第38話 留巌村の謎

 建物を出てからは丘の上の、犇めく家々と海を見渡せる草原に座り込んでいた――いつの間にか、海の汀の方で空と海の輪郭がぼんやりと滲んでいる。まだ日は高いが、太平洋の向こうからは雄大な夜が近まりつつあった。


 ふと、村の入り口に数人の人間が立っていてこっちを見ている数人に気が付く。その内の一人が「おーい」と一人が手を挙げて見せた。


「……秋葉さん?」


 先頭を歩く秋葉が、転がり落ちるように丘を滑り降りてこちらに駆け寄ってきた。続いて、同じく疲れ切った様子の道地君と及坂が合流する。山道を転がり落ちたり全力で駆け上がったりした僕にしてもそうだが、皆服のあちこちに土ボコりや草を潰した緑いろの染みが付いていた。


「心配したぜ。突然いなくなっちまいやがってよ。危うく救急隊でも呼ぶところだったんだ」


 じんわりと汗を流す道地君が言った。


「……悪かった。道地君の言うとおり、この山は変だよ。ちょっと妙なことがあって、それで道を外れてしまったらしい――にしても、ここまで来るのに結構時間が掛かったみたいだね」


「私たちも道に迷っていたんですよ」


 及坂がうんざりした顔で言った。


「道に迷ったって? 僕のGPSは?」


「道地さん、GPSの使い方分かってなかったみたいで。ずっと方位磁石の東を目指して無茶苦茶なルートを歩いていたんです。それに気が付くのにしばらく掛かって……」


「ああっ……」


 ……忘れてた。ハイテク機器は道地君の大いなる弱点なのだ。最近スマートフォンを小粋に使っている印象があったのでうっかりしていた。


「そこから及坂さんと私が道地さんにGPSの使い方を説明して数十分立ち往生したんですよね。しかも、何故か道地さん逆ギレするし。結局私がGPS見てここまで先導してるし」


「……うっせえな! 結局東の方にあったんだから結果オーライだろうが! 大体色々数字やら方角やらが並んでて分かりにきーんだよバカタレ!」


「秋葉さん、僕のGPS返してくれる?」


「はい」


 僕は秋葉からGPSを受け取って腕に巻いた。


「……で? ここは一体何だ? ちらちらと妙な連中が俺たちを見ているようだが――」


 道地君は先程までの怒りをすっかりうっちゃって、けろりと不審そうな表情に切り替えた。


「ちょっと……また変なことを言わないでくださいよ。こんなところに人なんているわけないじゃないですか」


「よく見ろ。あっこに釣りしてる奴がいるだろ」


「あっ……! あれえ!?」


「南戸さん、<伝道師>はいたんですか?」


 道地君と秋葉のやり取りを押しのけるように及坂が尋ねた。


「ああ――見つけた」


「本当か!? どこにいる?」


 僕は例の白亜の建物を指差した。


「もう道地君達のことは話している。さあ、行こうか」


 僕が先立って歩き出すと、三人は戸惑いながらも付いてきた。


 *


 建物に戻ると、<伝道師>は玄関口で待ち構えていた。彼女はまるで使用人のような立ち振る舞いで僕らに礼をすると、左手を廊下に向けてある一室に案内した。


 通された部屋は会議室……というより、ちょっとしたカフェの個室という感じだ。真ん中には簡素な木造のテーブルと椅子が四脚。真っ白なクロスが皺無く掛けられている。僕らが椅子に座ると、<伝道師>は一言も話さずお茶の入ったコップを出して、自分は別の部屋から持ってきたらしいオフィスチェアを転がしてそこに座った。


 道地君達三人は困惑しているように視線を交わし合わせていたが、ふとその理由に思い当たって「この人が僕らの探していた<伝道師>だ」と言った。


 僕の言葉に激しく反応したのは及坂だった。やにわに腰を引いた彼女は椅子の脚を床に擦らせて大きな音を響かせる。秋葉は興奮した面持ちでコップのお茶を一口に飲み干した。


 右眉だけをくいと上げた道地君が言う。

「ほう。……で? どういう話になっている?」


「話を聞かせてくれるそうだ。そうでしょう?」


 <伝道師>に話を向けると、彼女は「ええ」と答えた。「……先に言っておきますと、あなたたちが探している<伝道師>という人間が私のことを指しているのかは分かりません。……私が自分で名乗っているわけではありませんから」


「じゃあ聞くが、あんたは何者なんだい」


 腕を組んだ道地君が刑事らしく質問役に回ったようだ。


「木戸と申します。何者かとおっしゃられても、今は定職に就いているわけではありませんから……」


「今はっていうと、前の職は?」


「研究職です。JIN研究センターで、ネットワーク関係の研究を」


「ほお」と思わず声が出た。道地君が目線を送ってきたので補足する。「国立の研究機関だよ。情報通信を主に取り扱っている……国内ではトップクラスだ」


「エリート科学者ってわけだな」と道地君はシンプルかつ的確に解釈した。「で、そんなとこの科学者さんがなんでこんなへんぴなとこにいるんだ? 世間に擦れて新興宗教でもおっぱじめたってのか」


 途端に木戸ははすっぱな笑い声を挙げた。その笑い声に追従する者はおらず、部屋に一人の女性の嬌声が響く。


 ふと及坂を見ると、ちょっと恐怖を覚える程眼を見開いて木戸を見ている。


「世間に擦れたというのは間違いではないかもしれませんね。ですが、ここに<ミトリさま>を信じる人々を集めたのは私ではありません。――私の叔母なのです」

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