昏倒

授業が終わり、各教室の掃除なども終わり、1、2年生たちが運動用具の準備を終え、校庭を周回し始めた頃、一真は教室の自席ではなく、窓際の席に座って、ぼんやり文庫本を開いていた。

もう何度も読み返しているヘミングウェイの「海流の中の島々」だが、全く活字が頭に入ってこない。

一旦、文庫本を伏せて両眼を擦り、大きくため息をついたところで教室の後ろ側の引き戸が乱暴に開かれて、隣のクラスの男子三人がのっそりと入って来た。

「あれぇ、なんだよ秀才カズちゃん、オメーも追試かよ?」口火を切ったのは髪を軽くウェーブさせた男子で、学年の中ではいわゆる「反抗的な生徒」として名を馳せている木村だ。

「コイツは課題忘れで居残りだよ、カズが変な点取るわけねーだろ?」とクラスメートが説明するのを アーソーデスカハイハイ という感じで聞き流して木村がズバリと訊いてきた。

「なぁ、カズ、ジョンが死んじまったな」

一真は思わず厳しい目をして木村を睨んでしまう。

「何だよ、そんな顔してよ、俺だってビックリだよ」

のけぞった木村が笑いながらも眼は真剣に続ける。

木村は母親がスナックをやっていて、母親が簡単なピアノ弾き語りなどもしながら酔客の相手をしているのを見てきている関係から音楽全般には詳しく、以前も一真と音楽談義が弾んだことがあったのだ。

「カズはダブル・ファンタジー買ったんだろ?あれが最後、ってことになっちゃうのかな。」

「・・・・・・」

一真はなんとも答えようがなく、ただただ文庫本の栞紐を指先で弄って黙っていた。

さすがに昨夜のトップ・ニュース、今朝の新聞にも大きく扱われたので他の生徒たちも加わり、ワァワァと話が広まり始めた時、前の引き戸が開いて田原教師が入ってきた。

「何騒いでるの! あなたたち、すぐに散って座りなさい!席を離して座るのよ!」

「へーいへい」「追試だ追試~」

ガタガタと音を立てて皆が座り始め、田原が素早く巡回してプリント用紙を一枚づつ配った。

「まだ裏にしておきなさいよ!、はじめ、というまで伏せておくのよ」


一真は木村に言われた一言から、気持ちの動揺と消沈が断続的に襲ってくる感覚に耐えられなくなっていた。

寒いはずなのに背中には汗を感じる。


田原が一真の席に近づき、思いがけず優しい、小さな声で

「矢沢くん、一応課題のプリント持ってきたけど・・・え、どうしたの?」


目の前に星が走りはじめていた。

「せ、せんせ・・・・」い、と言えずに一真は机に突っ伏してしまった。

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