、と目を瞬いてこちらへと振り向くので、俺はなんとも言えない表情で笑いながらこう続けた。


「もともと親とは折り合いが悪くてな。ほとんど出奔同然に家を出て、猟兵として生活していたから、いまさら故郷には未練もない」


 正確には猟兵組合の仲間達がいない故郷には、だ。


 彼らはあの大規模魔獣災害で誰一人残らずこの世を去った。


 そんな彼らのいない故郷に帰る意味なんて俺にはなく、だから未練はない、という俺にディアはしかし無言でこちらの横顔を見つめてきて、


「……そうですか、あなたも同じなんですね」


 ポツリ、と呟かれた彼女の言葉に俺は、え? という視線を少女へと向ける。


「同じって、なにが……?」


「いいえ、気にしないでください。こちらの話ですので。それよりも、ならばどうしてミコトはそのような死にそうな顔をしているのでしょうか?」


 死にそうな顔、と場合によっては失礼な、しかしいまの俺にはあまりにも当然な評価を語るディアに、俺はそうだな、と頷いて、


「……しいていうなら、生きる目標を失ったから、かな」


 苦笑を浮かべ、そう告げながら、俺は言葉を続ける。


「もともとさ。俺は元居た場所で大規模魔獣災害──あの【殺戮を呼ぶ漆黒の獣ジェヴォーダン】とかいうやつが数百体ぐらいで街を襲うような災害の現場に出動していたんだ」


「え、なにその地獄」


 若干引いたような声音で、そう告げるディアの地獄? という概念はなにかわからないが、とにかく顔を引きつらせている彼女に、そうだな、と俺は言って、


「正直この世のものとは思えない光景だったよ。必死に頑張って魔獣達を討伐していくんだが、次から次に魔獣達は街を襲ってきてさ。仲間が一人、また一人と倒れて行った」


「……そう、なんですか……」


 俺の言葉に、さすがのディアも神妙な表情でそう呟くのに俺は当時の光景を思い出しながら滔々と言葉を語っていく。


「多くの人を救えなかった。手を差し伸べて助けを求めた人を目の前で食われたし、必死に魔獣達をなぎ倒して駆け付けた避難所はすでに食い荒らされた後だった」


 ギュッと両の拳を握りしめ、そう告げる俺へ、ディアは恐る恐るという風な声音で、こんなことを問いかけてきた。


「……あなたは、そのことを後悔しているのですか?」


「どう、だろうな。後悔というのとは違う気がする。でも、どういった感情なのかって名前を付けるのも難しいけどな。だけど、まだ生きれたはずの人が、そうやって死んでいったのを見ていくのは……うん、すごく辛かった」


 その言葉だけは素直に吐き出すことができて、そうして初めて、なるほど自分はあの光景を辛い、と感じていたのか、と俺はいまさらのように自覚する。


「うん、そう。辛かったんだ。俺はずっとあの場所にいて誰も救えなかったことが」


「そうですか。ミコトも、いろいろと苦労なさっているのですね」


 俺の言葉に同意するよう頷くディアは、ふと、こちらを見ると、それで、と呟いて、


「時にミコト。あなたは生きる目標を失ったといいましたが、それはどのようなものですか?」


 そんな少女からの問いかけに俺はとっさに反応できなくて、なんとも言えない表情になる。


「いや、その。たいしたことじゃないよ」


「それは嘘ですね。たいしたことはないものを失ったぐらいで、そのような顔にはなりません」


 もっともなことを少女から言われて、俺はなにも言えなくなる。


 それでも言葉を誤魔化そうとしたが、しかし少女から向けられてくる真剣な眼差しがそれを許さず、だからけっきょく俺は白旗を上げることとなった。


「……その、笑うなよ?」


「ええ。笑いません」


 思いのほか、真面目なその返答にとうとう逃げ場を失くした俺は仕方なくそれを白状する。


「……その、だな。俺はのんびりだらだらした生活が送りたかったんだ」


 観念して白状した俺の言葉に、案の定というべきかディアはきょとんとした表情を浮かべてこちらを見やっていて。


「のんびり、だらだらした生活……?」


 なにをいわれたのかわからないという態度のディアに俺は頬に熱が昇るのを感じる。


 半ばやけになってこちらを見やる少女へ俺は言い返した。


「そ、そうだよっ! 悪いか⁉ 大規模魔獣災害を無事乗り切ったら3億リーンは下らない金額が懐に飛び込む予定だったんだよっ。それだけあれば一生遊んで暮らしても使いきれない額なんだ! だったらその後の一生はあくせく働かずのんびり過ごしたいって思うだろ⁉」


 自分の顔が真っ赤になっているな、となぜか鏡を見ずとも自覚しながら、そう言い返す俺にディアは一瞬奇妙なものを見るようなまなざしを向けてきたが。


「ふふ」


 しかし彼女が浮かべたのは、どこか優しい、お日様を連想させる笑みだった。


「……笑うなって言っただろ」


 けっきょく笑われてしまったことに、不貞腐れた面持ちでそう告げる俺へ、しかし微笑を浮かべていた少女は意外にも首を左右に振る。


「いいえ。違います。この笑いはそういうのではありませんよ。ええ、いい夢だと思いますよ。そうですね、のんびりだらだらした生活、私も送ってみたいものです」


 なんとなくバカにされているような気がして、ますます不貞腐れる俺に、それを察したディアは仕方ないなあ、という風な眼差しでこちらを見てきて、ふと、こんなことを告げる。


「それにミコト。その夢は本当に終わった夢なのでしょうか?」


「終わったって……ああ、そうだよ。もう元の居場所に戻れないんだからな」


 死んだ以上、どうあっても3億リーンという大金を受け取ることはできない。


 そういうつもりで告げた俺の言葉にディアは、しかしこう告げてくる。


「確かに元居た場所で大金を受け取ることはできなくなりました。ですが、そもそも大金を受け取れたのだって、あなたがそれだけの活躍を成したからなのではありませんか?」


「……まあ、そうなるな」


 少女に言葉に不承不承ではあるが、そう肯定を返すと、果たしてディアは、

「なら、いまいるこの場所でも同じような活躍をして大金を得ることもできるのでは?」


「───」


 言われて、初めて俺はその可能性に思い至った。


「い、いや。でも、そんな簡単にいかないだろ。俺だって向こうで大金を稼いだのは、それぐらい緊急事態だったからだぞ? だいたいここでの俺は猟兵でもなんでもないし……!」


 もっともな俺の言葉に、ディアもそうだね、と首肯して。


 でも彼女が浮かべたのは不敵な笑みだった。


「でしたら、ミコト──一つ冒険者になってみませんか?」


 そんな彼女の言葉に、俺は、は? と目を見開くのだった──

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