2 理亜

 まだ明るいのに、日は沈んでいた。紺色の空がカーテンの間から覗く。曇りも晴れも区別がつかない程度には暗い色だった。たまに風が吹く。カーテンを爽やかになびかせて、届いてみたら生暖かい。理亜は自分のつばを飲み込んで、追いやっていた枕をまた引き寄せた。寝返りをうつのがだるい。一度うつ伏せになったが最後だ。

 足音がして、ノック音がした。コン、コン、コン、コン、コン、と、ゆっくり五回。

「ごめん食べない」

 頑張って声を発した後に、体の芯がさらにだるくなった。ある程度のトーンで発したつもりの声が、ひどくだるそうに聞こえていないか心配になる。

「あ、でも入ってきて」

 美亜が行ってしまう前に、急いで呼び止めた。出そうと思えば声が出ないわけでもないらしい。

「お姉ちゃん部屋ん中で食べて」

 最大限甘えた声を出したが、美亜の反応は一拍遅れた。

「コロナうつっちゃうよ」

 怪訝に思いながらも、明るい声を重いドアに向かって当てる。

「なんで。理亜はマスクしてるからさ」

「それでもうつっちゃうんだよ」

 美亜の声が、急に冷たくなった気がした。うつっちゃうんだよ、ともう一回言って、靴下と床のこすれる音は階段を降りていった。理亜には、美亜の言葉が吐き捨てたようにしか聞こえなかった。もう一度木のドアを見るとそれはただの木のドアだった。向こうに人はいない。濃い色の木目が歪んで、枕に水滴が落ちた。

 どうして。なんで。美亜はそんなにコロナにかかりたくないの?重症化なんてほとんどしないし、若い人はすぐ治る。理亜の部屋で食事したって、必ずうつるとは限んないし。ドアを開けて顔を見せようともしなかった。

 理亜がコロナになったから、美亜は私のこと嫌いになっちゃったんだ、と理亜は思った。だからあんなに冷たくして、部屋に入ろうともしないで。きっと私が夕飯を食べると言っていたら、手渡しせずにお盆を廊下に置いたのだろう。そう思って、また涙が溢れた。


 ポツンと置かれたお盆。誰もいない廊下に出て、それを取る自分。部屋に持っていって、実際は軽いのに無駄に重そうな色をしたドアを締めて、地べたに座る。いただきます、の声はかすれるか、そんな挨拶忘れてしまって、寝起きであまり感覚のない手でお箸を持つ。

 絶対に食事は喉を通らない。代わりに喉の奥から何かせり上がってくるような気がして、そんなの気のせいだというふうに咳をして、涙がお皿に落ちる。なにも手を付けないまま廊下にお盆を出す。もう一度締めたドアの前で、咳き込みながら泣く。お盆を取りに来る母か姉の足音が聞こえて、「全然食べなかったの?」と聞かれて、死にたくなる。


 そんな想像をしていると、余計に涙が溢れた。

 のどが渇いて、水筒のぬるくて薄いお茶を飲んだ。水筒の小さな口と泣いて小さくなった喉を、お茶はなかなか通ってくれない。水筒の蓋を締めて、暗くなってきた天井を見上げると、涙と嗚咽は少し引っ込んだ。

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