第21話 ミトリさまの儀式

 その言葉を聞いたとき、膀胱に本屋を歩くときに似た膨張感が広がった。


(来た)


 僕が聞きたかったのはまさしくこういう話だったんだ。


 僕は思わず前傾姿勢になりそうなところを危うく留まって、澄ました顔でコーヒーを口に含んだ。


「真が殺されたなんて、考えすぎさ。君はこう考えているんだろう? 近頃起こっている不審死には何かしらの繋がりがある。――だから、そこには何者かの作為があるってね」


 僕はコーヒーカップをソーサーに戻して、鼻から息を吐いた。


「それに、真は誰かに恨まれるような子じゃなかった。あれは偶然なんだよ」


 僕の手元を見ていた及坂は、意を決したように強い目付きで目を合わせてきた。


「それでも、あなたはあの掲示板にいました」


「……あの掲示板?」


「お互い恍けるのはやめませんか? あなたもあの掲示板――<ゴーストネットワーク>の参加者なんでしょう?」


「……」


 ここは言い訳が苦しい所だ。僕は言葉が詰まった仕種で、必死に頭を回転させていた。出たとこ勝負にも程があるが、ここさえ乗り越えれば彼女から情報を引き出すのも難しいことじゃない、という感触がある。


 必死に言い訳を考えているうちに、いつの間にかお互いの間には一分近くの沈黙が揺蕩っていた。その空気を吹き飛ばすように、僕は椅子に背を凭れて笑った。

 

「……分かった。君の言うとおり正直になるとしようか」


 僕がお手上げのジェスチャーをすると、彼女は真剣な目付きで頷いた。


「僕は、真の突然死について納得がいっていない。全くね。あまりにも突然の出来事だったし、不条理にも思った。真は……小さい頃から可愛がっていた従姉妹だったんだ。だから調べようと思った。あの事件のことを」


「それで、どうやってあの掲示板に?」


「札幌に来て、まず真の家にお線香を上げに行ってね。そのとき見せて貰った真の部屋で見つけたんだ。あの掲示板のURLと、招待コード」


「ん……」


 及坂は突然ブレザーのポケットから小さなメモ帳を取り出し、何かを書込み初めた。


「アナログだね」


 思わず心に思ったことが口に付いてしまった。最近の高校生というと、何でもかんでも大事なことはスマートフォンで記録するものだ、というイメージがある。

 

「私、ハイテクって信用しないんです。それで、あの掲示板でやり取りしていた相手は一体誰なんです?」

 

「ちょっと待った。一方的に僕が答えるのはフェアじゃないよ。こっちからも質問させて欲しい」


 僕が話しを差し込むと、ちょっと唖然とした様子で及坂は身を引いた。

 流石に一から百まででっちあげのストーリーを深く突っ込まれると困る。


「……どうぞ」


 こうなれば、後はもう僕の手中だ。相手には適当なことを言っておいて、こっちはこっちが知りたい情報を得るだけで良い。


「まず、<ミトリさま>……いや、<ゴーストネットワーク>について教えて欲しい。あれは一体何なんだい?」


 及坂は少し考える素振りをした後、手帳のページを表表紙の近くまで捲っていった。捲られるページは、驚くべきことに殆ど全てが一面文字で埋まっているようだった。それも見慣れない文字……外国語で書かれているのかと思ったが、どうやら、それらは恐るべき程に形の崩れた丸文字らしかった。


「――<ゴーストネットワーク>。ええと、Mさんの世代って……すいません。今更なんですけど、ユーザー名はちょっと呼びにくいです」


「そうか」一瞬偽名を名乗るアイディアが浮かんだが、後々にややこしい状況を呼び込む不安を感じた。「そういえば名乗っていなかったね。僕は南戸だ」


 彼女は変なものを呑み込んだような顔になった。


「……ナント? それが苗字?」


 僕は肩を竦めた。


「珍しいかい?……まあ、珍しいか。で、続きを話してくれないかな?」


「はあ。……ナントさんの世代って、『こっくりさん』っていう遊びが流行った世代ですよね?」


 「こっくりさん」……この言葉を耳にすると背中がざわつく。放課後の教室、突然恐ろしい発作を起こした美里。そして、僕の耳の奥で鳴るのはヤカンの鳴るような甲高い悲鳴。

 いや、あの時美里は悲鳴なんて上げなかった筈だ。だとしたら、これは。この耳元に息の掛かるような――。


「ナントさん? 話聞いてます?」


 及坂の声に意識が引き戻されて、耳元の気配がサイレンを鳴らす救急車のように遠ざかっていった。


「ああ。こっくりさんだね。つい懐かしくて昔を思い出してしまったよ。テーブルターニング、だね?」


「はい。知っているのであれば話は早いですね。<ミトリさま>もテーブルターニングの一種です。ただ、こっくりさんやエンジェルさんとは全く儀式が異なります」


「例えば、どんな風に?」


「そうですね……ちょっと待ってください」


 そう言うなり、今度は学生鞄からルーズリーフ一枚と紫色のペンを取り出して机の上に置いた。


「まず掌を紙に押しつけて、ペンで輪郭の線を引きます」


 彼女はそのようにして、そっと掌を離した。ルーズリーフには小ぶりな左掌の輪郭が紫色でかたどられているが、書きにくかったのか左側が薄れていた。


 続いて、描かれた掌の輪郭から、ルーズリーフの端へと乱雑な線を延ばす。それを角度を変えて何度か繰り返すと、掌に集中線が掛かったような図が出来上がった。ただし、線の間隔も強弱も疎らであり、僕は薄れ掛かった掌が蜘蛛の巣に捉えられているように見えた。


「なるほど。こっくりさんとはエラい違いだ」僕はルーズリーフに描かれた奇妙な図を眺めて一つ疑問が湧いた。「でもさ、これはテーブルターニングとは言えないんじゃないかな。その、こっくりさんとかと同じ儀式ってんなら<ミトリさま>と交信する手段があると思っていたんだけど」


 そう。この図にはこっくりさんやウィジャ盤で言うところの文字が存在しない。


「テーブルターニングは、なにも文字だけが交信手段なわけではありません。実際原初のテーブルターニングではテーブルや壁を叩く音――いわゆるラップ音が交信相手の返答だったんです」

 

 それは知らなかった。

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