3 美亜

「あ、でも入ってきて」

 理亜の言葉に一瞬苛ついた。入ってきたら、コロナにかかるかもしれない。理亜だってそれはわかってるはずで、つまり危険を犯してまで自分のそばに来いと言っているのだ。

「お姉ちゃん部屋ん中で食べて」

 それってコロナになれってこと?怒りたくなるのを抑えて、優しく諭すように返す。

「コロナうつっちゃうよ」

「なんで。理亜はマスクしてるからさ。」

 そういう問題じゃない。部屋に入ったらうつるでしょ。考えろ。バカ。

 違う。それは、今理亜に掛ける言葉として違う。

「それでもうつっちゃうんだよ。」

 口調が少し尖ってしまった。お盆を持って引き返す。うつっちゃうんだよ、ともう一度つぶやいた声は、聞こえてしまっただろうか。たぶん妹は、部屋の中で泣いている。どうでもいい、と、自分に言い聞かせた。コロナになった人は、隔離するのが当たり前。それを妹がどう勘違いしているのか分からない。

 お母さんに、「食べないって」とだけ伝えて、お盆を渡した。そのまますぐ引き返して、階段の中ほどに座り込む。今は母とも理亜とも距離を取りたかった。考えようによってはどちらにも近くて一番居心地が悪いが、ここ以外にいい場所は思いつかなかった。

 いつも何かあるとここに来る。二階の理亜とも一階の母とも顔を合わせたくないとき。階段の涼しい空気と冷たい木が心を冷ましてくれるときもあれば、二人に挟まれている気がして余計イライラする時もあった。家が狭いというのは厄介なものだ。これが団地やマンションならなおさら。

 今日はイライラしてしまう方だった。理亜はマスクしてるからさ、という声を何度も反芻するうちに、妹がどういう口調でそれを言っていたのかわからなくなった。

 中二にもなってどうしてコロナをうつしちゃいけないということがわからないのだろう。今は中高生の間で感染が広がっていて、変異株は重症化のリスクが高いとか、全部理亜は聞いているはずだ。スキンシップの必要な乳幼児なら分かる。なぜ理亜の部屋にリスクを犯してまで入らなければいけないのか。別に顔を見たいだけならそう言ってくれればライン通話でもできるし、ドア越しでも話はできる。

 まあでも、理亜はコロナの前からやたらと抱きついてきたり一緒に寝たりしたがった。学校でいじめられたとかで美亜の膝の上で泣いていたこともあったし、理亜が中学受験に受かったときは抱き合った後におめでとうを言った。その理亜の近い距離が嫌でなかったことだけは確実だ。コロナ禍でも、つい一週間前まではよく一緒に寝ていた。この前理亜がおばけが怖いからとか言い出したときには笑ってしまった。

 ああ、もう何に腹立ててるのかわかんなくなってきた。コロナにかかって困ることなんて、そんなにあるのだろうか。学校は休めるし、もともと美亜はインドア派だし、重症化だの後遺症だのはよくわからない。実感がわかないものに怯えることは少し難しい。コロナにかかっても、全部なんとかなる気がしてきた。

 よくわからない。本当に自分が考えてることが理亜の考えてること以上にわからない。

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