山田くんのいいなり(´・ω・`)

七海いのり

恋を煩わせていた。



 春うららかな通学路。谷環奈たにかんなはスクールバッグの奥深くに隠し持っているカバー付きのマンガを取り出す。しっかり人目がないことを確認してからページをめくる。

 趣向には個人の自由があり環奈は若く美しい男性同士が恋するBLマンガが大好きだ。しかし極一部では偏見の目に晒されるので環奈は自分の趣味をひたすら隠している。

 真面目で堅実的。派手な言動は控えてきた。しかしBL本だけは手放すことはできなかった。環奈の特に仲良い友人達はみんなBL本にちょっと抵抗がある。友達の中では百合という可愛い女子同士がいちゃつくマンガが流行っている。

 学校ではこっそりとBL本を見ることは叶わない。だから通学路でちょびっとだけ目の保養をしようと五〜十秒だけ本に釘付けだった。

 遠くから声が聞こえた。

「猫!」

 誰かの声に顔を上げた環奈の目の前に猫が飛びついてきた!

 猫をキャッチするために大事なBL本から手を放す! 無事に猫は環奈の腕の中に納まる。本は無惨にアスファルトの地面に落下する。

 環奈の両目から涙が溢れた。環奈と同じ中学校の制服を着た見ず知らずの男子が駆け寄ってきた。

「大丈夫っスか? 猫に引っ掻かれたんスか?」

「違う……猫ちゃんは良い子や」

 環奈が猫を下に降ろそうとすると暴れてBL本の上に着地した! 本のページが数枚折れ曲がる! 環奈は青ざめてムンクの叫びをした。

「やめてや〜!!!」

 環奈がBL本を確保するより早く、男子が本を拾い上げてまじまじと中身を見ていた。環奈はその様子に絶句する! ずざざざっと後退りした。

 環奈はわなわなと震えながら男子に向かってか細い声で言い放つ。

「うちの返して」

 環奈の声が小さ過ぎて男子には聞こえないようだ。スマホで時間を見るとそろそろ遅刻しそうだった。環奈は一大決心をして男子に挑む!

「うちの返して!」

 環奈は男子にタックルをぶちかます! しかし男子はさっと避けた。環奈はそのまま植え込み突っ込む! 植え込みに埋もれてじたばたとしていると背後から引っ張られる! すぽっと抜け出ると男子に背後から包まれた感覚があった。

「谷先輩、ホモが好きなんスね」

 一番聞きたくない言葉を耳元で囁かれた環奈は一心不乱に男子の顔面にエルボーをお見舞いした!

 しかし肘でガードされて男子をノックアウトすることは叶わなかった。環奈は躍起やっきになり下着が露わになることも躊躇わずに凄まじい蹴りを三連打繰り出す! 流石にこれは三発とも見事に決まった。

 中学校のチャイムが鳴る。環奈は倒れて呻いている男子からBL本をぶん取り大急ぎで裏口から校舎へと入った。



 放課後、環奈は弓道部にやってきた。環奈は副部長なのだ。道着袴姿もすっかり様になっている。今朝の男子の顔はどこかで見たはず。そんなことを考えながら弓を引こうとした時、唐突に矢の前に人が現れた。

「谷先輩、今朝はどーも」

 口元の絆創膏が男子のチャラい雰囲気によく似合っている。それは環奈が通学路で蹴り倒した男子だった。どうやら同じ部活だったらしい。

 環奈が困惑していると男子は愉快そうに笑った。

「谷先輩ってほんとーに林蓮太郎先輩しか見てないんスね。部活一緒なんにボクのことはガン無視だったんスか。谷先輩って案外、薄情っスね」

 ちょっと離れた場所にいた林がこっちを見た。呼ばれたと思ったらしく環奈の側にやってきた。

 環奈は赤面しながら、なんでもないです……と首を左右にぶんぶんと振った。余りにも激しく頭を動かしたので、環奈の結んでいたクラウンブレイドヘアがちょっと乱れている。

 男子が環奈の落ちてきた三編みにそっと触れる。環奈は何事かと思い髪を押さえたままで男子から距離を取ろうと動く。

 しかし男子は三編みを掴んだままで、逆に引っ張られる! 距離がぐっと縮まる!

「先輩、ボク山田優やまだまさるっス。覚えましたね?」

 山田は環奈の耳元で話す。その様子を林蓮太郎が眺めていた。環奈は林に誤解されたくないのでムキになって山田を突き飛ばした!

「やめて! 山田くん真面目に練習しなさい!」

 山田は木の床に座り込んだ。下から環奈を見上げていた。山田が凄く真面目な表情だったので環奈はいたたまれない気持ちになった。

「林部長、今日は調子が悪いので早退します。すみません」

 林に一礼をした環奈は山田を一瞬だけ睨んでそのまま更衣室へと逃げた。




 更衣室から出ると山田が待ち構えていた。環奈は片眉だけを上げて少しびっくりしたけど何食わぬ顔で山田の横を通り抜けた。

 その時に山田に腕を掴まれて更衣室の中に連れ戻された! 咄嗟のことに反応できないでいる環奈をよそに山田は環奈のスクールバッグからBL本を奪い取る!

 環奈は我に返り声を張り上げた!

「うちのBL本返して! バカ山田……なんで意地悪するんや!」

 環奈の目から涙が零れる。山田は口の端を歪めて宣言した。

「谷先輩が悪いんっスよ? ボクは環奈ちゃんが好きなんです。ボクと付き合って下さい」

「嫌や! うちは他に好いとる人がおんねん!」

「林蓮太郎先輩に、環奈ちゃんはBLが好きってバラしていいんスね?」

 それは……と環奈は言い淀む。林とBL本どっちも大事なのだ。

 林の好みの女性像はおしとやかな子だったはず。環奈が普段、堅実的で控え目な振る舞いをしているのは一重に林に好かれたいからなのだ。口が裂けてもBL本が好きなんて言えない。林に環奈の趣向を知られたら軽蔑される。

 環奈は仕方なく頷く。

 中学三年生の四月の終わりに、山田と環奈は交際をスタートした。



 交際するために環奈は条件をつけた。

 一、この交際を誰にも言わないこと。

 二、環奈のBL好きを誰にも言わないこと。

 三、環奈が林蓮太郎のことが好きなことを誰にも言わないこと。

 四、清き交際であること。


 以上四つの約束をした。山田は派手なピンク頭だったが真剣に環奈が好きだった。だから環奈との約束を守っていた。

 環奈は山田の真面目な気持ちに気付かずに、山田と隠れて交際をしながら、ずっと林蓮太郎のことを見つめていた。

 梅雨時期に突入した頃には山田と環奈はかなり仲良くなっていた。山田は環奈との温度差を知りながらもますます環奈に夢中になっていた。

 女子の夏服は水色のセーラー服。環奈はいつも髪をクラウンブレイドヘアにして纏めている。夏服が凄く似合っている。肌寒い時は女子はカーディガンを羽織っている。

 環奈は林とクラスが違うので弓道部以外での接点はない。環奈の日課だった昼休みに屋上から中庭で昼ご飯を食べている林を観察することは現在も続けている。

 環奈も山田も昼食は自分の友達と食べる。登下校は毎日一緒にしている。来週から中間テストなので本日は弓道部は休みだ。

 山田はウキウキと環奈を放課後デートに誘った。いかがわしいことは絶対にしないので環奈も快く承諾して、二人で環奈の部屋にやってきた。

 環奈が大好きなBL本をなんと山田は読んでくれたのだ。環奈からの山田への好感度はうなぎ登りだった。

 環奈にとって山田はBLに対して理解してくれる唯一無二の親友となった。環奈がオススメのBLマンガを山田に渡すと必ず読んで感想を教えてくれるのだ!

 環奈は満面の笑みで山田とBL本の話に花を咲かせる。

「環奈ちゃんがそんなに好きなら、ボクさBLマンガ家になろうかな」

「なにゆーてん。美しいマンガが描けなBLちゃうねんで? 二次元やからええの! ナマモノはいかん」

「マンガやアニメが二次元で、人間が三次元ね。ナマモノは人間っスね。例えばボクと林蓮太郎先輩が話していてホモなイメージは沸かないんスか?」

「は? うちは二次元しか愛せないから。ナマモノなんて無理。声優さんは二,五次元だから際どいんだけど……うちは無しかな」

「なんスか、二,五次元って。五ェ門と次元のカップリングですか?」

「それあかんて! 炎上してまうわ!」

 環奈は慌てて山田の口を両手で塞いだ。勢いが余って山田を床に押し倒した。

 山田は環奈の行動に驚いて持っていたBL本を取り落とす。自分の上に好きな子が乗っかっているという構図はなかなか自制心が試される。

 山田は咄嗟に頭の中でホモがイチャイチャしているシーンを思い浮かべた! 上った血液が瞬時に下がっていく。

 BL本に抵抗は無くなったが、環奈と違って山田はホモにときめいたりはしない。キュンキュンはしないのだ。男同士のベッドシーンは正直に言えば受け付けない。しかしそれを環奈に知られては不味い。

 だから山田はホモのベッドシーンが嫌いだとは誰にも言えないのだ。環奈と結婚をしたいのなら、墓場まで持っていかなきゃならない秘密なのだ。

 山田は目を閉じて深呼吸する。環奈から視線を反らして一言。

「環奈ちゃん、早く退いて下さい。ボクは女子に押し倒されたい趣味はないんで」

 山田はできるだけ無機質な声を出した。自分が動揺していることを悟られないように冷たい態度を取った。

 そういえば環奈に対して塩対応するのは初めてかも知れない。ちょっと突き放し過ぎたかと思い、環奈を上目遣いで見るとそこには茹でダコの如し真っ赤に染まった顔があった。

 なんとか抑えつけた欲望が再熱してしまい山田は紳士になりきれない自分に嫌気が差した。

「環奈ちゃん別れようか。ボクは環奈ちゃんが好きだから理性で襲わないようにしていたけど、そろそろ限界。結婚するまで何も無しなんて無理だから」

 それを聞いた環奈は静かに山田の上から降りた。それから俯きながらか細い声で、わかった……と答えた。

 山田と環奈の交際はひと月程と短いものだった。



 環奈は山田と別れてから毎日が退屈になった。別れてから環奈はいつも山田を視線で追っている。もう七月だ。弓道部は山田と一緒だったが三年生の環奈は一学期で部活を卒業するのだ。

 山田は一年生だ。年下と感じることがあまりなく気にかけていなかったけど、環奈は三年生だから来年の春にはもう中学校に通わない。

 中学校に行かないならもう山田との接点が無くなる。そう思うと環奈は無性に悲しくなった。

 山田にフラれてから調子が出ない。あんなに大好きだった林に声をかけられても全く嬉しくなかった。先週、林蓮太郎から告白されたのだけど直ぐに断った。何も思わなかった。

 環奈は思った。いつの間にか山田に恋をしていたのだと気付いたけど、今更どうやって山田に話しかけていいのかわからないのだ。

 環奈は一人でとぼとぼと家に帰る。最近自分の部屋でBL本を読むことがない。BL本を読むとついつい山田を思い出すから。胸が苦しくなって以前のようにBL本に夢中になれなくなった。

 全部バカ山田のせいだ。環奈は部屋で膝を抱えて泣く。

 その時、スマホの着信音がなる。画面を見ると山田の名前が表示されていた。

 環奈は涙をティッシュでささっと拭き電話に出る。

『あ? 環奈ちゃん? あのさ〜環奈ちゃんのBL本を借りたまんまだったんだ。今から返しに行っていい?』

「今、どこおんの?」

 耳に届く山田の声に環奈は安心感を覚えた。ときめきではなく安心感。環奈はなんだか可笑しくなって電話越しに笑ってしまった。

 BL本に求めていたのはときめきだった。でも現実の恋人には安らぎを求めるなんて矛盾してる。

 環奈の笑い声に、山田は敢えて無言を貫いた。

 山田は賭けをしたのだ。

 一度別れることで親友というポジションから抜け出したかった。環奈からちゃんと異性として恋人として見てほしかった。

 先週、偶然にも林蓮太郎が環奈に告白して直ぐに玉砕されているのを目撃したのだ。

 これは大チャンスだ。山田は環奈に再アタックをかけることにした。

 環奈から借りたBL本の環奈が好きになるキャラはみんな草食のフリをした肉食男子だった。二人きりになった時に襲うフリをして駄目なら本当に駄目だろう。

 山田は賭けをするのだ。駄目ならきっぱりと環奈を諦める。上手くいけば一線を越えてラブラブの恋人になれる。

 善は急げということで、山田は環奈の家の前にいる。電話をかけて直ぐに会って驚かせるのだ。吊り橋効果もちょっと期待できる。おまけに環奈が好きそうな新作のBL本を手土産に用意している。これでもか! と環奈の気を引きたいので山田も使えそうな餌をとことん使う。

 電話越しから環奈の笑い声が消えていた。山田は耳を澄ますが何も聞こえない。玄関の前の道からは環奈の部屋は見えない。仕方なく環奈の部屋の窓が見える場所まで移動する。

 環奈は部屋のベランダに出ていた。歩いてくる山田に気が付いて手を小さく振る。スマホは持ってないようだ。山田は後ろ頭を軽く掻いて喋る。

「スマホないじゃん。家に入れて下さい」

「今、うちしかいないから入れません」

「はあ? 疑ってるんスか? もう恋人じゃないんスから襲わないっス」

 山田は自分の台詞で自分の首を絞める。環奈を前にするとどうしてもチャラく接してしまうわけだ。環奈が好きだからこそ真面目にするのが恥ずかしくなってしまう。

 真面目にすると失敗した時に言い訳が出来ないから。冗談っぽくすればもし傷つけてもそんな深手にはならない。それが山田の逃げ道だ。

 本気で好きな環奈に、本気で嫌われたら暫く立ち直れないから。山田はまだ自分の本心で環奈と向き合うことが恐くて出来なかった。

 それでも、それでも環奈が好きなのでやっぱり恋人でいたいと思った。

 山田の質問に環奈は答えない。山田は一戸建ての二階の部屋にいる環奈を見上げた。

「山田くんはうちが好きやろ? なんで別れたん?」

 環奈からの直球な問いかけに山田は拳を握り締めた。言い訳を考えなくてはこの後の山田の計画が水の泡になる。

 山田の頭の中はパニックになっていた。なんせいつもリードをしていたのは山田の方だったから。山田が積極的に環奈にちょっかいを出していた。環奈からBL本以外で何かを聞かれることはほぼ無かった。

 とにかく何か言わなければ。何を喋ればいいんだろうか。山田は頭が真っ白になった。

「BL本の肌色を見るのが辛かったからだ!!! そんなに裸が見たいならボクのを見せてやりますよ!!!」

 とんだ爆弾発言。それが素の山田だ。好きな子は虐めたい。それが成長過程の男子の中にはある。残念ながら恋を煩わせている。それが山田だった。

 山田が大声で叫んだのでご近所さんや通行人がひそひそと笑いながら過ぎ去っていく。

 環奈の中で何かが切れた。

「山田くんなんか大嫌い! 二度とうちに話しかけんでえ! このどアホ!」

 環奈はぷりぷりと怒って部屋の中に帰る。

 しかし環奈の口元は緩んでいた。口論になってしまったけどきっと山田のことだ、また直ぐに環奈にアプローチをしてくるに違いない。

 環奈には自信があった。先程のやり取りで確信が持てたのだ。

 いつもはクールぶっている山田があんなにあたふたとしていたのだ。初めて年下に見えた。環奈はそんな山田が愛しくなった。

 だけど環奈が山田のことが好きということは、まだ誰にも言えない。

 まだ誰にも言えない。山田本人にもまだ言わない。

 環奈もしっかりと恋を煩わせていた。



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