悲しいのは誰

田原は三年生の担任になってすぐ、矢沢一真のことを気にかけるようになった。

一真の二年の担任だったベテラン女教師からは「成績はまあ上位、スポーツセンスは良いが持久力に欠ける」に加え「男前だけど暗くて内向的(笑)」という余計な一文が添えられた引継ぎを貰っていたがまさにその通り。

ただ、病的な症状が出るとまでは思っていなかったので受診に同行した時は些か面倒でもあった。

しかし、三者面談から保護者面接をして、父親の現況を交えて詳細を聞きとって、納得した。

(なるほど、この母親じゃあ、ちょっとプレッシャー厳しいだろうなぁ・・・)


そして、再び一真を指導室に呼び、面接した際に、本当に何故だか分からない衝動に襲われた田原は半ば無理矢理に一真の唇を奪ってしまったのだった。


「あの時は本当にどうかしてたなぁ~」と田原は今でも思う。自分の頭を拳でゴツゴツしてみたりもする。

しかし、一真本人は「隙があった僕が悪いんですよね・・・」と言うばかりで後は何も言わず、ただ、それからは神経症的な症状は出なくなっているのは確かだった。


その後「初めてじゃなかったの?」とか「怒ってないの?」とかこっそり聞いてみたりしたが、「別に、大した事じゃないですから」とはぐらかされる度に、自分の迂闊さと一真の大人びた対応におののきつつも、やっぱり精神的に大丈夫なのかな、という心配は消えていなかった。


「その「君」って言うのはやめてくださいって~」

「あああ、ごめん、またやっちゃったね」


少し間を置いて、一真から話し出した。

「昨日、ジョン・レノンが亡くなったでしょう・・・」

「うん、そのニュース?私も今朝見たけど。そんなにショックだった?」

「なんだか、自分のいろんな事がどーっと重なっちゃったみたいで」


いつの間にか、田原はまたベッドに腰掛けていた。

「アッ 近いですよ・・・ さぁ もう帰ります。」

「本当に大丈夫なのね?」


「オレ・・僕は、きっと大丈夫です。自分の気持ちに波があるのはもう分かってるので」

「そう、そこまでわかるようには、なったのね」


少し間があって、一真は起き上がって毛布をよけ、田原の眼を見つめて言った。

「それより、もっと悲しみに暮れている人がいるじゃないですか」

「えっ?」

「先生だって、分かってるでしょ。同じじゃないですか・・・」


あっ という形になった田原の唇に 一真の人差し指が ツッ と触れた。


田原のファースト・ネームは、ヨーコ。 陽子。


田原陽子の心にも、新たな悲しみが宿ったような瞬間だった。

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