第9話 onion

 車体は停止しているが、僕にはまだ聞きたいことがあった。


「あのさ、そういえば今の子供たちの間でこっくりさんって流行ってるのかな? 今時社会問題になっているなんて聞いたことが無いんだけど」


 僕が尋ねると、冴羽が答えた。


「テーブル・ターニングに廃りは無いさ。こっくりさんには元ネタがあってね、西洋で流行っていたウィジャ盤という占いが起源なんだよ。儀式の形式もそうこっくりさんと変わらないものさ。日本だけでも、エンジェルさんっていう派生の儀式も産まれているくらいだから、私たちが知らない新型のテーブル・ターニングがあってもおかしくはないだろうね」


「……新型のテーブル・ターニング……」


「気になるなら、ここにアクセスしてみるといいよ。はい」


 そう言って、冴羽は名刺サイズの紙を僕に寄越した。車内灯に照らしてみると、冴羽の名刺だった。裏面には謎の文字列と、Webサイトのアドレスらしきもの数十のアルファベットが手書きで記されている。だが、ただのアドレスではないことがすぐに分かった。末尾にonionという文字が付いている。


「……オニオンドメイン……ダークウェブか?」


「そ。私の虎の子。言いふらさないように頼むよ」

 

 オニオンドメインとは、通常のWebブラウザでは閲覧することができないWebページのことだ。Googleなどの検索結果には表示されず、その複雑な文字列で構成されるドメインを直接入力することによってのみ、アクセスが可能となる。

 つまり、極特定の人間のみが利用できるWebページということだ。


 ダークウェブは多くの場合、犯罪に利用されている。僕自身、馴染みが無いわけではないのでよく分かる。高度に匿名化された掲示板ではハッキングによって盗まれたクレジットカード情報なんかが、値段を付けられて販売されているのだ。


「南戸君なら、アクセスすることくらいわけないよね?」


 冴羽が尋ねてきた。


「まあね……」


 当然だ。


 なぜなら僕も、かつてはダークウェブで生きていた、ハッカーと呼ばれる人種だったから。


 *


 僕が逮捕されたのは、高校二年の頃。元々父さんの使っていたパソコンをこっそり使って、面白い動画を見たり、違法で遊べるゲームをプレイしていたりした。こういうことって、子供の頃からパソコン――というかインターネットに触れていた子供にはよくある話だと思う。


「アレクサ、PC付けて」


 ベッドの横のに置いているAIアシスタントがポンと反応する。すると真っ暗な自室に次々と青白いモニターが灯った。いつも、この瞬間は自分の部屋が水族館であるかのような錯覚に陥る。


 日本は先進国とは言うけど、ことサイバーセキュリティで言えばとんでもない後進国なのだった。例えばハッカーが戦闘機で獲物を探す傍らで、竹で作った槍で一生懸命電気の紐を突っついてるようなものだ。まるでお話にならない。


 僕は最寄りのモニターの前に座り、冴羽に教えて貰ったドメインにアクセスする手筈を整えた。ダークウェブでは何があるか分からないので、普段使っている家のネットワークからは切り離してアクセスしなければいけないのだ。


 そして、僕は戦闘機に乗る側だったというわけだ。禄にソフトウェアをアップデートしない中小企業のウェブサーバから顧客情報を抜き取って、ダークウェブに売り出すのだ。標的を探すのには苦労しない。杜撰な設定のIPを探すのは、敢えて喩えるならアパート一棟の扉のノブを片っ端から回すようなものなのだ。技術なんて要りもしない。

 ただ、倫理観の欠如だけが、ハッカーをハッカーたらしめる条件の時代だったんだ。


 機器の繋ぎ替えを終えた僕は、早速椅子に深く座り込んでダークウェブにアクセスした。

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