第45話 札幌へ
海沿いのあばら屋へと帰る道中、少し話をした。
夜に沈んだ海は、大きなゼラチン質の塊になったかのような静かさだ。
「……私、これからどうしたらいいんだろ」
重い足取りの及坂が言う。
「明朝、札幌に帰るのさ」
「……。私の事を許すんですか?」
「許す? 僕が?」
僕は驚いて振り返った。と、そこで気が付いたのだが、僕は及坂の手を握ったままだ。というか、握られたままだった。
「責任――の話。私は、ナントさんに賛成で。……だから、犯人捜しをしてて。……じゃなくて、私がやったことにしたくなくって、……」
及坂の言葉は纏まらないまま解れて消えそうになったが、僕は辛抱強く彼女の言葉を待つことにした。何となく、彼女の口からきちんと喋らせるべきだと思ったのだ。
「……現実逃避、で……自分じゃなくて、誰かを恨む現実が欲しかった……から。こんな人間って、ナントさんは許せる――許してくれるんですか?」
「許すも何も、さっきも言ったように僕にその権利は無い。僕は人を裁くことも許すこともしないよ」
「権利が、無い?」
「まあ、僕が勝手にそう思ってるだけだけどね。これ以上僕の経歴で驚かすつもりは無いんだけど、僕は一度犯罪を犯しているんだよ」
及坂は、思ったよりギョッとしなかった。
今や彼女にとって僕という人間は謎の男だ。それに、彼女が自身の行いに罪悪感を感じている、ということもあるだろう。
「……で、警察に厄介になった当時は全然軽く考えていたんだけど、幸運にも僕の根性を叩き直してくれる優しい人がいてね。そのうち、僕は過去の行いを深く深く反省するようになった。僕は人を殺すようなことをしたつもりは全く無かった……けど、もしかしたら、赤の他人の人生を台無しにするくらいはしたかもしれない。――いや、きっとそうなんだろうな。そういうわけで、他人の行いに罰を下したり、許したりするのは、僕にとっては烏滸がましくて恥ずべきことなんだ」
「ナントさんは――それで、自分を許せますか」
「微妙だね」
僕は前を向いて歩き出した。右手を握っている及坂は何を言わずとも追従してくる。
「……許せていないってことですよね」
「僕にとっては、許すとか許さないとかじゃないよ」
「……」
「ただ、事実がそこにある」
「はい」
「あの時から、あの時のことは一度も過去じゃない。ずっと今に続いてて、影のように付いてくる。過去の自分は、今の僕だよ」
「……はい」
「及坂さん」
「はい」
「これは、碌でもない大人の当てにならない忠告なんだけど――さ」
「はい……」
「君は、まだ大丈夫だよ」
及坂が立ち止まって、僕たちは再び向かい合った。
「……どこが大丈夫なんですかっ……」
「君はまだ、一線を超えてはいないから」
「超えてますって。……井崎さん、私が死なせたんですよ」
「うん……でもさ」自分でも柄にないことを言っていると思っている。ただ、目の前の及坂が、少しだけ、過去の自分に似ている気がしたのだ。「超えてはならない一線ってさ、多分、前には無いんだよ」
頬を濡らしている及坂がよく分からない、という顔をする。
「例えば君が、何かの責任から逃げだそうとしたとき。後ずさって、降ろした足の先に、その一線があるんだって、僕は思うんだ。……だから、逃げちゃ駄目なんだよ」
「…………はい」
*
翌朝の出発は、まだ日の昇りきらない時間だった。何も木戸やこの村にすむ能戸たちの目を避けようと考えたわけじゃない。昨晩は四人ともが寝付けなかったんだ。何しろ屋根と壁はあるとはいえ窓の隙間からは普通の家とは比較にならないほど海風が吹き込んでくるし、毛布を被ろうにもまるで箸を折るような家鳴りが苛むのだ。……尤も、真っ当に体の疲れをどうにかしようと苦心したのは僕と道地君だけだった。
僕らと部屋を分けた秋葉は、夜を徹してパソコンを開いていたようだ。パソコンのバッテリーが無くなってからは、ポータブルバッテリーに繋いだスマートフォンで何かを打ち込み続けていた、という。彼女のタフさの根源は一体何なのだろうか?……また、及坂はと言うと、言葉少なに部屋の隅に横たわっていたそうだ。これは秋葉に聞いたことだが、寝息は一度も聞こえなかったという。昨晩の出来事を考えれば仕方の無いことだろう。
そういうわけで、僕らは特に事件も無く黙々と山道に入っていったのだった。――勿論、GPSは道地君に渡さない。前回の説明しがたい出来事を踏まえて僕らは他の三人の様子に注意を払い続けたが、村から出た砂利道は途中で途絶えていたが、知勢富町の極近い場所まで続いていたので、全く心配は無かった。
ただ一つ。GPSでは丁度中間辺りの道で、僕は少年を見かけた。木戸と一緒に暮らしていた、あの少年だ。空はようやく陽が差してきた頃合いだったが、彼はずっとそこに立っていたかのように、脇道の藪の奥に突っ立っていたのだ。
「あの子供――」僕の視線に気が付いた道地君が言った。「あの施設で見たな。あいつのガキか?」
「……さあね。木戸はあんまり所帯染みているような雰囲気では無かったけど」
「同感だ。確か、あの村の連中は戸籍が無かったり、世捨て人みたいな奴らだったな……だとすれば――」
「捨て子、か? 木戸が拾って育てている?」
道地君は鼻で笑って言った。「育てていると思うか? あの様子じゃ学校にもいってないだろ。人を育てるってのは、社会に入門させることを言うんだぜ。せいぜい奴の道楽か何かか……」
「同感だね。……保護するべきかい?」
「するにしても追々だな。今はトラブルを起こすべきじゃない」
僕らの後ろには、疲れ切った様子の及坂と大して疲れてもいなさそうな秋葉がいるのだった。
僕らがひそひそ話をしていると、秋葉が歩み寄ってきた。子供には気付いていないらしい。
「あの。結局どうするんですか? <ミトリさま>。刑事として」
道地君はうるさい蝿が寄ってきたかのように顔を顰めた。
「どうもしねえよ。道警に陰陽師がいるとでも思ってんのか」
「寺生まれの道地さんがいるじゃないですかぁ。どうするんですか? 寺生まれとして」
「どうもしないっつの!」
「ちょっとちょっと」秋葉は頬を膨らませて言い募った。「それじゃあドラマにならないじゃないですかぁ。現代の都市伝説<ミトリさま>バーサス都市伝説<Tさん>の子供!何かもう一つ、クライマックスに打って付けのアクションが欲しいんですけどねえ!」
「待て待て」道地君が慌てて秋葉を止める。「都市伝説の子供だと? それは誰のことを言ってるんだ? おう、コラ!」
道地君は今にも拳骨を繰り出しそうな雰囲気だが、秋葉は飄々として言った。
「だから、都市伝説の子供ですよ。強いて言えば、道地さんと南戸さんをモデルにしていますが」
「……何だとぉ? おい、こいつ俺たちを登場させるつもりらしいぞ」
僕は肩を竦めるだけに留めた。何しろ、そのアイディアを言い出したのは僕なのだ。
「架空の人物。フィクション! ですよ。道地さんは都市伝説が個人情報を持っているとでも思ってるんですか? 都市伝説には顔が無いんですよ。都市伝説には、アトリビュートだけ!……あれば良いんですから。何処其処に住んでる某さんが<Tさん>ですなんて、私達が書くわけ無いでしょうが。そんなことしたら夢が――アデッ!」
雰囲気だけかと思ったが、道地君は本当に拳骨を落とした。
「ひっ……ひどぉい!」
「人をオカルト扱いするんじゃねえ!……おい、あとりびゅーと? って何だ」と拳をさすりながら僕に聞いてくる。
「そうだな……<口裂け女>で言うところの裂けた口。<ツチノコ>で言うところの膨れた腹、とかかな。簡単に言えば、その持ち物や特徴だけでそれと特定できる属性のことだよ。というか、多分その意味で言ってるんだと思う」
「ふーん」勉強になった、という表情で鼻を鳴らす。
「ひどい! ひどぉい!」
「うるせえなあ。そんなに強く殴っていないだろうが!……大体、俺が何をしないと言っても、このまま<ミトリさま>を看過するつもりはないっての」
「えっ!? えっ? えっ?」秋葉はさっきまでの痛がりようは何処へやら、また口うるさい調子に一転する。「それってどういうことです?」
「相棒が一案腹に抱えてるらしいからな」親指で僕を指して言う。「寺生まれとして、それに乗っかるんだよ」
「え? 南戸さんが?」
「……どうするつもりなんですか?」
僕らの中に、青白い顔をした及坂が割り込んできた。
「<ミトリさま>をバズらせなくっちゃいけないかな。取り敢えずは」
「は?」
三人が呆気にとられた表情で僕を見た。まあここで説明しても良いのだが、多分理解が難しいし、何より上手くいくかどうかは分からない計画だ。
結果はご覧じろ――と言いたいところだが、そこまで胸を張れるようなものでもない。下手をすれば、今よりももっと状況が悪くなるかも知れない。
気が付けば、少年の姿は見えなくなっていた。
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