1章第4話 異世界猟兵と銀の少女との邂逅

「──危ない!」


 背後から響くその叫び声は倒れ伏した女性のものか。


 俺の目の前で振り下ろされた漆黒の獣による一撃。


 それ自体に鉄すら砕きうるほどの威力を秘め、その上先端には刀剣じみて鋭い爪すらも存在する、その蹴撃が俺へと振り下ろされた。


 俺はそれを前にして立ち尽くす。


【防壁】を展開できなかった──のではない。


 避ける必要性を感じなかったのだ。


 直撃。


 脳天めがけて正確に振り下ろされた獣の攻撃は、しかし俺の頭をかち割ることはおろか、その額に傷すらつけることもなく受け止められる。


 さすがにこれは予想外だったのか獣がその残った右の二つ目を大きく見開く中、俺はジロリとした視線を獣へと向けて言う。


「どうした、その程度か?」


 この程度の攻撃で魔導師の【情報強化】を抜けると思ったら大間違いだ。


 おおかた先ほど【防壁】を使って防いだから、生身は脆いと勘違いしたのだろう。


 あの【防壁】は獣の動きを一瞬止めることが目的であって、別に防御用ではないのだが、それを人ならざる獣に理解しろというのは酷ではあるか。


 いずれにせよ、頭に置かれた獣の前足がうざったいので、俺はそちらへと腕を伸ばし──それまで獣が見せた無造作を真似するような仕草で投げ飛ばした。


 ──GUA……⁉


 まさか人間ごときに自分の体を投げられるとは思わなかったのだろう。


 宙を吹き飛ぶ獣は、そのまま5リージュほどの距離にある地面に顔面から激突する。


 すぐに立ち上がれないのはどうやら落下の衝撃で脳震盪でも起こしたらしい。


 その無様をしかし俺は嗤うこともなく、ただ淡々とした動作で剣を振り上げた。


「───」


 無言の斬撃。


【断風】によって全長10リージュも延長されたその一閃は、地面に横たわったままじたばたと動くばかりで立ち上がれない獣の頸へと正確に吸い込まれていった。


 獣の首が一刀両断される。


 その頭は一瞬跳ね跳んだ末、ゴロゴロという硬質な音を立て花畑を転がった。


 遅れて体から噴き出る多量の血液。


 美しい花畑を汚すようにして血を吹き出す獣は、それ以上動くことはなかった。

 どうやら獣は死んだようだ──と、そう俺が思った瞬間。


 獣の死骸から漆黒の靄が溢れだした。


 あの〝緑の人〟と同様に気化する蒸気のごとく急速に獣の肉体が黒き靄となって霧散する。


 そうして残されたのはしかし〝緑の人〟の時とは違いゴトンッという重い音。


〝緑の人〟から出た石粒のようなそれとは違い、俺でも両手で抱えて持たないといけないほどには大きい魔石が地面に転がる。


「……【妖魔】だったのか?」


 またもや記憶にない種別の【妖魔】であったのに俺はいよいよ本格的に疑問を浮かべつつ、しかし一度思考を中断すると剣を鞘へと納めて、背後へと振り向いた。


 そこには呆然と両目を見開き、花畑に立つ女性の姿が。


 陽光の下、きらめくように輝く銀の長髪が特徴的な女性だ。


 年齢はおそらく俺とそう変わらない風に見える。


 16、7歳ほどか。


 だとすると女性というよりは少女というべきなのに、そうと評するのに一瞬ためらうのは、彼女の容貌があまりにも端正だからだ。


 黄金比、という言葉が真っ先に脳裏へと浮かび上がるほど完璧な均衡を持つ鼻梁。


 その容姿はいっそ芸術品めいていて、性的な感情よりもまず美しさに感嘆の息が漏れる。


 それほどまでに端正な顔立ちをした少女は、しかしわなわなとそのきれいな形の唇をふるわせて、こう呟いた。


「……あなた、何者ですか? 【殺戮を呼ぶ漆黒の獣ジェヴォーダン】をああも容易く倒すなんて……」


 凛と響いた声は、甘美なほど美しく耳朶を打つが、しかし俺はそんな彼女の声が二重に聞こえることに遅れて気づく。


「あ、そういえば【思念話】を切り忘れていたな」


 あの同じ人類と勘違いしてしまった〝緑の人〟にたいして使った【思念話】の術式によって彼女の言葉が彼女自身の母語と俺の母語である帝国語の二重に響いているのだ。


 それ自体はいい。


 問題は、二重に響くもう片方の言語が俺の知るいかなるそれとも符号しないことだ。


「……外国、人……?」


 いや、もしかすると俺自身が外国にいるのかもしれない。


 少なくともこの場所が帝国内であるとは思えなかった。


 だとすればここはどこなのか──


「……あの、聞いてます? 一体あなたは何者なのでしょうか?」


「あ、ああ。すまない──」


 考え事に没頭してぼんやりしていた俺へと向けられた少女の呼びかけに俺は我に返ってそう謝罪し──遅れて重傷者であるはずの少女が立っているのに気づいて血相を変えた。


「いや、なに立っているんだよ⁉ 君は怪我人なんだから安静にしないといけないだろ‼」


 慌てて少女の方へと俺が駆け寄る中、少女はひょいと肩をすくめてこんなことを宣う。


「ご心配なく。回復薬ポーションを飲みましたので」


「ぽーしょ……?」


 イイながら少女が右の手指で挟みこむようにして掲げてみせたのは、中身のない小瓶だ。


 そんな小瓶を見せられて、大丈夫、と言われても俺には信じられなかった。


「なんかの民間療法か? それとも痛み止めの類? どちらにせよ、そんな薬一つであれほどの怪我が治るはずないと思うが……」


 そう、もっともなことを告げたはずの俺に、しかし少女は怪訝な表情を浮かべる。


「………? 何を言っているのですか? 回復薬ですよ? 光属性の法術がかかったこの水薬を飲めば傷など一瞬で治るに決まっているでしょう」


「は? え?」


 光属性? 回復???


【思念話】の術式が不具合を起したのだろうか、そんな意味不明な単語が並んだことに俺は疑問し、たいする少女も俺との話がかみ合っていないことに首をかしげていた。


「……それよりもあなたは何者なのでしょうか。少なくともこの国の方ではありませんね?」


 怪訝にこちらを見やってそう問いかける少女に、俺も困惑しながら返答を返す。


「あ、ああ。俺は帝国の猟兵だ。名はミコト・ディゼル。年齢は17歳。種族は人間種で、人種としてはアーベル人と暁都あきと人の混血にあたる」


 帝国ではごく一般的な自己紹介としてそう自分の身元を明かす俺に、しかし少女はますます困惑の表情を浮かべていた。


「帝国……? それは大魔帝国のことでしょうか? だとすると、あなたは魔族なのですか?」


「いや、ダイマ帝国ってどこだよ? 帝国っていったらこの世で一つしかないだろ」


 俺の知る限り〝帝国〟の国号を名乗る国は、俺の祖国以外に存在していない。


 それこそどれほど極貧の発展途上国であっても〝帝国〟と言えば一つの国を表すということは五歳に満たない幼子でも知っているようなことだ。


 実際、少女も俺の言葉に肯定するよう頷き返してきて、


「ええ、そうですね。帝国といえば、この世では大魔王が治める魔族達の国のみです」


 だが、彼女が告げた言葉は、俺の予想とは大きく外れたものだった。


「??? すまないが、さっきから君はなにを言っているんだ?」


「それはこちらの台詞です。先ほどからあなたは何を言っているのですか?」


 お互いにお互いの顔を見合わせる。


 そうして場に沈黙が流れる中、俺はしかし少女とのやり取りを経て、どうも自分が致命的な勘違いをしているのではないか、と思うようになってきた。


 いや、最初から違和感は覚えていたのだ。


 それまで魔獣との死闘を繰り広げていたはずなのに、目覚めたら謎の洞窟にいたこと。


〝緑の人〟といい、あの黒い獣といい、どうにも俺の知る知識には存在していない【妖魔】の類や、そもそも見たことのない植生の森といった数々の光景。


 極めつけは、例え星の裏側にいようとも絶対に通信相手へと繋がるはずの加護機による通信機能が繋がらないことだ。


 そこまで思い起こして俺は、まさか、という思いに駆られる。


「なあ、一つ聞いていいか?」


「……一つだけなら」


 明らかにこちらを不審人物だと思っているようなまなざしで俺を見やってくる少女に、心苦しさを覚えながらも俺はそれを問いかけた。


「ここはどこだ? できれば大陸の名前と国の名前も教えてほしい」


 端的にそう聞いた俺に、はたして少女の答えは、


「ここは人類圏〝神聖大陸〟にあるブレストファリア王国は〝黒き森〟となります」


「神聖大陸だと……?」


 どちらも聞いたことがない大陸と国の名前だ。


 いや、国の名前に関しては俺もすべて把握しているわけではない。


 だが、大陸の名前となると、だめだ。


 神聖大陸なんて、そんな名前の大陸、俺は知らない。


 知らないが、でもそれを聞いたことで今まで抱いてきた違和感がすべてつながる。


 しかし、それは絶対にありえない結論だ。


 荒唐無稽と言ってもいい。


 どちらかと言えば理学小説レジエンス・ストラクシオンの題材となるような内容で、虚構の物語だからこそあり得る現象であるはずなのだ。


 でも、だけど。


 目の前の現実は否定しようもなかった。


「まさか、ここは──」


 愕然とした面持ちで、俺はその認めがたい〝現実〟を口にする。



「──異世界、なのか」



 そう呟き洩らす俺の目の前で、少女は理解できないというように首をかしげていた──

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