第44話 嘘と罰

 道地君が井崎真の周辺関係を探ったとき、及坂の名前は出てこなかった。……井崎真は、派手目な女子生徒で、スクールカースト上位の生徒だったんだ。


 及坂は、修学旅行に行かなかった。


 僕はそういう事実を軽視していたのかもしれない。考えれば分かることだったんだ。


 僕が井崎真の親戚を騙っていたように、及坂もまた彼女の親友であることを騙っていた。


 つまり、僕が及坂を釣ったように、及坂もまた僕を釣っていたのだ。僕らが出会ったあの時、あの喫茶店、あのテーブルに、正直者は一人としていなかった。


「……ははは」及坂の代わりに口を開いたのは木戸だった。「なるほど、なるほど。そういうわけか」


「及坂さん」木戸の声を無視して及坂に語りかける。「君が、<ミトリさま>の儀式を行ったとき、井崎の死を願ったんだね?」


「……す……そ……う、です」


 及坂は苦悶の表情で告白した。すると、スイッチを入れたように彼女の肩がガタガタと震え出す。


「真――井崎さん、は……だって……」


「あなたをいじめていた? 無視された? 暴力を振るわれた?」木戸は悪質とも言える言葉を彼女に貸し出そうとする。とはいえ、それは僕が大方予想していることでもあった。「あなたは、その子を恨んでいたんでしょう?」


「違うっ!」


「……違う?」


 ここで、始めて木戸は虚を突かれたような顔をする。


「私――ナントさん。私、ナントさんが嘘を吐いてるなんて、全然疑わなかった……だって、ナントさんの話す井崎さんの人柄、違和感なかったから……」


「……」


 違和感が、無い?


 僕は細かく目を瞬いて頭を回した。


 確か――僕が始めて及坂に会ったとき、こんなこと言った筈だ。「真は人に恨まれるような子じゃなかった」……その場で適当に思いついたことだ。学校でどんな人柄であったとしても、親戚の目というものは大抵身内に甘いものだから。


 そこに、違和感が無い。


「井崎さんは、不登校の私にプリント届けてくれて」


「……ああ」


「私の、一人だけの話相手で……友達だったんです」


「……ん?……ん?」木戸が不可思議とでも言うような表情で首を捻る。「じゃあ、どうしてあなたはその子を呪ったの?」


「及坂さんは、井崎さんを呪おうと思ったわけじゃないんだね」


 及坂は肩を震わせながら頷く。


「君が<ミトリさま>を知ったとき――興味を抱いたとき、呪える対象が井崎さんしか、いなかった――」


「だって、これが本物の呪いだって知らなかったから!! インターネットにはこんなのがあるって、今度会った時に話そうと思ってたから!!」及坂は堰を切ったように叫びだした。「人に悪意を向けることが、こんなに恐ろしいことだって知らなかったから!!……ナントさん!!」


「……」


「その人が――その女が井崎さんを殺したんでしょう!? その女が!! ナントさん!!」僕の名前を叫びながら、ブレザーのポケットからくしゃくしゃになった紙を寄越そうとする。「お願い! 罰を与えてよ!! 大人なんでしょう!?」


 僕は握り絞めた及坂の手からその紙切れを受け取った――そこには、<ミトリさま>の儀式に使う例の図式が描かれていた。


「ねえ、及坂さん」飄々とした木戸の声が聞こえた。「井崎さんを殺したのは、あなたなのよ。いいえ、あなたが殺したというのも語弊があるかもしれない。<ミトリさま>の全員が、全員の承諾を以て一人一人が井崎さんの首に巻き付いた糸を手繰るようにして殺したのだから。あなたが殺したというのも事実だけれど、その事実すらゼロに近い程分散されるのだから」


「うるさいっ!! ナントさん、お願い……お願いします。<ミトリさま>になって……」


 <ミトリさま>になる――か。僕が、元凶を呪うために<ミトリさま>になる。木戸を、僕の意志で呪い殺す。これもまた一つの自業自得の形ではないだろうか。


「悪く無い考えだ」


「何ですって?」


 木戸の声に、明らかに狼狽の感が混じった。

 

「悪く無い考えだと言ったんです。僕にはあなたが悪人だと言い切ることは出来ませんが、あなたが公共の利益に反することは確かだと思いますから」


 そして、僕は<ミトリさま>の紙切れを丁寧に折りたたんでポケットに入れた。


「――だけど、残念ながら僕に人を裁く権利は無いんだ」


「……ナントさん……なんで……?」


「木戸さん」


 僕は木戸に向き直って言った。


「……何でしょう?」

 

「あなたは、確かに一人当たりにかかるコストや信頼性を分散させる処刑の仕組みを作りましたね。ですが――責任はどうなんです? それは分散されますか?」


「さっきも言ったように、人を殺したという事実そのものすら<ミトリさま>は分散するのです」僕が<ミトリさま>にならないと分かって、また冷笑的な木戸が戻ってきた。「責任? それこそ、誰も持つことは無いんですよ。誰かが責任を持つとしても、それは微少に分割された、道にポイ捨てをした程度の責任でしょう」


「僕の考えは違います」僕は、震えている及坂の手を握って言った。「世の中には、決して分散できない性質のものもあるんですよ。コストや信頼性とは、断じて違う。人の死を願うことの責任は、絶対に、小分けに出来ないものなんです」


「見解の相違ですわね」木戸は肩を竦めて言った。「それに、それを検証する手立ては、残念ながら私には思いつきません。南戸さんが考えてくださる?」


「嫌だね」


 僕は及坂の手を引っ張ってその場を離れた。

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