教室

父の達也は24歳で就職した商社に勤続20年目の節目に、直属の上司の派閥争いに巻き込まれ、44歳の働き盛りに総務課長という役職にも関わらず更迭。激昂した達也は社長室にまで乗り込んで辞表を叩きつけて社を去り、それからは怪しい訪問販売や詐欺紛いのゴルフ会員権ビジネスなどで糊口を凌いでいたが、見かねた芳子がフルタイムで働きに出るようになって、余計に夫婦間の温度差は広がり、達也は家に居場所を無くしてしまったようだった。

連日、夫婦喧嘩を繰り返し、何日も帰宅してこなくなった夫に、最初のうちはオロオロとしていた芳子だったが、元々勝気で、いわゆる「職業婦人」として働いていた頃に達也と職場で出会って結婚していたので、仕事にかまけていれば段々「慣れて」しまうものなのか、一真がそんなに手のかからない息子だったのもあり、「自分の稼ぎで家は回せる」という自負もできたのであろうか、今では淡々と日常をこなすキャリア・ママ という風情をも見せているのである。


とはいえ、一真にそういう影響が及ばず、彼が子供らしく「ポカーン」として能天気に小・中学校生活を送れていたわけでもなかった。

一真が午後から授業をサボって帰宅したりすると、髭面の達也がのっそりと居間にいて出くわしたりして「なんだカズお前学校は!」「ツーン(無視)」というコミニュケーションもあったり、は、した。

そういう時にも、自分のレコードラックから達也が勝手に抜き出してターンテーブルに乗せたままになってたりして、それでも一真も怒ることもなく(あ、シカゴ3聴いたのか…)などと少しホッとしてたりもしていた。

そんな記憶を辿りながら、

(ジョンが死んだ、って 父さんはもう知ってるかな)

(どう思うだろう?また「イマジン」にブーブー文句言ってた時みたいに怒るのかな)

「あーあ、もう明日学校行きたくないな・・・」

ベッドに突っ伏したまま、一真は1年に数十回は言っているであろうセリフをやっぱり口にしていた。


「・・・くん、ヤザワくん!」

「オイ、おいカズ、デンセンが呼んでっぞ!」

「矢沢一真くん!いないの?」

「っあ、ハイ、いません」

クラス中がワサワサ、っと笑う。

それを遮るように

「あなただけよ、課題出していないの。期末試験で点さえ取ってれば内申点が貰えるわけじゃないんですからね!」

と、ここでまたサワサワする。


学校に行きたくない、とはいえ、各教科の期末試験の結果も配られるし、部活の引き継ぎやらなんやらで仕方なく登校した一真だったが、昨夜はベッドの上でグズグズするだけで夕飯も摂らず、当然出されていた長文和訳の課題など一行もこなせていなかった。


田原という女性教師は英語担当で一真のクラスの担任でもあるが、生徒たちから「デンゲン」というあだ名を密かにつけられていて(音訓読みで、もじったのだろうか)30歳そこそこ、独身ではあるものの、キツい物言いと化粧っ気のないカタブツぶりで生徒からは男子女子ともに疎んじられている存在である。

「矢沢くん、もう部活もないんだし、あなた塾にも行ってないんだから、今日の放課後残って課題仕上げて提出しなさいよね」

ええ~ っと声が出そうだったがなんとか我慢した。

確かに期末試験の一真の英語の結果は、グラマーは満点。リーダーも、一問をちょっと勘違いしたくらいの点数でおさめたので学年中でもトップ3レベルである。

田原にとっても(いい高校に上がってくれれば私の成績も上がるんだから!)という目論見があるので一真はそこそこ期待されているのだ。

「ご愁傷さま、居残り頑張れよ・・・」と隣席のクラスメートに苦笑いされてさらに溜息。

他にも、異常に試験の結果が悪かった数人のクラスメート、そして隣のクラスからも三人ほどがやってきて「追試」のような小テストを受けてもらう故を説明して、

「デンゲン先生」=「デンセン」は教室から引き上げていった。

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