衝撃の報道

一真は座ることを忘れたかのようにソファーの前に立ち尽くしたまま、何度も(どうして…どうして…)と小さく呟き続けていた。

漸くテレビに近づいて、他のチャンネルを回してみようと思った時、居間のドアが開いて芳子が帰ってきた。

「あら、何よカズ、制服着たまんまで…何?あなた、顔が真っ青じゃないの?」

「母さん、大変だよ、ジョンが、ジョンが死んだ?死んじゃったみたいなんだよ?」

「何言ってるのあなたは? ジョンってどこのジョン・・・えっ?」

ちょうど夜の9時になって、NHKのニュースが始まり、画面には大きくジョン・レノンの白黒写真が映し出され、「銃撃」というテロップも見えていた。

芳子も思わず眉を顰め、

「あら・・・やっぱりアメリカは怖いわねぇ、これ、ビートルズの人でしょう?」

一真は細かく頷くことしかできない。

「そういえば先月、カズ予約してレコード買ってたじゃない?あれ新しく出したんじゃなかったの?」

その通りだった、夏頃に新譜リリースの告知が出され、5年ぶりのジョン・レノンの新録音アルバム「ダブル・ファンタジー」が11月には全世界同時発売されると知って、一真は予約までして手に入れたばかりだった。

「この人たちさぁ、ビートルズね。カズが生まれた年に日本に来たのよね・・・」

芳子はソファに腰掛けながら、何か思い出すように、ゆっくりと喋った。

そうしながら、彼女は一真の学生服の裾を引っ張りながら柔らかく「いい加減に着替えてらっしゃい」と言い、一真はその母の言葉の調子で少し気持ちが落ち着いたようだった。

バッグを母から手渡され、自室に入ったとたん、レコードラックからはみ出しているLPに気持ちと視界が同時にズームインするような錯覚に襲われ、一真はその場でしゃがみ込み、頭を抱え込んでしまった。

(どうするんだ・・・またツアーが見られるとばかり思っていたのに)


それでなくとも今年の初め、まだ一真が中学二年生だった正月明けには、吉祥寺のF&Fのプレイガイドに早朝から並んで必死の思いで購入した「ポール・マッカートニー&ウイングス」の日本公演のチケットが「公演中止」という憂き目に遭い、ガッカリしてしばらく学校に行くことさえ苦しかったという苦い記憶もあるというのに。

「死んでしまったら…もうコンサートもできない、そして、これで永遠にビートルズは再結成が出来なくなってしまったんだ・・・」


一真は小さい頃からレコードを聞くのが好きな子供だった。

父の達也は昭和一桁生まれの割には音楽に理解があり、10代~大学の時期には仲間と音楽サークルに所属して合奏やコーラスなどに励んでいたこともあり、30過ぎてから授かった息子の一真を可愛がって音楽に関するものはどんどん買い与えるような志向だったが、二つ年下の妻の芳子は、息子にはどちらかというと勉強、学歴に重きを置きたい…という所で夫とは少し温度差がある…というのは一真も物心つく頃には「なんとなく」感じ取れていた。

ビートルズが来日した年に生まれた一真だが、その後ビートルズはコンサートをやらないアーティストになってしまい、コンサートという形での生演奏は一切行っていない。


父親に連れられ、小学生で見に行った「カーペンターズ」は、それまでソノシートや絵本のおまけEPで童謡を聴いたり、テレビの歌番組の歌謡曲ばかりを聴いていた一真には大きな衝撃であった。

そのカーペンターズがカヴァーしてヒットしたのが「涙の乗車券」これがビートルズの曲だと教えてくれたのは他ならぬ父の達也である。

当時は意味がわからなかったが、達也が「こんな典型的なオールディーズ・ポップを素晴らしいバラードに編曲してしまうリチャード・カーペンターは天才だな!」と興奮して一真に語っていたのは今でも覚えている。


それが今では、達也も音楽の話などは全くせず、というより一真は父親とほとんど会話をしなくなってしまって、もう二年ほどが経っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る