第46話 情報工作

 札幌に帰って、僕らは全員が忙しい日々を過ごした。道地君も僕も仕事を溜めていたし、秋葉は本格的に<ヨミ>で記事を書き上げに掛かったのだった。


 及坂は、よく分からない。


 義堂君の話では例の呪い返しはその「機能」を果たした、らしい。が、それが何を意味するのか僕にはよく分からなかった。


「呪い返しってものは呪いそのものとそう違わないもんです。ボクシングだって、ストレートだろうがカウンターだろうが飛んでくるのは拳でしょう。それと似たようなもんです」


 清澄な空気の真言宗洞照寺の縁側で義堂君が語った。空は晴天。あの日の騒ぎは何処へやら、今は胡座を掻いた僕と義堂君がいるのみだ。

 

「機能した、ということは分かるものなのかい」


「俺には分かりません。呪い師が言うことにゃ、ですよ?」


 義堂君が懐からスマートフォンを取り出して画面を見せてくる。一対一のLINEのチャットで、相手は「故谷希里子(こたに きりこ)」と表示されている。その故谷が、「OK!」という可愛らしいドット絵のスタンプを送信したのを最後にやり取りは途切れていた。


「……これが、呪い師の言うことにゃってこと?」

 

 拍子抜けしたような気持ちで尋ねると、「です」とスマートフォンをしまいながら答える。「奴、ちょっと変わってるんですよ。ま、呪い師なんてまともな人間がなるもんじゃありませんがね」


「にしてもスタンプ一つでねぇ……」

 

「保証はしますよ。用もないのに連絡を寄越すような奴ではないので、このタイミングでこういうものを送ってくるってことは、つまりそういうことなんでしょう」


「まあ……うん。それは、分かった。分かったことにする。で? どうなるの?」


「及坂に纏わり付いていたものは、元の場所に返っていったことでしょう……還るんじゃなくて、返る、ですがね」


 義堂君の言わんとしていることは分かる。還るのではなく、返る――放たれた弾丸は、弾倉に還ることはない。


「けど、<ミトリさま>は及坂さんだったんだ。彼女が呪い師で――呪いの発生源のうちの一つだった。その場合はどうなるんだ? 及坂さんに近づいていたものが、むしろ及坂さんに近づくような気がするんだけど」


「<ミトリさま>のことは兄貴から聞いてます。まあ心配は要りませんよ」


「……どうしてだい?」


「進さんは大きな勘違いをしているんですよ。及坂に近づいていた何かは、そもそも進さん達のいう<ミトリさま>とは違うんです。それが何かは分かりませんがね……。とはいえ、及坂にしたってこれで安全というわけでもないでしょうな。彼女はあまりにも深い繋がりを持ってしまった。一度持った繋がりは薄れこそすれ消える性質のものではありませんから」


「じゃあ、また及坂さんが<くねくね>に追われることもあり得ると?」


「あり得ますね。……ですが、そうはならないかも知れない。ま、今後の彼女次第でしょうな」


 その日の別れ際、僕は大事なことを一つ聞き忘れていたことを思い出して、見送りに門まで出た義堂君に尋ねた。


「呪いはどこへ返っていったんだろう?」


 すると、義堂君は笑って言ったのだった。


「検討も付きません」


 *


 

 一月もしないうちに、<ミトリさま>はバズった。


 よく考えたら、何を以て「バズった」と言うのか。


 SNSのことを、僕はよく知らない。が、まあTwitterのトレンドに昇り、TiktokやYoutubeでは<ミトリさま>を実演するような動画が一種の流行になったのだ。これはバズったと言って相違ないだろう。


 尤も、この賭けに勝つために僕が細工をしなかったわけではない。僕は勝ちの薄い賭けにも乗る性分だが、勝つために黙ってサイコロが転がるのを見ていることはしないんだ。


 <ヨミ>が掲載した<ミトリさま>は、元々その奇異な体験談の面白みとリアルさが相まってそれなりにクリック数を稼いだコンテンツではあった。だから、僕がやったのは<ヨミ>の記事を一時的にでもTwitterのトレンドに載せる風速を与えただけだ。


 僕は、Twitterのアカウントを使い捨てのメアド――始めに及坂と連絡を取ったときに使ったものを含む――の数だけ取得している。何も悪いことに利用しているわけじゃない。その昔、ちょっとした研究目的でSNSのユーザーの動向……まあ他の業者のなりすましアカウントを調べていた時期があったのだ。それからは特に使い道も見当たらず、他のユーザーの呟きを模倣するAIに任せて人間らしい無害なBotとして稼働させていた。また、同じような運用をしている知り合いのBotオーナーに声を掛けて、協力を仰ぐ。


 その数が大体千に足らないほど。


 数で数えれば膨大だが、一アカウント毎のフォロワーは極少ないためエンゲージメントの数はたかが知れている。だから、この亡霊のようなアカウントに期待することは数だ。他人がパッと見た時、<ミトリさま>が少なくとも千人ほどの注意は惹き、拡散されているという客観的な印象さえあれば良かったんだ。


 そういうわけで実際的なエンゲージメントを稼ぐためには、何人かのインフルエンサーを買収しなければならなかった。狙い目はオカルト系の話題を取り扱うアカウントで、既にめぼしい所はリストアップしていた。ところが、BotでRTといいねのカウンターを回している段階でその殆どが<ミトリさま>に触れていることが分かった。そのため、計画で使う予算の多くは節約することができたのだった。


 そうして、僕はかいがいしく秋葉の連載を手助けしていたのだが、「南戸さん! 私の記事めっちゃバズってますよ!」と連絡が来た日には、我が子がようやく掴まり立ちをしたような、それでいて実は後ろから背中を支えていたような後ろ暗さを感じたものだ。


 それに、驚きもした。

 こんな単純なことでこうも上手くいくとは。


 そもそも、この計画はSNSを利用したInfo Ops(情報工作)の話から着想を得たのだ。以前どこかの講演で話を聞いたときにはそんなことで欺される人間がいるのかと訝しがったが、考えてもみればフォロワーを買う人間や悪意を持ってBotを運用する人間も広義では情報工作をしていると言える。


 気が付けば一ヶ月と一週間が経過していた。


 今年の雪は去年より遅いらしい。


 今のところ、<ミトリさま>の被害らしき事件の話は聞かない。<ミトリさま>はバズった。だが、バズったからと言って本来の目的が達成されたかは今以て分からない。確認する手段が無いのだ――と思われた。


 しかし、転機は訪れたのだった。以前及坂との連絡で使用していた使い捨てのメールアドレスに、「木戸です」というタイトルのメールが着信したのだ。


 ……僕に話があるという。


 待ち合わせ場所は、やはり以前及坂と話をした例の喫茶店だ。


 僕はコートを羽織って外へ出た。

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