第19話 餌を捏ねる

 まずフィッシングとは、所謂インターネットでよくあるとことの「釣り」だ。大抵は不特定多数の人間を嘘によって引きつける行為の意味を表す。勿論、程度にはよるものの、この行為自体は罪にならない。


 しかし、これに詐欺がくっついたフィッシング詐欺はシンプルな方法ながら近年益々脅威を増大させている立派な犯罪だ。


 そしてスピアフィッシング詐欺……これは近年になって初めて出現した新しい形のフィッシング詐欺だ。これまでは不特定多数にばら撒く方式で被害者が嘘に引っかかるのを待っていた。しかし、スピアフィッシングの場合は違う。予め標的の情報を収集し、的確に標的が引っかかる嘘――餌を捏ねる。


 *


 大通り公園近くの市民ホールの横に、<輝紗良>という喫茶店がある。こぢんまりとた店構えだが、良いコーヒーを淹れてくれる。それに、店構えの割に店内は奥に広いため、あまり人に聞かれたくない話をするときは打って付けだ。


 <月刊ヨミ 九月号>を、表紙を見えるようにしてテーブルの上に置いている。


(まさかこの雑誌がこんなところで役に立つとはね)


 落ち合う相手はこれを目印に僕を見つけるはずだ。


 僕はいつもの如く鞄からノートパソコンを取り出して机の上に開く。丁度、これから会う人間との最初のやりとりがウィンドウに表示されていたところだ。相手からのメールの件名にはこう書いてある――「井崎真について」。


 通常のスピアフィッシング詐欺では、標的となる人間を調べ上げることが嘘――餌を捏ねる第一歩だ。フルネームを愚直に検索するところから、今度は名前をローマ字に変えてSNSに登録がないかを調査する。これで見つからなければ、大抵は別の標的を狙うだろうか。根気よく続けるならば名前がユーザアカウントに使われていることを期待して、地名などを引っかけて捜索する……旅行の際、迂闊に自分の居住地を匂わせる発言をするこは、ままあることだ。


 しかし、今回の標的は匿名掲示板のユーザーで、本名は勿論顔すら知らない。そんな相手にどういう方便で餌に食いつかせるのか。それも、事件に関係が無さそうな<ミトリさま>信者と直接会ったとしても、すぐさま僕がにわかであることが見抜かれてしまうだろう。となると、狙うべき人間は。


 その時、パソコンの画面の横にローファーを履いた足の先が見えた。目を上げると、強ばった表情で<月刊ヨミ>の表紙を見つめる女子高生がテーブルの前に立っている。


 女子高生らしい艶のある肌に、ほっそりとした首から顎。何より、ショートカットのパーマから覗く顔が、ぞっとするほど綺麗な造作をしている。


 彼女は片耳のワイヤレスイヤホンを外しながら言った。


「……あの」


僕は慣れない笑顔で笑いかけた。

 

「君が及坂さん?」


 二人目に死んだ女子高生――井崎真の友人を自称する及坂結唯は、こっくりと頷いた。

 

 *


 二週間前、僕は自室でマウスのホイールを指先で弄びながら、どういう餌を仕掛けるか考えていた。


 嘘を吐く人間なら、効果的な嘘を作るためには一片の真実を織り交ぜることが最も効果的だということを知っているだろう。


 そして、僕には幸か不幸か、この事件については関係者にしか知り得ない情報を知る手段がある――道地君だ。実は、僕は既にそういった情報を道地君の口から聞いている。

 

 例えば、四人目に突然死した女性の足取り。


(結婚式を間近に控えた新婦。彼女が死の直前に稚内へ向かっていたことは、メディアに流れていない事実の筈だ)


 ま、そもそも道地君が稚内に聞き込みに行って何もなかったのだから有効な手がかりでも無いのだが。


 だが、仮にこの事実を織り交ぜた嘘の投稿をあの掲示板に書き込めばどうなるだろうか。例えば――「稚内で出会った女性からこの掲示板を教えて貰った。ある物を預かっているのだが、もし知り合いの方がこの書き込みを見ているならばこちらのメールアドレスに連絡を頂きたい。」


キーボードで入力した書き込み内容案を吟味する。勿論、これで狙うのは四人目の被害者と近しい関係にある人間だ。一連の不審死に<ミトリさま>が関係あるのならば、ここのユーザーに該当する人間がいてもおかしくはない。現に、この掲示板を発見したのも道議員・椎葉の関係者とおぼしき人間が書き込んでいたからだ。しかし、稚内というキーワードだけで興味を持たれるかどうか……。


 もう少し考えた方が良さそうだ。この際、僕が危険な人物――事件の犯人に会ってしまうリスクなんかを度外視するにしても。


 数分間考えて、思わず自分の頬を張った。


(まったく、気付くのが遅い)


 標的を絞るのには、効率の良いやり方がある。


 それは、標的のみが識別できる固有名詞を入れることだ。普段からやり取りしている取引先や上司の名前。そういった周囲の人間の紹介で連絡したと言えば、驚く程人間は思考が一本道になる。これは信頼できる相手だと。


 僕は三人目の被害者の名前を使うことにした。ことによっちゃこれは悪用と言えるだろう。


 なぜなら、三人目の被害者は未成年だから。


 未成年の死亡者の実名は殆どの場合報道に載ることはない。ましてや、あの一連の突然死は関連性を疑われていて、つまり、現在捜査段階であるわけだ。そんな秘匿情報なら益々機密にされるだろう。


 被害者の名前は井崎真。これは掲示板に書き込む前に道地君に確認を取っている。まさか、彼も井崎真の名前をこんなことに利用するとは思っていないだろうが、なにもフルネームを使うことはない。


「この板、見ているかな? ちょっとパスワード忘れちゃって招待し直して貰ったよ。連絡が途切れちゃったけど、真の死について話したいことがある。使い捨てのメアド貼るから、気が付いたら連絡を入れて」


怪文書が出来上がった。

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