第34話 高速道路の体験

 二時間半が経過した頃だろうか。


 流石に助手席ということもあって頑張っていたが、ヘッドライトが照らす白線の数を数えている内に、ふっと意識が途切れる瞬間があった。深夜と言うこともあって前にも後ろにも車はいない。


 車が揺らぐ感覚で目が覚めた。秋葉を見ると青い顔でアクセルを緩めている。


「スピードを落とすな」


 いつの間にか目覚めていた道地君の声が後ろから聞こえた。


「で、でも今……」


「アクセルを踏むんだ。速度を緩めたら近づいてくるぞ」


 僕は後部座席を振り返った。「どうしたんだ?」


「来たらしい」


 道地君はむっつりと腕を組んで前を見ている。及坂は目を見開いて窓ガラスに張り付いていた。


「今、誰かが道に――」


 及坂が呟いた瞬間、彼女の目の前のガラスがドンと揺れたように見えた。

 

「ひっ」


 及坂が息を引きつらせて飛び下がる。道地君は腕を組んだまま動じない。


「……速度を上げれば良いんですね?」


 秋葉が息を呑んで訪ねる。


「上げるんじゃない。戻しゃ良いんだよ」


 秋葉はやや前傾姿勢になってじわりと車を加速させた。


「安心しろ。義堂の寄越した呪い返しは本物らしい。こっちが過剰に反応しなきゃ入って来ねえよ。変なことがあっても知らんぷりして、次のサービスエリアで止めろ」


「……次のサービスエリアに何かあるんですか?」恐る恐る秋葉が尋ねる。


「いや」


 道地君は座席を倒して両腕を後頭部に回した。


「しょんべんしてえ」


 *


 車を山中のインターで停めてから、音がなった窓ガラスを見てみると人の手形らしきもの跡がぐっとテールランプの辺りまでの土埃を拭っている。手形は車の後方に向かうに連れて一本の滝が分流するように五本へと開き、途切れる間際には引っ掻いたような跡を残していた。


 駐車場の灯りの下で、秋葉は呆然とその証跡を眺めていた。


「うわー……やっばい。これ……やっばいっすねえ……」


「どうやら危なかったらしいね……しかも、社用車に傷が付いてるし」


 突然秋葉に背中を叩かれた。


「そんなの、<ヨミ>の車に取っては勲章ですよお。及坂さーん。及坂さーん」


 車中でぼーっとしていた及坂が「ん?」と、寝不足の顔で窓を開きかける。


「あ。待って待って。窓開いたら手形消えちゃうんで。ちょっと写真撮らせてください」


「な……なんなんですか?」


 開きかけた窓から及坂の呆れ返った声が聞こえてきた。


「ちょっと怖がるような表情で。……あ、あと例の呪い返し持って。はい。あ、握るんじゃなくって、もっと見えるように……はい、チーズ」


 なにが「はい、チーズ」だ。


「あいつ案外タフだな」


 ベンチで煙草を吸っている道地君が言った。


「タフと言うよりは……まあ、秋葉さんがドライバーで良かったよ」


 こうして、空に朝日が滲み始めたのだった。


 *


 豊富――稚内から少し南に下った町に入ってから、三つ目のインターで高速を降りた。ここからは進路を東に取り、知勢富町へ向かう。尤も、町とは名前が付いているもののカーナビの表示にその名前は無く、だだっ広い緑色の上に蜘蛛の巣のように国道が入り乱れているだけだ。


 さっきの恐怖体験もあってか、陽が昇ってからは誰も眠らなかった。この辺りは道路から見渡す限り山に囲まれた緑地だ。と思えば草木の中にぽつんと古い建物が建っていたり、食品会社の年季の入った倉庫が建っていたりする。道路沿いに家があるかと思えば玄関の敷石がバラバラに砕かれており、殆どの窓ガラスが割れていた。


「この様子だと、知勢富町に人が住んでいるとは思えないな」


「ですね。そもそも知勢富町って四年くらい前に隣の区に編入したんですよ」


「消滅集落か――分からんぜ。案外ここらの爺さん婆さんは近くの商店なんかに頼って生活したりするもんだからな」


「商店なんかあるかな?」


「なきゃあ、どっからともなく移動販売がやってくるもんだ。それに元々林業やってたんだろ? まだそういう関係で人の出入りはあるかも知れない」


「ふーん……」


「――伝道師も、そういう風に生活しているんでしょうか」


 及坂が誰に聞くわけでもなく呟いた。


 確かに、インターネットで暗く囁かれていた伝道師が、普段は移動販売に頼って暮らしている老人というイメージはいまいちそぐわない。それも<留巌村>は<知勢富町>からさらに西、山を越えた場所に位置しているのだ。普段の生活は全く想像外だ。


「まるで仙人だね」


「霞を食って生きているとでも言うのか? 人間ってのは、生きる意思さえあればどうにでも工夫するもんだよ。要は水と食料がありゃいいんだから、山の麓に住んでいるんならどっちにも困ることは無いんじゃないか。川水とか、野草とか」


「さて、どうでしょうね……そろそろ知勢富町です」


 秋葉が言った途端、窓に流れる景色に一気に古い建物が増えた。今にも山に飲まれそうな廃校の校舎、オレンジ色の屋根を突き出した時代を感じる商店、中には数年前の地震で倒壊したらしい、豪快にひしゃげた家々がドミノのように潰れている場所もあった。潰れた家の中から散乱したのか、退色したカレンダーやチラシの類いが道にしぶとく張り付いている。


「ゴーストタウンですねー……」


 ある一棟の廃屋から、割れた窓越しに複数の人間の頭が見えた。みな俯いて何をするでもなく突っ立っている。「無視しろ」と道地君が言ったので、僕らは構わず国道を西に進み続けた。

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