第39話 木戸の目的
「叔母?」
「ええ。この村まで足を運んだあなたたちなら<ミトリさま>の伝説はご存じでしょう? 脱北者の医師と、彼に恋した看護師の悲劇ですよ。あの話の結末は?」
「……看護師を追い出した後の村には、黒い人影が現れるようになった。そして、次々と……」と秋葉が答える。
「ええ。そうです――その続きのお話をしましょう」
「続き? <ミトリさま>の話に続きなんてあるんですか?」
暗い関心を湛えて尋ねる秋葉に「ええ」と木戸は続けた。「続きはあります。あの話は『めでたし、めでたし』で終わるおとぎ話ではなく、実際にあった話で……村を追われた看護師は生きていたのですから」
「看護師……そもそも、そいつが最初の<ミトリさま>だったんだっけ?」
「ええ。看護師は正真正銘の、天然の呪術師だったのです。村を追われた後、彼女は何時かの時点でこの<留巌村>に陰惨な呪いを掛けました。……それが、ある種の系統だった呪法だったのか、彼女の凄絶な怨恨が新たな呪法を産み出したのかは分かりません。ともあれ、彼女の呪いは実際に村人たちへ作用したのです。村人たちは黒い人影に誘われるように……若しくは寝ている彼らの足を黒い人影が引っ張っていくようにして山の中に、海の中に消えていき、次々と陰惨な死体に変わっていったのです。ある人は捩れて木に引っ掛かって、ある人は風船のように膨らむほど海水を飲んで……恐慌に陥った生き残りの村人たちは次々に隣町へと居を移し、いつしか死んだ医師と消えた看護師は忌名として囁かれるようになりました。――<見操様>。それを見たら体を操られる――生き残った村人たちが看護師をそう呼ぶようになったのは一体何時からなのでしょうか? 彼らは次々と死体に変じた村人を誘うあの黒い影を、看護師そのものの怨念とでも思っていたのでしょうか」
「……最初の<ミトリさま>の話は分かった。しかし、それがどうして今の世の中に現れた? 天然物の呪術師なんてそう世の中に現れるものじゃないだろう」
また、木戸が笑い出す。今度は道地君の言葉に笑ったといよりは、とんでもない笑い話をふと思い返したような唐突さだった。
「それが全く愉快な話でね」鼻を擦って続ける。「村を追われた看護師は妊娠していたのです。看護師の子がどこで産まれ、どこで育ったかは私は知りませんが、やがて子は成長し、天然の呪術の血縁を北海道の大地を根城に拡げました。……やがて、私の母と、叔母が産まれたのです」
「つまり、あんたは一応呪術師の家系なのか」
「ええ――ところが、私達の家系でかつて看護師が持っていたような呪術師としての力を受け継いだ子は誰一人いなかったのです。……叔母はちょっと夢見がちな少女がそのまま大人に、老人になったような人で、自分は呪術師だと周囲に喧伝していたようですがね。それでも少しは呪術的な素養はあったようで、夢見がちな人々を集めて宗教法人を設立しました。今私達が話しているこの建物も、当時叔母に熱狂した人たちが作った、小さな小さな宗教施設の一つなのですよ」
「じゃあ、アンタが叔母の跡を継いだと?」
「今の<留巌村>の有様を見て、そう思いますか?」
道地君は閉口して木戸に続きを促した。
「既に、叔母が作った宗教法人は瓦解しています。まだこの村に残っている人は戸籍が無かったり、家族から縁を切られたり、前科があったり……有り体に言えば行き場のない人たちです。――それに、私は叔母のような夢見がちな少女ではありませんから」
そういって、また押し殺した笑い声を挙げる。木戸は明らかに叔母を侮蔑しているようだ。彼女に取っては「夢見がち」だった叔母の人生が、愉快で堪らないらしい。彼女と叔母の間に何があったのかは知らないが、その様子が悲しみを覚えるほど不快だった。
「じゃあ、あんたはここで何をしている?」
「研究ですよ。私は叔母とは違います。……だから、私の理論で<見操様>を作ることにしたんです」
「……」
私の理論で<見操様>を作る――晴れやかな顔で告白する木戸の狂気が、遅効性の毒のように血管に浸潤していくようだった。
こいつは――この一族は何かがおかしい。何かがずれている。人としての柱が、決定的に食い違っているのだ。道地君も、及坂も、秋葉ですらも、今目の前で喋っている人間の笑顔の底に途方もない残忍さが潜んでいることに、静かに怯んでいる気配が伝わった。
「――その理論とは?」
道地君に変わって、今度は僕が質問番だ。
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