五月十一日 夕刻(3)
エリちゃんは三叉路で私を待ち構えていた。
「随分と
「気づいたの」と私は生意気に返事した。エリちゃんは「そう」と言って、そそくさと歩き始めた。「宇陀先輩を待たないの?」エリちゃんに声をかける。
「もう要らないみたいだもの」
私は横に歩いてついていくことにした。
「ちょっと聞いても良い?」私は心に澱む疑問を解消しようと、エリちゃんに尋ねた。「私に答えられることなら」と返してくれた。
「今朝、この世界はまだ完成していない、って言ってたよね。どうしてたら完成してたのかなって」
「また楽しい質問ね。私に会わなければ、と答えておくべきかしら」
いつも通りの含みを孕んだ答え。私はエリちゃんを見つめて続きを待つ。
「私に会わなければ、たとえ宇陀くんという対極者の存在があったとしても、あなたはこの【顔】のない世界を認めてしまっていたでしょうね」
「私が、この世界の全てを受け入れていれば、世界は完成していたっていうこと?」
「そうね。
理に適っている。私の心にわだかまっていた宇陀先輩への憐憫は掬い上げられた。
「それに、あなたに接触するつもりもなかった。私の監督者として自負する責務はイタチの魔の手から人を救うこと。もしそれが対極者にとって無害だとわかれば、私はそのあやかしに手出ししないわ」
それがこの少女にとっての正義なのか。森の道は段々と闇を強める。
「今回のようなケースは稀よ。これまでに、立場は問わず、イタチを射殺す人間もいたわ」
エリちゃんは突然、私の方を向いた。
「茅吹さん、あなたは立派よ」
不意に
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開けた場所に出て、軽く舗装された階段を登る。脇道に生えるすすきの肌触りが心を優しく撫でてくれる。エリちゃんの用意した懐中電灯の光を頼りに私達はぐんぐん登っていく。エリちゃんをつついて「止まって」の合図を出し、後ろを振り返る。場末の私の地元と真っ黒な古田山が見え、その向こうに夜の街灯がバケツから溢れたみたいに広がっている。夜風が気持ちいい。宇陀先輩のライトの光も私に見えた。
じきに頂上までたどり着く。心変わりの心配もない。今の私は惨めだろうか、開き直ったように人の眼に映らないだろうか、そんな心配の
『人の心はわからない。だから面白い』そんな月並みな言葉が胸を叩く。絶望や猜疑のもつ光の輝きが私をいつだって導いてくれる。私が得るべき教訓はもう胸の中にある。
頂上で宇陀先輩を待った。エリちゃんとはこれでお別れになるのだろうか。これからも
「あ」とエリちゃんは声を漏らした。「菩薩の意味、解ったかも」
純粋を湛える洲上エリの瞳を見て答える。「なんて意味なの?」
「
「へ?」早口言葉か。私は無言の一太刀を入れた。
「外見が菩薩なら、中身は
的を得た答えに納得させられる。
「実にあなたらしい世界ね、千聖さん」
私は下の名前で呼ばれたのを聞き逃さなかった。温もりが心に残る。
可愛い夜叉の先輩がやっと来た。もうヘトヘトのようだ。これではサッカー部エースの名が廃るだろう。
「どう、一思いに叫んでみたら?」
エリちゃんに言われるがままに、山頂の高台に登る。何を叫ぼう。ワクワクする。これはこの世界に対する私の反逆だ。恨みもつらみも全部叫んで、奪われた【顔】を取り戻そう。私の心のわだかまりを現実にしよう。不仲な両親は早く別れれば良いなんて言っても良いかも知れない。イケメンが嫌いだとか、美女は性格が腐っているだとか、下らない愚痴でも良い。無駄に顔の良い弟を罵ってみても良いな。何を言っても構わない。心配しなくても私の中にある私の叫びはここで尽きることはない。私の中にずっと淀んで、世界を覗くレンズになる。
2本の足で仁王立ちを決め込み、口の前にメガホンをつくった。
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