第9話

 おじいさんに連れられ、歩みを進めるうちに蘇ってくる記憶。細かなところに変化はあるが、それでも僕はこの道を覚えている。


 「ここだよ。さぁ、どうぞ」


 古く、しかし品のある大きな門が僕を出迎える。英国調の大きな屋敷には、多少の老いを感じるけれど、あの日、あの時、花歩が連れてきてくれた場所だとすぐに分かった。


 「失礼します」

「お茶でも淹れようね」


コーヒーか紅茶があったはずだと言いながら、あの日入らなかった家の中へと入っていくおじいさんの後を追う。この屋敷の裏手に回れば、あの忘れられない庭園があるはずだ。そう、少しどころじゃなく、そちらのほうへ気を取られながら歩く僕は「はい」と返すことだけで精一杯だった。お気遣いなく、という気の利いた言葉くらい言えたら良かったのだけれど。


 通された屋敷の中は、外観に負けないくらい立派なものだった。一目見ただけでも価値があると分かるようなアンティーク調の家具が、決して下品にならないように置かれている。そのままキッチンのほうへ向かうおじいさんの姿を見送り、僕は部屋の中を思わず見回してしまった。


 庭に面するように大きな掃き出し窓がある。陽も短くなってきたのだろう。十六時を告げる壁掛け時計の音は、夕日を部屋の中に手招いているように感じた。


 「あ……」


 何度も思い出した、古城のようなパーゴラドームが庭の奥に見える。記憶が色褪せても美しかった庭園は、すっかりと寂しさを漂わせていた。色とりどり咲き乱れていた花はなく、ただ、しん、と静かに、古城が建っている。


 「ずっと、庭の手入れは、妻と娘がしていたんだ。ガーデニングが趣味でね。娘は嫁いでからも、花の世話はするんだーって言って。本当に、毎日のように来ていたよ。孫も一緒についてきては、いつもあのベンチに座って見ていた。楽しそうに、何だかよく分からない歌を歌っていたなぁ」


 白いカップを二つ、テーブルに置き、おじいさんは優しく目を細める。宝石のように艶やかに光る紅茶が、カップの中で穏やかに揺れていた。


 「今は……」


 おじいさんは力なく首を横に振った。


 「事故で娘と、娘の夫が亡くなってしまって。しばらくは妻一人で頑張っていたんだけど。何せとても広い庭だからね。体調を崩したせいで、それも出来なくなってしまって」


 孫もね、とおじいさんはソファーに腰かけ、庭のほうへ目をやりながら続ける。先ほどの優しさに、悲しみの色が混じる。


「孫娘も一生懸命、この庭を守ってくれようとしたんだ。でも、泣いてしまうから。とても真っすぐで、優しい子で、苦しんでしまうから」


 花歩のことですか、と勇気を出して尋ねようとした僕に、おじいさんの視線が向けられる。そして、これまでよりも一層、優しく微笑んだ。


 「君は、一度、花歩とここに来たことがあるね」


 その言葉は、最初から全て気付いているような声色だった。そして、おじいさんから彼女の名前が出て、おじいさんに感じた懐かしさの理由に確信を持つ。その笑顔が纏う空気が、花歩にそっくりなのだと。


 「僕、花歩に会いたくて、それで、」


 どこから説明すればいいのかと、口から出る言葉は、焦りまごつく。どこに行ったら花歩にもう一度会うことができるのか。そもそも、彼女はもう一度、僕に会ってくれるのか。おじいさんが聞かれても困るようなことまで聞いてしまいそうで、紡ごうとする言葉を引っ込めるたびに、息が上がっていくのを自覚した、そのときだ。


 「ただいま。おじいちゃん、お客さん来てるの?」


 背後の扉が開く音。ずっと求めていた声が僕の背中に当たる。


 僕が振り向くのと、彼女が僕に気付くのはほぼ同時だったのだろう。一瞬、驚いたように花歩の肩が跳ねて、「ジアン」と僕の名前を呼んだその目は大きく見開かれる。


 花歩を探してここまで来たけれど、いざ彼女の姿を見た途端、僕の胸の中に不安が落ちていく。僕のこのエゴは、花歩を幸せにする行動なのだろうか。僕に会う花歩は、幸せになれるのだろうか。

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