第35話 霊山歩き

 やがて、名も知らぬ山に突き当たり僕らはバンから降りた。通行止めを示す赤い罰印と、黄色いフェンスが行く先を阻んでいる。よく見るとそこでアスファルトは途絶えていた。


「さて、いよいよ山歩きの時間だぜ」


 道地君が上半身を伸ばしながら元気に言った。既に朝七時を回っている。長時間の移動でストレスが溜まっていたのだろう。如何にも気持ちよさそうに、山道入り口のポールに体重を預けてアキレス腱を伸ばしている。


「やっぱし、刑事は歩かなくっちゃいかんな」


「歩くったって、道地君。そのスーツで山を歩くつもりかい」


「安心しろ。これは安もんだからよ」

 

 そういう問題ではない気がするが、まあ靴は底の高いブーツだし多分大丈夫なんだろう。


 僕らより遅れて秋葉が運転手席から降りてきた。流石に長時間の運転で疲労したのか、足がもつれ掛かっている。


「秋葉さん、大丈夫ですか?」


「大丈夫大丈夫」そう言いながらぐっと背中を反らすと、僕にも聞こえるくらい関節が鳴った。「ぐああ。疲れたあ……でも、こっからが本丸ですからね。気合い入れてかないと」


「なんなら車ん中で寝ててもいいんだぜ」


 道地君が笑って言うと、怒ったように頬を膨らます。


「んなわけにはいきません。ここで鼾かいてたら<ヨミ>の記者失格ですって」


「伊代にも怒られるだろうしね」


 スマホのGPSが正常に起動していることを確認しながら僕も茶々を入れた。

 

 正直道中の出来事で心がざわついているのだが、秋葉がムードメーカーとして機能していることは否めない。


「怒られるなんてもんじゃありません。マジで殺されますよ。……そういえば、そろそろ冴羽さんに連絡でも――ってあら、圏外だ」


 僕も釣られてスマホを確認したが、確かに圏外になっている。まあ、GPSは動いているしさして問題は無いだろう。


「及坂さんは平気かい?」


「私ですか? 私は途中まで眠れたので……」


「そうじゃなくてさ。これからいよいよ伝道師と会うわけだし、言うなれば及坂さんを呪った当事者と会うわけだよ。怖くないのかい?」


「……怖いです。ここまで来るのにも変なことがありましたし。でも、本当にこんな山の向こうにいるのでしょうか」


「多分いるぜ」


 道地君が木立を眺めながら言った。


「この山普通じゃねえよ。途中、廃屋に集まっている奴らがいただろ。あれは<ミトリさま>とは関係無い、この土地に縛られている連中だ。何というか、ここにはそういうものを呼び込んで離さない引力があるようだな」


「……ってことは、ここってマジの霊山ですか!?」


 秋葉は予想が的中したことに興奮して、俄然元気を取り戻している。

      

「飯を食ったら出発だ」


 *


 通行止めのを超えて山に踏み込むと、平地からはそうは見えなかったのに一気に傾斜がキツくなったように感じられた。僕らが歩いているのはとても人が通っているとは思えない草が生い茂った道だ。それでも後続の僕たちは道地君が草を踏み倒していくお陰でまだ楽な筈だった。


 朝であるのに、背の高い木々が影を作って辺りは鬱蒼としている。時折葉の隙間から差す光が目に染みて、それが朝日だったと思い出す程だ。入山前の心のざわつきは、険しい山道のためにシンプルに頭から排除されていた。


 ただ、前を行く道地君の足が草を潰す様を眺めながら山を登る時間が続く。道地君はやはり余裕があるらしく鼻歌を歌いながらすいすいと登っていく。


「おい、方向は合っているか?」


GPSを確認して、目的の座標――<留巌村>にまっすぐ向かっていることを確認した。

 

「ああ、問題ない。この調子で進もう」


「後ろの二人は――おい、一人いないぞ」


「え?」


 振り返ると、僕から二メートル程遅れて及坂の脳天が見えた。その後ろを歩いている筈の秋葉の姿が無い。


「及坂さん、秋葉さんは?」


「後ろに――あれ?」


 及坂も振り向いて不思議そうな声を出した。


「変ですね。すぐ後ろから足音が聞こえてたから、すぐ後ろを付いてきていたと思っていたんですけど……」


「おい、まずいぜ。秋葉の奴GPS持っていないんじゃないか? 下手すりゃ遭難だぞ」


「……」


 僕らの間に不穏な空気が漂った。


 と思ったら僕のすぐ横の木立から秋葉かひょっと姿を見せた。


「あれえ? 皆こっちにいた」


皆一様にほっとした息を吐く。

 

「おいおい。驚かすんじゃねえよ。山探しは勘弁だぞ」


「いや、だって今……あれえ?」


「荷物にリードでも入れておくんだったぜ。おい、お前ちょっと後ろを歩いてくれよ。大人が見張っとかなくっちゃな。GPS貸してくれ」


「ああ。分かった」僕は腕時計を道地君に渡して、秋葉と及坂を先導させた。

 

「私だって大人なんですけど」


「だったら口を閉じて歩くんだな」


「ったくもー……ちょっと、後ろに砂飛ばして歩かないでくださいよ」


 そんな二人のやり取りが延々と上から聞こえてくる。


 僕は、ジャージを脛まで捲った及坂の白い足を眼前に見据えながら黙々と登り始めた。


 森の暗さは、一層深くなっていく。


 *


 じわじわと一定のペースで登っていたと思っていたのだが、途中から及坂の白い足がふっと数メートル先に離れた一瞬があった。かなり疲れが溜まっていたのでいつの間にか遅れていたのだ。


 慌ててペースを上げて追い縋るが、どうしてか及坂の足は自分の影を踏もうとするようにするすると視界から抜けていく。道地君が急いでいるのだろうか?


 土が崩れている斜面を滑りかけて、手近な木の枝を掴み体を引っ張り挙げ、登った先の木立の暗がりの中に及坂が立っている。


(いや)


 ――あれは及坂ではない。


 僕が追いかけていた白い足は、木立の前に画像を合成したように膝の上が無かったのだ。その足は僕に何を訴えるのでも無く、ただ僕が追いつくのを待っていたように見えた。


 それを認識した途端、僕の腹筋がガタガタと震え出す。


「うっ――」


 思わず後ずさった右足が土を踏み込んだ途端、そこがあっけなく崩れて体勢を崩した。そこから文字通り二転三転と山道を転がり落ち、何転か目で意識が消失した。

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