第29話 北の村から

「こうなったら、直接<ミトリさま>に会うしかねえじゃねえか」


 また、酔っ払った道地君が馬鹿な事を言い出した。


 と、思ったら意外にも及坂が「実は、私もそれを考えていたんです」と打ち明けた。


「及坂さんまで何を言い出すんだ? <ミトリさま>は都市伝説――概念的な存在じゃないか。会うも何も無いだろう」


「お前言ってたじゃないか。少なくとも<ミトリさま>は実在する、みたいなこと」


「いや、……実在した、だよ。もう何年も前に谷から落ちて死んだ脱北者の連れ、とかなんとか」


「でも、それ別に裏を取ってる情報じゃないだろ? 現に<ミトリさま>はこうして及坂と椎葉を結びつけたんだぜ。いるいないで考えるんなら、俺はいると考えた方がスジが通る気がするんだが」


 僕は返す言葉も無かった。道地君の言う通りじゃないか。そもそも件の看護師に思考を縛って考えることも無い。何と言っても昔の<ミトリさま>と今の<ミトリさま>は明らかに異なる点がある。


 それは呪いの対象だ。昔は自らを村から追放した村人たち、今は<ミトリさま>と呼ばれるお呪いに関わった人間。


「今の<ミトリさま>は、<ミトリさま>になりすました何か……なのかも知れない」


「なりすましか?……今風だな。だが、そう考えた方がイメージは湧くか」


「うん。だけど、<くねくね>の出現によって被害者が呪殺されるっていうのは同じパターンだよ。まさかとは思うけど、人を呪い殺すっていうのは誰にでもできることなのかな」


「そんなこたありません」義堂君が僕の疑問を切り捨てた。「仮にそんな力を持った呪術師がいたとしても、祈祷や呪いで現実の人間に影響を与えるなんてのは相当なもんですよ。五百年に一人生まれるかどうかといったところでしょうな。それに、そういう呪いは普通は個人で行うものではありません。昔は村単位で人を集めて行われていたもんなのです。女子高生一人のチチンプイプイで人が死ぬんじゃ、とっくに日本は滅びてますって」


 それもそうだ。


 議論が煮詰まって、手詰まりになりそうなところで今度は及坂が呟いた。


「北へ向かえば、何か分かるかも知れません」


「北?」


 僕はその一言で及坂が喫茶店で言いかけていたことを思い出した。


「そういえば、及坂さんは僕に変な頼み事をしようとしていたよね。一緒に北へ来て欲しいとか」


「はい。実は、例の掲示板の人たち――能戸たちの会話の中でそんな噂があるんです。北に、<ミトリさま>の伝道者がいるって。で、実際に北へ行って伝道者と会って話をしたっていう能戸も中にはいて、そういう人たちは何というか……特権階級というか、どうも尊敬されているようなのです」


 道地君が退屈そうに背筋を伸ばした。


「北って言われてもな。詳しい場所は分からないのか?」


「北、としか……。どうも、詳しい場所は時々開催される能戸たちのオフ会の中で口伝されているらしくて。そのせいもあって、実際に伝道師と会った人は<ミトリさま>界隈に精通している証にもなっているようなんですよね」


「まあたトンチキな話だぜ」


「そうだね……」


スマホを取り出しながら、適当に相槌を打つ。

 

 僕はちょっと思いついたことがあった。トンチキにはトンチキな連中をぶつければいいじゃないか。


 *


 翌朝、僕は珍しく早起きをした。昨晩は疲れからか、日を跨がない内に宛がわれた寝室の布団で、懇々と深い眠りに落ちていたのだ。


 幽玄な寺の早朝が、障子を開いた僕の目の前に拡がっていた。昨晩の雨で生じた朝靄は溶けきっておらず、中央の池の上に乗っかっている。その靄の向こうから、二人分の人影が、雄風と境内に進み入ってきた。


「やあ、伊代に秋葉さん。随分早いね。まだ七時だろう」


「こういうのは間を置くと状況があっという間に変わることがあるからね。取り敢えず体だけでも現場に運んでおくんだよ。分かった? 秋葉」


「はぁい……」


 いつもの如くきっちりとビジネスカジュアルを決めている伊代に対して、瞼がぼやけている秋葉はワイドジーンズにブルゾンというラフな着込みで、レッドブルの缶を片手に持っていた。


 まあ、朝が弱いのは僕も同じだ。今も作務衣に寝癖の立っている頭だし。


「さて、興味深い体験をしている女子高生はどちら?」


 と、興味津々に伊代が尋ねてくる。


「まだ寝てるんじゃないかな……。取り敢えず、中で暖まっててよ。義堂君たちが起きている筈だから、話を聞いておいて貰えると助かる」


「南戸さんは?」


「僕は、取り敢えずシャワーを浴びて着替えるよ……」


「いいなあ。冴羽さん、ちょっとコンビニでパン買ってきて良いですか?」


 その時、居室の方から「あーーっ」という道地君の野太い声が響き渡ってきた。


 なんだか騒がしい朝が始まった。

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