第17話 平成・寺生まれブラザーズ
いつの間にか道地君が隣で潰れていた。
スピアフィッシングがなんたるか、どういう理屈で有効なのかを素人にも分かるように説明していたのだが、……まあ、疲れているんだろう。
しかし、困ってしまった。道地君を彼の家に運ぶには、非力な僕には大変な苦労だ。タクシーを店の前まで呼ぶとして、……道地君を担いであの階段を昇るのは骨だ。
――と思っていたら、彼のスラックスのポケットでスマホが震え出した。何か、仕事関係の連絡だったらまずいんじゃないのか? いや、流石に僕が取るわけには行かないが。
肩を揺らして起こそうと試みるも、道地君の鼻からゴッという鼾が一瞬聞こえたのみ。
仕方が無いか……と腰を上げたとき、僕のジーンズのポケットに入れているスマホが振動し始める。取り出すと、意外な人物の名前が表示されている。
「お久しぶりです。進さん」
「久しぶりだね。急にどうしたの?」
「ウチの兄がそちらで迷惑を掛けているのではないかと……」
驚愕だ。一体どうして分かったんだろう。
電話の相手、田原義堂君は今隣で潰れている道地君の弟だ。本来継承者となる筈だった兄に代わり、真言宗洞照寺の若い当代住職を務めている。父親はまだ壮健だった筈だが、苦労は若い内から、ということなんだろう。
義堂君の性格はと言うと道地君と似たり寄ったりなのだが、年上の人間には絶対的な礼儀を尽くすらしく、本来の性格である激しさを僕は見たことがない。これも厳しい父親の教育の賜物なんだろう。ただ、道地君は反発したようだが……。
義堂君とは、勿論子供の頃から遊んでいた幼馴染みだ。しかし、年齢がずれているからか中学の頃からは疎遠になっていた。
そんな彼が、突然連絡を寄越してきて、道地君が酔い潰れて困っていることを言い当てたのである。
「どうして僕が一緒に居るって分かったんだい?」
「兄貴、よくそこで潰れてるんで迎えに行くこと多いんですよ。それに進さんと最近頻繁に会ってるみたいだったんで、当てずっぽうですよ」
そう言って、がははと快活に笑う。
*
数十分後、居酒屋に現れた義堂君は昔の姿とすっかり様変わりしていて驚いた。それに、住職であるのに間を開いたスカジャンに、中はアロハシャツというド派手な風貌であることには二重に驚いた。
辛うじて住職らしさを感じさせるのは、知的に見える下縁眼鏡と、店の照明が丸く反射しているスキンヘッドくらいだ。それにしても、この風貌だとインテリヤクザと誤解されても全く不思議ではない。ガタイも良いし。
義堂君は僕との挨拶を早々に切り上げて、マスターに「どうもすみません」と迷惑を詫びて、くたくたになっている道地君に肩を回した。
「タクシー呼んであるのかい?」
「タクシーなんていらないっすよ。ここから寺まではすぐなんで、適当に転がしときます」
そう言いながら、元気よく階段を上がって行く。住職の仕事はよく知らないが、寺生まれは大抵こういう風に体力があるんだろうか。
「ところで、進さんさあ。あんまり変なことに首突っ込まない方が良いっすよ」
「ん?」
道地君から例のことを聞いたのだろうか。
「せっかく幸運に恵まれたんです。きな臭いことには極力近づかない。これが人生楽に生きるコツですよ」
そう言いながら、ポケットスカジャンのポケットからぷっくらと膨らんだ小袋を寄越してくる。ハンカチサイズに裁断した小さな布で何かを包み、口が固い紐で縛られている。
取り敢えず、受け取った。
「これは?」
「厄除けっす。仕立ては悪いですが俺の手作りなんで、効果はあると思いますよ」
僕は、受け取った厄除けをまじまじと見つめた。
「効果って、何の?」
「だから厄除けっすよ。……あれ、もしかして兄貴から聞いてない?」
「……何を?」
「やれやれ」義堂君は、空いた左手で丸い頭をぽりぽり掻いた。「進さん、変なものに狙われている……というか、憑かれてます。数日はその厄除け、手放さない方が良いっすよ」
僕は、義堂君が脅かしているのかと思った。しかし、彼の表情は至って真剣だった。
そこで思い出したのだが、道地君に変わって寺を継いだ義堂君は、どうしてか子供の頃からこれから起こる事故や怪我を言い当てることがあったのだ。
「憑かれてるって……幽霊ってことかい?」
心配になって僕が尋ねると、義堂君は快活な笑い声を挙げた。やはり冗談だったのか?
「あのねえ、進さん。昔言ったことあるような気がしますけど、基本的に仏教では幽霊なんていないということになってるんですよ。だからまあ、強いて言えば……妖怪? いや、もっと実体の無い――」
笑顔を納めた彼が僕を見据えて、言った。
「呪い、かな?」
その時、義堂君が立っている路上の奥、弱々しい灯りを備えた電柱の下で、奇妙な影の動きが見えた気がした。
目をこらすと――黒い――人ほどの大きさの黒い物体が――腕も首もない上半身から突き出る二本足を拙く動かしながら――波打つようなリズムで電柱に――体を叩き付けている――
「それじゃ! 進さんも夜道気を付けて! また今度飲みにでも誘ってくださいよ!」
彼の声にハッとして、視界の焦点が手近な所に戻る。
「あっ、うん……」
義堂君が、白い歯を見せた笑顔で颯爽と去って行った。
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