1章第6話 異世界猟兵と王都
「──そういえば、さっきの銃弾……えっと〝詠唱符〟だったか? あれ、どうみても金属に見えたけど、どうして〝符〟なんだ?」
ようやく森を抜けて街道らしき場所に出たころ、少し前を歩くディアに向かって、そんな問いかけをしてみた。
「昔は本当に紙を使っていたからだそうです。ほら、紙巻きたばこというのがあるでしょう。あのような感じで細い管杖にした紙の詠唱符に火薬を詰めて発火させていたそうですが、それでは効率や安全性の問題でいろいろと難があり、試行錯誤の末に現在の形になったとか」
ずっと、うっそうと生い茂る木々の中だったから、ようやく出れた陽光の下で伸びをしながらそう答えるディアに俺は、なるほど、と頷く。
「そういう仕組みなのか」
「ええ。まあ、そんな感じです──さて、ミコト」
ふと森の入り口あたりで立ち止まったディアが、こちらへと振り向いてくる。
なんだ、と俺も顔を上げる前でディアは真面目な表情でこんなことを告げてきた。
「ここから徒歩で向かうとなると、日が暮れてしまいます。私事ではありますが、それだと非常にまずいので、ここから先は走っていきたいのですが、よろしいでしょうか?」
「……? それは別に構わないけど。走るって、体力持つのか? ここから目的地までどれぐらいかかるか知らないけど、結構遠いだろ」
少なくとも森の入り口を出て周辺に都市の類は見えず、あるのは平地の向こう側にまで続く地平線で、ちょっと走ったぐらいですぐに街へとたどり着けそうにな様子でもない。
「ええ。ここから王都までは約10キロほどです。徒歩なら二時間はかかりますね」
10キロという単位がどれぐらいのものかはわからないが、徒歩で二時間ということはおおよそ6.5グラヴァーレほどの距離か。
なるほどそれはかなり遠い。
「じゃあ、どうするんだ? まさか本当にそれだけの距離を走るつもりか?」
「そうでうすね──ところで、ミコト。あなたはどれぐらいの速度で走れますか?」
唐突に話を切り替えてディアがそんなことを問うてくる。
「どれぐらいって……。さすがに俺も音速で走れって言われると無理だぞ?」
そんな俺の返答にしかしディアは冗談だと思ったのか苦笑を浮かべて、
「音速って……音の速度ということですか? さすがにそこまでは私も求めませんよ」
そう告げるディアもまさか俺がそこまでの速度を出せるとは思っていないのだろう。
確かに俺も音速は無理だ。
ただ魔導師の中には【加速術式】などを駆使して実際に音速で動き回る変態がいる。
あと俺も〝走る〟ので音速は無理でも〝飛ぶ〟のなら瞬間的には音速を出すことも可能で、実際【
代わりに俺はこう問いかけた。
「じゃあ、ディアはどれぐらいの速さを求めているんだ?」
「ふむ。だいたい馬車の全速力程度の速度は欲しいですね」
なにげない、調子でそう告げるディアに、俺は思わず真顔になってしまう。
「馬車……まあ、そのぐらいの速度なら」
本当にディアが求めているのが馬車の全速力なら、まあ俺でも可能だ。
その気になれば、自動車の最高速度とも張り合えるので、言ってその十分の一ほどにすぎない速度だと考えれば、何の問題もない。
そういうつもりで俺が告げると、どういうわけかディアはキラリとその瞳を輝かせ、その口元に不敵な笑みを浮かべると、ほう、という声を出す。
「ずいぶんと自信があるようで。ではそれぐらいの速度で走ってもらいましょう」
「お、おう?」
「いいですか、ミコト。よーいドンで、スタートです。では行きますよ……!」
「は? いや、待ってくれ、ディア。〝すたーと〟って、どういう意味──」
また見知らぬ単語を告げられて、そう問い返した俺だが、ディアはそれに取り合わない。
「よーい、ドンッ!」
ディアが叫ぶと同時に彼女は走り出した。
いや、跳んだ、というのが正しいか。
ダンッ! という音が鳴るほど強く地面を彼女が踏みしめた瞬間、その足元で魔力が散り、そして彼女の体から空気の塊が放出される。
それに身を任せるような形で跳躍すると、そのまま軽やかな足取りで5リージュほどは先に跳んでいき、また同じように風を放出して移動するディア。
風の放出に身を任せて高速移動する彼女の体幹に、おお、と感心の声を浮かべながらも、走り出してしまった彼女を追うべく、俺も遅れて足を動かす。
と言ってもこちらは最初から【情報強化】の術式を発動し続けているので、少し魔力を熾して走れば、容易に先を行く少女へと追いつけるのだが。
「すごいな、ディア。それ、どういう仕組みなんだ?」
三秒ほどの遅れでディアの横へと並び立った俺がそう問いかけると、相変わらず風の放出で移動していたディアは、ギョッとした表情で俺へと振り返る。
「ほ、本当に追いついてきた……!」
純粋に走るだけで自分に並び立つ俺がよほど意外だったのだろう。
まじまじ、とこちらを見やってそう告げるディアだが、すぐに俺から質問されたと気づいて、えーと、と言葉を口にする。
「こ、この靴の底には詠唱版と呼ばれる金属製の板が仕込まれていまして、それを踏み込むことによって鳴る反響音を利用して【
「ほー、なるほどなあ」
どうもディアが使う法術という術法は、詠唱というものが基盤になっているらしい。
それも単に口で呪文を詠唱するだけでなく、あの長杖という火薬式の銃器みたいなものように発砲音や、いまディアがしているみたいに靴底を踏み込んだ際に起こる反響音などでも発動するというのだから、本当に興味深い術だ。
「……分類としては古式の類っぽいが、その割にはかなり体系化されている技術と見える。属性とか言っていたな? つまり特定の概念的な〝型〟に術式を当てはめることで、術の発動を簡略化しているのか? 詠唱はその〝型〟を呼び起こすための儀式……?」
ブツブツと告げながら、ディアの法術なる技術を解析していた俺だが、しかしその思考も横合いからディアが話しかけてきたことで中断される。
「……なにか言っているところ悪いのですが、ミコトこそ、どのようにして私に追いついてきたのですか? なにかすさまじい速度で走っているように見えますが……」
「まさにすさまじい速度で走っているだけだよ」
俺の答えを、しかしディアは理解できなかったらしく、きょとんとした表情が返ってきた。
そんな彼女へ俺はふむ、と頷いて、
「えーと、な。俺達魔導師は【情報強化】という魔法を常に全身へと適用しているんだ。この【情報強化】は肉体の情報構造──〝現象としての肉体〟を術式的に転写して、それを魔法現象として強化することで身体能力や強度を強化しているんだよ」
「……すみません、ミコト。あなたが何を言っているのか私にはわかりません」
顔を引きつらせてそう告げるディアに、俺はむっと言葉につまる。
「……まあ、要するに肉体を強化する魔法ってことなんだが、それを使って脚力を強化して、ディアに並ぶほどの速度を出している感じだ」
「ああ、なるほど。それはすごいですね。魔法? というのですか、ミコトの法術は」
厳密には法術とは根本の原理が異なってそうだが、ディアにはそれのほうが分かりやすいだろうから、そういうことにしておく。
「──と、言っている間に王都へとつきましたね」
ディアが告げる通り、遠くの方で何やら城壁のようなものが視界に入ってきた。
そびえたつ赤茶色の壁が地平線の彼方まで伸びており、どうやらそれが三重になって街を囲っているらしい。
「……ずいぶんと古い形態の城壁だな」
「……? なにを言っているんですか、ミコト。王都の城壁は十年前に建造されたばかりの最新設備ですよ。それよりもそろそろ徒歩に戻りましょう。周りの馬車の迷惑となりますので」
ディアが言う通り、あたりには馬車のような影が見える。
「………」
彼らの通行阻害しないためにも一度走る足を止めた俺達は、街道を行く馬車の列に紛れながら王都というらしい街の城壁へと向かう。
そうして街道を歩く間も、俺は視線だけで周囲を観察してみた。
やはりというか、彼らの身にまとう装束はやたらと古めかしい。
「……まるで、時代劇の中みてえ……」
どちらかと言えば、実際に着てすごすより博物館に飾られているほうがまだわかるような雰囲気の装束に身を包んだ人々が周囲におり、その光景に俺は思わず閉口してしまった。
ここまでくるといい加減認めなければならないかもしれない。
正直に言うと、ディアと出会った時までは、まだこの世界が異世界でない可能性もあった。
ディアが使う法術とやらは確かに珍しい原理で作用する術法だが、古式魔法であると考えれば決してあり得ないものとはいえない。
彼女が語る言動もある種の青少年に特有の〝一人芝居〟だと思えば許容できた。
だが、さすがに古めかしい装束を着た人々が馬車に乗って移動している様を見れば、俺も現実を受け入れざるを得ない。
まだ、ここが映画の撮影所で、ディアを含め回りの人間達によって俺は異世界に来た、と思わされているという可能性も脳裏をかすめたが、ここまで大規模な撮影所を用意してまで俺を騙す意味が分からないので、これは現実逃避の類か。
それでもまさか、と思いたかったが、いい加減認めないといけないのだろう。
「そうか、やっぱりここは──」
──異世界、なんだな。
そんな呟きはしかし風に巻かれて誰の耳にも聞こえず、代わりに呟きを漏らした俺を不思議そうな表情でディアが見やってきた。
「なにか言いましたか、ミコト」
「いいや、なんでもないよ」
彼女に首を振って俺はそう告げる。
自分個人の感傷を他人である少女に明かすほど俺もまだ現実を受け入れていないのだ。
確かに異世界に来てしまったこと自体は認めよう。
だが、まだ元の世界に帰れないとなったわけではない。
少なくともこちらにこれたのだから、向こうに帰れないという道理はないだろう。
そう思うことで俺は自分の気持ちを鼓舞し、そして城門の方を見やる。
「あ。そういえば、ミコト。あなたお金を持っていますか?」
言われたので、俺はディアのほうを振り返り、首を傾げた。
「……俺の国の金ならもってるが、そういうことじゃないんだろ」
「ええ。この近辺で流通しているお金じゃないとだめですね」
ディアはそう呟くと、うーん、と唸り声をあげるので俺は怪訝にディアを見返し問うた。
「金を持っていないとなにか問題なのか?」
いや、まあ寝床を確保するなどさまざまな面で不便が生じるのは間違いないが、とそう思いながら問うた俺に、はたしてディアは、
「はい。まず城門横の関所をくぐることができません」
そりゃあ、大変だ。
「……どうするんだよ。ここまで案内されて街に入れません、ってのはさすがに俺も困るぞ」
「そうですね。ふむ……」
しばし悩むような間を置いた後、仕方ないね、という風にディア呟いて、
「わかりました。では今回は出血大サービスとして、特別にお金を貸してあげましょう。ただし絶対に返してもらいますからね。もちろん、利子付きで」
「……ずいぶんとがめついことで」
なんともまあ、お金についてちゃっかりしているらしいディアに、しかしここでは彼女の提案を飲むしかないので、それで頼む、と俺は頭を下げた。
「そうなると、ディア。あまりお金がかからないで寝泊まりできる場所ってあるか?」
「でしたら、教会に行けばよろしいかと。あそこならば、よほどのことをしでかさない限りは誰でも受け入れてくれますから」
教会? という施設がどのような場所なのかはわからないが、ディアが進めるのならばそこにいくほうがいいのだろう。
「わかった。ちなみにそこまでの案内は……」
「そこから先は城門の衛兵に聞いてください。お金を貸したら、私は家へ直帰しますので」
薄情な、というのは彼女に甘えすぎだろう。
ここまで案内してくれただけで、十分ディアには助けてもらったのだ。
あとは自分でなんとかしろ、というのなら、それも道理だ。
「ああ、ここまでありがとな、ディア」
「ええ。では、また。借金の後ほど返してもらいに来ますね」
冗談半分、本気半分の表情で笑いながらそう告げるディアに俺も苦笑を返す。
そうして俺は王都の門をくぐるのだった。
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