第18話 シークレットIO

 札幌のマンションに戻り、目が痛い程の白色灯に照らされたエレベータに入り、五階のスイッチを押す。扉が閉まる――閉まり掛けたところでもう一度開く。


 しかし、扉の前には誰もいない。


(何なんだ)


 「閉」スイッチを押すと、今度はきちんと閉まった。そういえば、このエレベーターも結構古いようだ。妙に圧迫感を感じる空間というか……スイッチにプリントされた文字は掠れ辛うじて縁が残っているのみで、そのうえ足下のタイルは剥がれ掛かって黒地が見えている。


 それに、今日はなんだか空気が湿って、重い気がする。


 最近疲れているのかもしれない……。


 三階で止まる。開く。誰もいない。


 このエレベーターもそろそろガタが来ているんだろう。


(今度、ゴミ出しの時に顔を合わせる管理人さんに報告しても良いかもしれないな)


 溜息を吐きながら「閉」スイッチを押す。閉まる。……一段と機内の湿度が上がった気がした。気のせいだろうが――僕はいつの間にかポケットの中の厄除けを握り絞めていた。


 五階に到達して、エレベーターから降りた。そのまま歩いて三番目にある僕の部屋に鍵を刺した時、もう一度エレベーターを見た。エレベーターがこちらに向けて大口を開いている。


 不意に思いついて、スマートフォンのカメラ機能で録画を始めた。


 毒々しい白色灯に照らされた機内が、アルミ製の扉に閉ざされかける。突然何かが支えたように開く。再び閉ざされかける。また、ゴンと低い音を鳴らして開く。


(よし)

 

 不具合を撮影した。これを管理人に見せれば話が円滑に進むだろう。

   


 相変わらず、僕の部屋は暗い。青白いモニターの光が揺蕩うように部屋に落ちているが、足下が見える程ではない。それに、壁に寄せられた長机に複数台設置されたコンピュータには、今も検証用の機器が接続されている。殆どが外装を外され、むき出しになった基盤にジャンパ線やクリップが挟まれているのだ。


 一体これで何をしているのかと言うと、この基板上でやりとりされているデータ信号を読み出しているのだ。


 IoT機器は、いわば小さなコンピュータだ。利用している分には殆ど意識することは無いが、実は殆どの機器は普通のコンピュータのようにオペレーティングシステムが動作していて、その上で数々の機能を構成するプログラムやデータファイルを備えている。


 それが、基板に配置された開発用のインターフェース――JTAGやUARTと呼ばれるもの――や、そもそもデータを吸い取ることを想定されていないICチップの足などから、基板上でやり取りされるデータ通信を窃取できてしまうのだ。


 ときどき、僕はこんな妄想をして愉快な気分になる。


 これらのIoT機器にもしも人間のような意思があるのなら、僕は彼らの思考を丸裸にしているということになる――それどころか、拒否できない命令を送ることもできる。……それも、彼らが自認しないインターフェースを悪用されて。


 これを本物の人間に置き換えるとどうなるか。さしずめ、データを吸い出したり命令を下す行為は洗脳行為に当たるだろうか。すると、その洗脳の伝播経路は五感では認識できないもの。第六感――


 霊感、だろうか。


 霊感によって、人間の思考が盗まれたり書き換えられたりする。


(荒唐無稽だな)

 

 我ながら苦笑してデスク前のダイニングチェアに腰を落ち着ける。


 さて、早速スピアフィッシングの方策を考えるとしよう。

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