ホーム・カウンター
小さな喫茶店の名は「響」ひびき と読んだ。
厚い木材とガラスが組まれた重いドアを押して店に入ると、ドアについた鈴が鳴り、振り向いた響子がカウンターの中から「いらっしゃい」といつもの声をかけてくれた。
達也はカウンターの一番奥で煙にまみれている。
「カズ、なんか飲むか、キョウちゃん、コーヒーまだあるかい?」
「いや、いいよ、じゃあこれ」と一真はカセットケースをポケットから出し、続いてノートを切り取った紙をふたつに折ったものを一緒にしてカウンターの上に置いた。
「なんだ、これ」
「曲名。レーベルに書いても嫌だろうなと思ってさ」と一真はちょっと不貞腐れたような顔で言う。
「カズちゃんはやっぱり気がきくのよねぇ、そういうところ。ハイ、これはご馳走するから飲んでいきなさいよ」
響子は小学生の頃から隣の酒屋に買い物に来る一真を可愛がってくれた「酒屋の美人姉妹」の妹だ。
姉の涼子の方が嫁に行き家を出たあと、酒屋の倉庫だった小屋を改装して喫茶店をやりたい、と言って開店してからもう数年、響子がこさえる簡単な食事や、仕出し弁当を出すランチが意外と好評で、母の芳子も半ドン土曜の一真の昼食やらで「響ちゃんのところで食べなさい」と金を渡したりしていた。
達也は何も言わず、くわえ煙草のまま紙を開いて一瞥し、カセットと一緒に内ポケットへ滑らせた。
一真もカウンターのスツールに座り、京子の淹れてくれたさっぱりめのコーヒーにミルクだけ入れて少し啜る。
「じゃあ、頼むよ、響ちゃん」タバコをもみつぶして消した達也が腰を浮かしながら言う。
「ええ、わかりました、父にも伝えておきますから」
(なんのことだ、)と一真は疑問符がポカリと浮かんだが、達也にツッ、と袖口を引かれて一緒に外に出た。
「一真、高校な、学校のことだけどな」
「うん」
「・・・俺はどこでもいいよ、どこでも。だからちゃんと行ってくれよ」
「うーん、そうは言っても、工業じゃないと、あんまり意味ないんだよね」
「こんな父親失格みたいな俺が言っても、な、ダメなんだろうけど。高校さえ、しっかり通って卒業してくれれば、というか、その頃までにはなんとかする、ちゃんと結果というか、結論出して、ちゃんとしてやるつもりなんだ」
達也はゆっくり、噛み潰すように喋った。
「・・・父さんの、仕事のこと?」
「それも、含めてだ。だからな、こう、なんと言うか・・・」
(それまでは色々我慢しろ、ってことか)を口の中で噛み下し、一真は「うん、待ってるよ」とだけ言った。
じゃあな、と達也は踵を返し、歩き始めてすぐ振り向いた。
「録音、サンキューな」
「うん」
しばらく歩道を早足で歩いて行く後ろ姿を見送っていたが、ドアのガラスを内側からコツコツ、と爪でつつく上目づかいの響子に気づいて、少しだけはにかみながらまたドアを押した。
「親孝行ねぇ~」
「何言ってんの?息子にレコード録音してくれなんて、おかしいでしょ?」
「だからよ」意外に響子は真剣な顔で言う。
「そういえば、父さんと何か話してたの?」
「何かって?ああ、さっきの?」フフン、と笑いを挟んで「お父さんはね、あなたのこと、カズマをよろしく頼みますーって、そう言ってたのよ」
「まさかぁ・・・」
「本当よ、それに、まだ高校決まってないんでしょう?」
「それは速攻で喋ってるんだ、オヤジめ」
むくれた一真の頬を指で突ついた響子は「大丈夫よ、カズは」
「どうしてさ」
ウフン、とシナを作って響子は「それは、ワタシがカズを守ってあげるから!」と言ってキャッキャ、と軽やかに笑った。
「またそれ?」とウンザリ顔を作りながら、
(やっぱり何か隠してるんだよなぁ)という疑念が浮かんだのは確かにこの時だった。
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