1章第7話 異世界猟兵と残酷な真実

 ディアから借りた1000コールという金額のうち、300コールほどを関所で払って、俺は王都の中へ足を踏み入れた。


 残りの金額は700コール。


 これがどれくらいの金額かはわからないのだが、ディア曰く、このうち500コールほど教会にお布施(寄付のことだろうか?)をすれば、二、三日教会とやらに居座っても問題ないだろうとのことだった。


 関所の衛兵からも教会とやらの場所を聞き、そうしてしばらく王都の中を歩いた俺は、その建物の前に立つ。


「ここが教会か……」


 荘厳な建造物だ。


 白亜の壁に、どこか宮殿にも似た見た目。


 そこはかとなく神聖さすら漂わせるその建物を見て、俺はなるほど、と頷く。


「こっちの世界の神殿なのか、ここは」


 俺の世界にもあった神を祀るための施設だ。


 魔導師としての感覚があの教会と言う名の建物より〝神〟の気配を感じ取っているから、十中八九間違いないだろう。


「……だとすると、あまりお世話になるのは遠慮したほうがいいのかもしれないな……」


 一応俺も帝国の神を信仰している身なので、よその国の神の施設でお世話になるというのはなかなかに勇気のいることだが、しかし現状は背に腹を変えれない。


「ま、まあ。今は緊急事態だ。よその国の神といっても、雨風をしのぐぐらいのことで怒るほどうちの主神も狭量じゃあないだろ」


 そう自分に言い訳をして、俺は教会の中に入る。


 開きっぱなしになっていた扉をくぐった瞬間、俺は場の空気が変わるのを感じた。


 外とは異なる世界が広がっていると魔導師として感覚が告げるこの場所は、やはりというか〝神の領域〟なのだろう。


「………」


 そんな感覚を俺が敏感に感じ取っていたまさにその時、


「ご参拝の方でしょうか?」


 ふらり、とこちらへと近づいてきたのは、全身を白色の装束に包んだ女性だ。


 この国の神に仕える神官だろうか?


 にこにこと笑いながら近づいてきた女性は、その手に金色の器を掲げ持っている。


「よろしければお布施をお願いいたします」


 お願いという態度だが、こういう場でお金を出し渋るとろくなことにならない、と知っている俺はディアからもらったお金を取り出す。


 とりあえず、言われたように500コールを出そうとしたが、じゃらじゃらと掌の上で鳴るお金は銀やら銅やら、と種別がさまざまで、その上元の世界のように額面が表に書かれているわけでもないから、どれを出せば500コールになるのかわからず、とりあえず俺は一番きれいそうな銀色の硬貨を一つとって、それ以外全部を女性神官の差し出す杯に投げ込んだ。


「あら、650コールも。うふふ、ありがとうございますね」


 どうやら少しだけ金額が多かったらしい。


 貸してもらったディアには申し訳ないが、まあ多少多いくらい誤差だ。


 その代わり、というように俺は目の前の女性にたいして質問をした。


「その、一つよろしいでしょうか?」


「なんでしょうか? わたくしに答えられることがあるのならば、女神に誓って答えさせていただきます」


 それなりにお金を出したから、愛想のいい態度で女性神官が告げてくるので、俺も愛想笑いを浮かべながら質問をする。


「実を言いますと、自分は精霊の悪戯? とやらで遠くの地よりこの場所まで飛ばされてしまった身なのです。それで寝るための宿もなく、できればこちらの教会? のお部屋を貸していただきたいと思っているのですが……」


「まあ、そのようなご事情が。ええ、ええ。構いませんよ。女神は、救いを求める者を拒むことはありません。牧師様に言って、お部屋を用意させていただきましょう」


 にこにこと微笑を浮かべてそう告げる女性は、そのまま教会の奥のほうへと歩いていき、そこにいるこれまた荘厳な装束に身を包んだ男性の前に立つと何事かを話す。


 それを聞いた男性が頷くと、こちらを見てにっこりと笑いながら近づいてきた。


「どうも、私はこの王都西通り教会を取り仕切る主任牧師のエルゼイと申します」


 にこやかに挨拶してきた牧師? というらしい役職の男性に俺も頭を下げる。


「はじめまして、ミコト・ディゼルです」


「ええ、ディゼルさん。はじめまして。シスター・メイアより、話は聞きましたよ。なんでも精霊の悪戯にあったとか。郷里より引き離されご災難でしたな。シスター・メイアに言いつけて部屋を用意させておりますので、その間、どうか女神に祈りを捧げてください」


 シスター・メイアというのは先ほどの女性神官のことだろう。


 シスターというのは名前ではなくある種の役職名であろうとあたりを付けつつ、牧師の言葉を聞いていた俺は、しかしそこで出た単語に首をかしげる。


「祈り、ですか?」


 俺の問いかけに、ええ、と頷くエルゼイ牧師。


「ここは教会です。女神に祈りを捧げる場として、どうかお願いいたします」


 なるほど、それは道理だ。


 だが、ゆえにこそ俺は戸惑いを浮かべる。


「……その、自分はここの神で──いえ、教会に来たのは初めてでして、祈りの作法なども知らぬのですが、それでもよろしいので?」


「ええ、構いませんよ。ミコトさんの思う通りの方法でお祈りください。たとえどのような作法であろうと真摯な祈りは必ず女神に届くものですから」


 そういうものだろうか?


 牧師に促されるまま、俺は教会の奥へと進み、その一角にある木製の椅子に座った。


 すると牧師もいずこかへと言ってしまうので、一人残された俺は仕方なく腕を組み、帝国式ではあるが祈りを捧げることに。


 俺の知る限り、神というやつは、怒らせるとたいがい怖いと相場が決まっている。


 他の神の信徒でもこの国の神の前に立った以上は、祈らないほうが失礼だろう。


 そう思って掌を合わせ、瞳を閉じ、精神をこの国の神へと向けた俺は──


 ──視界が真っ白に染まった。


「は──?」


 周りの景色が白一色に染まる。


 座っていたはずの椅子も消失し、そうして気づいた時にはただただ白だけに支配された空間のど真ん中に立っていた。


「ここ、は──」


 呆然とそう俺が呟いた時、


 ──ようやく、来ましたね。


「───」


 声がした。


 その声に弾かれるようにして振り向いた先で、俺はそれを見る。


 神だ。


 いや、正確にはそう呼ばれる種族と言うべきか。


 高位霊的生命体。


 人間とは根本的な魂の在り方からして違う上位存在とでもいうべき種族が目の前に突然現れたことに、俺は意味もなく頭が真っ白になった。


「……な、が……」


 ──ああ、申し訳ございません。この状態ではあなたが話せませんね。


 そう目の前の存在が言った瞬間、まるで肩に乗せられていた重量が取り払われたかのように体が軽くなる。


 同時に激しく呼気が漏れるのは、どうやら無意識のうちに息を止めていたらしい。


 そうして呼吸を整え、見やった先、ようやく俺は目の前に立つ存在が女性を象っているのだと遅れて気づく。


 あのシスター・メイアと呼ばれた女性神官にも似た、しかしそれよりも装飾が少ない白い装束に身を包んだその女性型高位霊的生命体。


 口元以外、顔を布で覆ったその存在を前にして俺はゴクリと唾を飲み下す。


 言われずともわかる、あれは、


「──女神」


 ──その通り、この世界の者よりそう呼ばれるものとなります。


 近くから発せられたようにも、遠くから響いてきているようにも聞こえる独特な声音で女性型高位霊的生命体──女神は、そう告げるので、俺は怪訝に問いかける。


「あなたは神霊種なのですか?」


 俺の知る神といえば、まさにそう呼ばれる種族のことだ。


 目の前の女神と同様に、高位霊的生命体である神霊種ならば、女神がこれほど圧倒的存在感を放っていることにも納得できる。


 そう思って問いかけた俺に、しかし女神は意外にも首を左右に振った。


 ──いいえ。わたしはあなたの言うところの神霊種ではありません。


「……? では、あなたはなんの種族だと?」


 予想外にも己は神霊種かみではない、と告げた女神に困惑しながら俺がそう問いかけると、果たして女神はこのようなことを言ってきた。


 ──わたしの存在をあなたに理解できる概念で評するのならば、そうですね『』ということになるでしょう。


「な──」


 予想外……いや、予想の数段は上の概念を持ち出された。


 星霊と言えば、現状でも理論上存在するのではとされる〝仮設〟だ。


 人の魂魄とは世界を構成する霊子が人の肉体を形成している情報構造の中で複雑化し、回路状の構造物になったことで成立するものであるとされる。


 ならば、より複雑な情報構造を持つ星そのものもまた同様に人と同等──あるいはそれ以上の魂を持つのではないか、という仮説が元の世界の学会で提唱されているのだ。


 その世界ほしが持つ魂を元の世界では『星霊せいれい』と、そう呼んだ。


「……『星霊』ですか、あなたが?」


 ──ええ、あなたの理解としてはそうなります。


 唯一露出した口元に微笑を浮かべ、そう告げる女神──いや、この世界ほしの『星霊』


 俺の知る神霊種かみよりもなお強大な霊的生命体を前に、俺は呆然とするしかない。


「女神よ。どうしてあなたは、俺の前に現れたのですか?」


 こんな別の世界の、それも別の神を信仰しているような人間の前に。


 そう思い浮かべた内心など、この『星霊かみ』にはまるわかりだろう。

 事実『星霊かみ』は微笑を浮かべて、こう告げた。


 ──あなたを待っていたのです。わたしがこの世界に招いたあなたという魂を。


 なん、だって……?


「あなたが、俺を招いた?」


 ──ええ。あなたはわたしの手によりあなたの世界より招かれたのです。


「……なんだって、そんなことを……」


 呆然とそう俺が呟いた瞬間。


 その記憶が脳裏に駆け巡った。


【目の前に数百と群れる魔獣の影】【傷だらけの全身】【仲間はもう全員いなくなって】【ぼろぼろの廃墟でただ一人】【もう二度と生きては戻れないだろう】【でも、いい。このような結果として果てるのならば悪くもない】【ただ一つ惜しむらくは】


『──これじゃあ、のんびりだらだらとした生活を送れそうにもないな』


 ───。


「──ッ、はあ──⁉」


 思い出された記憶に、冗談抜きで意識が飛びかけた。


 なんだ、いまの記憶。


 俺が魔獣の大群の前に立っていた。


 数百を超える魔獣達。


 俺の全身は傷だらけで、魔力は底をつきかけていて。


 とてもじゃないが、あれでは生きて帰れない。


 では、いまここにいる俺は?


 いったいいまの俺は何者なん──


 ──あなたは、私がその死の間際に魂を回収し、こちらの世界で転生させた存在です。


 女神が告げた言葉に、息が止まった。


「……なん、だって……」


 愕然、とそう呟く。


 だとすると、元の世界の俺は──


「──死んだん、ですか? 俺は……」


 嘘であってほしい、という、そんな願いを込めて呟いた問いかけに果たして女神は、


 ──ええ、その通りです。


 そうして世界が暗転する。

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