夜のコーヒー
冷気が一真の頬を刺し、通り過ぎる車の突風と北風とがぶつかり合う道路の向こうに、酒屋の蛍光灯が灯っている。
その隣の小さなシャッターに引き棒をかけていた響子の前に、一真が白い息を吐いて現れた。
「あれぇ、カズちゃんどした?買物?」と酒屋の扉の方にチラリと目を走らせる。
「こっち(喫茶)はもう閉めちゃうよ~」ほわり、とした声のトーンはいつものことだ。
「響ねぇちゃん、こないださ、やっぱりオヤジと何か話したろ?」
ん、と眉を
「とりあえずさ、中入って。そしたらシャッター閉めちゃうから」
重い扉を引いて滑り込むと、すぐに外からガララララっとシャッターが降ろされ、もう一枚も同じ様に降りたあとに、真っ暗になった小さな喫茶店の中に外からの施錠の音が響いた。
この店は酒屋の店舗の家屋の方から出入りできるようになっているので、響子は酒屋の店舗から母屋を通り、喫茶カウンターの内側に戻ってすぐダウンライトだけを点けた。
「ごめんねぇ 真っ暗だったでしょ」と言いながらカウンターを潜り、立ちつくしている一真の肩に柔らかく触れて「座って、ね?落ち着こ」と続ける。
暖房の名残りがまだソファに残っているのを感じながら、一真はふと、左手にウォークマンを持っていることに気づいた。
「あたしもね、全部聞いてるわけじゃないの、カズのお父さんからね。ウチの父さんはもう少し事情というか・・・少しは知ってるみたいだけど、勿論あたしには言わないし」
とにかく、コーヒー入れてあげるよ、と響子が提案し、一真は豆を込めたハンドミルを響子から渡されて「手伝ったら無料でいいんだからね」と微笑む響子に、少しづつ心がときほぐされていく様だった。
「そういえばカズちゃんはウチの手伝いのプロだもんねぇ」と響子が話を広げていき、一真はサイドテーブルにウォークマンを置き直した。
SONYのウォークマンは、一真が中学2年生の夏休み前に発売された。
乾電池で動く10センチ・スピーカ付きのモノラル・カセット・プレーヤーは一真も持ってはいたが、携帯して持ち歩く、という発想はそもそもなく、持っているヘッドホンだって大ぶりの密閉式の物だったし、「音楽を外に持ち出す」というのは大きなラジオカセットを手提げのように持ち歩く、というスタイルでしかなかった。
ところがSONYのウォークマンは、そこを打ち破ってしまった。
雑誌やテレビ番組などで続々と若者が腰にウォークマンを付け、コンパクトで音の良いステレオ・ヘッドホンを装着して笑顔を振りまく記事や広告が溢れ、一真が「なんとかしてこの手に欲しい」と思うのも無理はなかった。
しかし、¥33,000という価格は、ちょっと中学2年生の小遣い程度ではそうそう手が出るものではない。
そんな話を喫茶店でしている時、酒屋の大将が言ってくれたのが
「カズ坊、ちょっと手伝いしないか、バイト代はちゃんと出すから」
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