第9話

アサヒの家に到着すると、彼は元気よく「ただいまー!」と挨拶し、軽い足取りで玄関の扉を開けて中へと入っていった。

すぐあとにおれも続く。


「お邪魔しまーす!」


声が聞こえたのか、パタパタと駆けてくる足音。


「おかえりなさい」


アサヒの母親が顔を出して出迎えた。


今日はごく普通のお母さんという感じだったので、おれは安心した。


「もう準備できてるわよ。どうぞ」


そう言って通された部屋は明らかに客間ではかった。


書斎机の上にパソコンがあり、部屋の隅には大きな本棚、正面には大型テレビが置いてある。パソコンの前ではアサヒの父親が、画面に向かって作業をしていた。


どこか別の場所から運んできたのであろう、この部屋に不釣り合いな薄汚れた丸い小型テーブルの上には、ハンバーグやポテトサラダがこれまた不釣り合いなほど豪華な金のふちの皿に盛られ、レストランにでも出てくるような金色のソースポッドにデミグラスソースが入れられていた。


ワイングラスも人数分出してあり、高級な洋食器たちが、テーブルからこぼれ落ちそうなほど敷き詰められている。


「それじゃ、ごはん持ってきましょうね」


そう言って母親は、新品の茶碗に盛られた白飯を持ってきた。


おれは「待て、置く所がないぞ」と思ったが父親はテーブルへと移動してきてどっかりと腰を下ろし、無言のままそれを受け取ると一人でもくもくと食べ始めた。


「なんかすごいな…」


言葉にならない思いをつぶやきアサヒをちらりと見た。


するとアサヒも同意するようにうなずき、こっそり耳打ちしてきた。


「おれも、こんな食器見たことない。普段使わないやつばっかり出してる」


相手は中学生の男子ひとりなのに、そんな力を入れるのか…

食事は品数も多く、まるで誕生日パーティーのレストランのよう。


「今日はハンバーグステーキにしてみたの。大したものを出せなくてごめんなさいね」


しおらしく母親はおれに謝った。


「いえ、おれこんな食事初めてです」


いろいろな意味を込めたつもりで言ったのだが、母親はそれを誉め言葉と受け取ったようだ。


「まあ、お上手ね。さ、召し上がれ」


上機嫌でおれの前に置かれたワイングラスに水を注いでくれた。


「いただきます」


ナイフとフォークが出され、慣れない手つきでハンバーグを切り分けながら考えていた。

イタリアンと和惣菜の本借りてたのに、結局ハンバーグになったのか…別に好きだからいいんだけどさ。


おれが崩れやすいハンバーグをフォークに刺すことに四苦八苦していると、


「いつも晨比君と遊んでくれてありがとうね」


母親が、にこにこと嬉しそうにおれに話しかけてきた。


「いや、おれも話聞いてもらってるから」


口にハンバーグを詰め込みながら答える。


「晨比君はほら、身体も弱いし病気がちでしょ? 自分でほとんど何もできないから、私がいなきゃいけないとは思うんだけど。でも同じ年の男の子の方が話が合うと思うから、涼太君がいてくれて本当に良かったわ」


言いながら、アサヒの母親は自分のハンバーグを半分に切って、リョータの皿に乗せる。


「どうぞ、これも食べて」


「あ、ありがとうございます…」


本当はいらなかったが、言うのも失礼かなと頂戴することにした。

結局フォークを諦めて箸をもらい、飯を食べようと茶碗を持ち上げた時、白米の上に、なにか動くものがあることに気付いた。


よく見ると米粒大の白い何かがうねっている。虫?


「うわぁ‼」


驚いて大声をあげ、反射的に茶碗をテーブルに戻した。

もう少しでひっくり返してしまうところだった。


「え、どうしたの?」


黙って食べていたアサヒが驚いて聞いてくる。


「え⁉ いや…」


そう言いながらおれは茶碗から目が離せなくなってしまった。

その白い虫みたいなものは、うねりながら茶碗の外へとポトリと落ちる。


するとまた白飯の中から白いものが生まれ出し、次々に茶碗の外へと落ちはじめた。

あっというまに、茶碗の周りは白いウジのようなものでいっぱいになり、それらは波打つように体を捻らせてうごめいている。

頭の先まで怖気が走った。


うわぁ! き、気持ち悪いー!


叫びだしたいのを必死で堪えて、涙目で横を向いたがアサヒは何食わぬ顔で飯を食べていた。


マジかよ…


おれはテーブルの下でアサヒの上着の裾をひっぱると、小声でささやいた。


「おい。こ、これ見ろよ! 茶碗のまわり‼」


アサヒは箸を止めておれの見ている目線の先を追ったが、不思議そうな顔をする。


「ん? 何? なにもないけど」


いや、ここにこんなに沢山いるだろ。じれったくなり、もう一度強めに訴えた。


「よく見ろよ。いんだろここに、気持ち悪い、なにこれ虫?」


アサヒはおれの方に体を寄せ、じっと茶碗を見ていたが、やはり何も見えないようだ。しかし、その間にも目の前で白い虫は増え続けている。


「…マジで見えないのかよ⁉ 今も増えてんだぞ‼」


ついに声を荒げてしまった。


「…だってなにもいないもん」


わからずやのアサヒに怒ったおれは彼を責めたが、アサヒは平然ともぐもぐ食べ続けている。

こいつ…見えるなんてやっぱりうそか。あとでひんむいてやる。


憤慨していると、おれの耳にキューキューとゴムの軋むような小さな音が聞こえてきた。何だろう、一段階、空気が冷えたような気がする。


その音はどうやら白い虫が発しているようで、再びそこから目が離せなくなった。

茶碗のまわりにうじゃうじゃ群がる白いものの動きが、音とともに変化している。


いや違う、徐々に形が変わっていく。

白い米粒のようだったものが、縦に長く伸びていったかと思うと、赤い目が二つ開いて、真っすぐこちらを凝視してきた。


先端から真っ赤な口が開き、そこからチラチラと舌がのぞく。


蛇だ…


凍り付いたように動けないおれに向かって、何十匹もの小さな蛇がポタポタと机からなだれ落ちてきた。


「ひ、うわぁぁぁぁ!」


今度こそ大声で悲鳴を上げる。驚いた母親があわてて声をかけてきた。


「どうしたの涼太君⁉」

「へび、蛇が!」


おれは急いでイスから立ち上がり、手で足元をはらう。

皆あっけにとられた表情でその様子を見ていた。


隣からアサヒがあわてて、落ち着かせようと声をかける。


「どうしたんだよリョータ?」


「だって蛇が! 今おれに向かって…あ、あれ?」


テーブルの上を見ると、さっきまでいたはずの蛇は影も形もなくなっていた。


「幻覚…?」


息が切れ、心臓の鼓動が異常なほど早くなっているのを感じた。食欲なんかとうに失せていた。


今見たものが、幻覚なのか本当なのかわからない。自分の頭がおかしくなったのか、そうでなければ何でおれを狙ってくるんだ、どうしたらいいんだ。


頭がパニックになり涙が出てきた。顔を真っ青にしてうつむいていると、アサヒは静かに言った。


「あのさ、もうごちそうさましていい? おれリョータと部屋でやりたいことあるんだ。リョータ、行こうぜ」


彼は両親の答えを待たずに席を立つと、おれの手をひいて自室へと連れて行った。


「お前本当に見えなかったのか?茶碗に蛇がいっぱいいたんだぜ⁉」


扉を閉めるなり、おれは興奮して強い口調でアサヒに訴えかけた。


「見えなかった」


アサヒはそれだけ答えると、真剣な表情をして黙り込み何かを考え始めた。


「お前本当に霊感あるのかよ⁉見えるなんてうそか?お前を頼りにしてるんだぜ。頼むよマジで」


わけもわからず、いきなり変なものが見え始めたおれは、頼みの綱であってほしいアサヒに「見えなかった」と言われ、少なからずショックを受けていた。


「それともやっぱり俺の頭がおかしくなったのかな?」


気付かないうちに精神的な病気になってしまったのかもしれない。何かのストレスとか、生まれつきとかで病気を発症したのかもしれない。


目の前が暗くなっていく感覚に襲われ、ふらふらと部屋の隅にしゃがみこんだ。


その様子を見ていたアサヒがやっと口を開いた。


「いや、リョータの頭は一応まともだと思うよ。何らかの理由でおれには見えなかったけど、なんていうのかな、超常現象?ではあると思う」


アサヒの言い方は、いまのおれにとってはまるで人ごとの発言のように思えた。


「なんでそう思うんだ?なんでわかるんだよ。おれに何が見えてるのか、お前にはわからないんだろ⁉いいかげんな事言うなよ」


腹が立ったのでそう言うと、アサヒは一息置いて意外なことを話し始めた。


「お前の見てるもの。その黒い影のことは、おれも知ってるよ。おれは襲われたりするもん。蛇も良く見る。蛇の姿をして出てくるものには色んな理由があるから、本当の蛇の霊じゃないかもしれない。おれの見るのは、あまり良くないものの事が多いけどね。だから、いまからリョータが見てるものが出る原因を探ろうと思う。そしたらどうしたらいいか、わかるかもしれないだろ?」


冷静に落ち着いておれに話して聞かせると、


「こんな話、誰にもしたことないし、本当は話したくもないんだけど」


そっぽを向いて付け足した。


「リョータのためだもんな。仕方ないよ」


アサヒがうーんと伸びをすると、部屋の中がにわかに明るくなっていく気がした。


「やっぱりお前、見えるやつなんだな」

「…まあね」


あまり気のない返事に何か含みを感じたのだが、おれは黙っていた。やっと救いの光が見えた気分で、恥ずかしながら感動して少し泣いてしまったのを悟られないように。アサヒは深呼吸を一つすると、机の引き出しを開けて紙とペンを取り出した。


「じゃあリョータ、どうしたらいいか一緒に考えようか」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る