第11話

 花歩は、涙で濡れた瞳を戸惑ったように瞬かせた。涙が伝う頬を、僕の親指でそっと拭う。


「急いで来たから、明日の朝には韓国に帰らなくちゃいけないけど。でも、必ずもう一度来るから、僕を信じて待ってて」


 でも、と何かを続けようとする彼女の言葉を遮って、「もうちょっと僕のワガママに付き合ってよ」と笑ってみせた。彼女はハッキリと頷くことはしなかったけれど、「出来るかな。私に」と庭を愛おしそうに眺めながら、優しい声で呟いた。


 韓国へ戻り、空港から仕事が入っているスタジオへ直行する。

 控室の前で会ったイジュンは、荷物がパンパンに詰め込まれたリュックを背負う僕を見るなり、「ちょっと」と元々大きくて丸い目をさらに丸くさせた。


 「ジアン兄さん、どこ行ってたんですか? 昨日、兄さんの家に行ったけどいなかったから」


旅行? と首を傾げるイジュンにどこまで話すべきか悩んで返事が濁る。彼はそんな僕と荷物を交互に見ると、すぐに合点がいったようだった。


 「日本に行ったんですか? いつ?」

「あのあと、すぐ」

「兄さんってそんなに積極的な人だったんですね」

「このままで終わらせて良いのかって言ったのはイジュンだろ」


からかってないですよ、とイジュンが慌てたように首を横に振る。それから、僕の顔をまじまじと見ると、「あの人に会えたみたいですね」と微笑んだ。


「なんで分かるんだよ」

「眉間にずっとあった深い皴がないから。兄さん、ずっと怖い顔してましたから」


 良い方向に向かってるみたいですね、となぜかイジュンが嬉しそうな声で言う。僕はそれに「まだ分からないけど」と返した。


 「まだ、これからだと思う」

「そうなんですか?」

「彼女の中にある、忘れられない庭園を造り直さないと」


ふぅん、と僕の話に頷くイジュンは、よく分からないけど、と続けた。


「兄さんたちが幸せになれることを願ってます。あ、マネージャーには秘密にしておくので」


僕は口が堅いですから、とイジュンは唇をチャックで閉める仕草を可愛らしくしてから、控室の扉を開けた。それから思い出したように僕を振り返り、


「さすがにその荷物の多さは怪しまれそうなんで、うまく隠したほうがいいですよ」


と言った。



 結局まとまった休みは二ヵ月先まで取ることができなかった。長く続いた仕事を終え、その足で日本へ飛び立つ。マネージャーには事前に、休みは両親と家族旅行へ出かけるから、急に連絡されても出られないかもしれないと伝えておいた。この旅に両親が同行することはないのだけれど。嘘をつくことに罪悪感はあるが、それ以上に僕の心は早く花歩に会いたい気持ちでいっぱいだった。


 日本へ到着し、ゲートを潜る前から花歩の姿を探す。ゲートの向こうで、人混みの中、スマホを握りしめて、きょろきょろと辺りを見回す花歩を見つけた。


 「花歩」


 駆け寄って名前を呼ぶ。彼女が振り返る。僕を見た花歩は困ったように眉を下げて、


「本当に来た」


と、今にも泣きだしてしまいそうな顔で笑った。


「本当に来たよ。信じてって言ったでしょ」


彼女の頬を包んで、親指でそっと撫でるように拭う。花歩は「泣いてないよ」とくすぐったそうに笑った。

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