第10話
気まずい空気が流れる僕らを、おじいさんが「少し話しておいで」と庭先へと促す。戸惑う僕から、ずっと手に持ったままだった買い物袋を、おじいさんは笑いながら「ありがとね」と受け取った。
何度もおじいさんのほうを見る僕らに、彼は「庭履きも勝手に使っていいから」と言って、半ば強引に掃き出し窓から外へと追いやった。
行こうか、と先に言ってくれたのは花歩だった。十年前のあの日のように、戸惑うまま彼女の後ろをついていく僕は情けない。
初夏の眩しさはなく、秋の夕暮れが僕らを染める。色鮮やかに賑やかだった庭園は、鳴りを潜めたように静かだ。それは、花歩の背中がとても小さく、弱く、僕に見えたせいもあるかもしれない。
古城のようなパーゴラドーム。白いベンチに乗った砂埃を手で払えば、花歩は「ありがと」と小さく笑った。そのたった一つの笑顔だけで、僕の心に広がりつつあった不安が少しだけ取り除かれたように感じた。それでも、いざ彼女と面と向かって話そうと思うと、何を言うことが正解なのかも分からなくて、胸はときめきよりも緊張で鼓動を速めている。
庭へ出る間際、おじいさんに渡されたみかんを、少しだけ間を空けるようにして座った花歩へと手渡す。彼女はもう一度小さくお礼を言ってから、優しく両の掌で包み込んだ。
「……花歩、急に来て、ごめん」
花歩はふるふると首を横に振りながら「ううん」と言って続ける。
「私のほうこそ、あんな風にジアンのことを拒否して、ごめんなさい」
花歩は一度、僕のほうへしっかりと視線を向けてから、頭を深く下げた。
「本当に、ごめんね」
「ううん。僕は、大丈夫。ただ、何か理由があるなら……聞かせてほしいって思った」
だからここまで来たんだ、と返せば、花歩の瞳がゆっくりと泳ぐ。それから体を正面に向き直すと、俯いて唇をグッと嚙むように口を噤んだのが分かった。
「もし、僕のことが嫌いで、どうしても会いたくなかったのなら、」
「違う。ジアンのことが嫌いとかじゃないの。悪いのは、全部、私」
ジアンは何も悪くないから、それは心配しないで欲しい、と僕の言葉を遮って彼女は言う。夕暮れを知らせる、小鳥の鳴き声が微かに響く。
「……十年前の事故が原因?」
「知ってたの?」
「昨日……母さんたちに聞いた」
小鳥の声に混じって、彼女が次の言葉を紡ぐために息を吸い込んだのが聞こえた。
「そうよ。この庭も、あの頃の幸せも、全部私が壊してしまったの」
ぽつりと花歩が口を開く。
「ジアンに初めて会った頃、本当に幸せだった。毎日が楽しくて。こんな日々がずっと、ずーっと続くと思っていた。あなたに会えたことも本当に嬉しかったし、これから毎年ジアンに会えるのかなってワクワクもしてた。でも、私は、そんな未来望んじゃいけないくらい……酷いことをしてしまった」
「……何があったの、十年前」
「あの日……夏休みだったんだけど、部活があって。寝坊したせいで、遅刻しそうだったの。だから、お父さんとお母さんに、仕事に向かう前に学校まで送って欲しいってお願いした。いつもなら、お父さんとお母さんは通らない道。いつもは車を停めない場所。部活なんて、遅刻しても良いから、自分で……いつもみたいに自転車で行けば良かった。いつもは停めない場所で、降ろしてって私が言ったから、」
花歩の吐く息が、彼女の心模様を表すように大きく揺れる。
「後ろから来たトラックが、私が車から降りた直後にお父さんたちの車に気付かずにぶつかったの」
彼女が目を伏せる。長いまつ毛が、泣いているように震えている。
花歩の隣から、彼女の前へとしゃがみ込む。その細い肩に恐る恐る手を伸ばして、そっと触れた。なんて返せば、彼女の心を救えるのか、全く思い浮かばなかった。彼女がそんな言葉を求めていないことも、痛いほど伝わってきたから。僕はただ、壊れないように撫でることしか出来ない。
「二人がいないあの家を守ることもできなくて、お母さんがいないこの庭は、おばあちゃんとおじいちゃんに寂しい思いもさせてしまう。そんなこと、あの日、私があんなこと頼まなければ、感じなくてよかったのに。この庭園を守ることも、私にはする資格がない」
花歩の手からみかんが落ちる。
「ごめんなさい、ジアン。ずっとあなただって気付いてた。これ以上会ったらダメだって分かっていたのに、止められなくて。結局、あなたのことも傷つけてしまった」
花歩が隠すように、両手で自分の顔を覆った。
「こんな私を、お願いだから見つけないで、ジアン」
絞り出すように掠れた声で紡がれた言葉は悲痛に満ちている。
「花歩、僕は、」
反射的だった。彼女をどうにかして救い出したかった。彼女の仮面を外すように、その手を優しく取った。
「僕と一緒に、この庭園を、作り直そう」
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