五月十一日 昼刻

 「どうやって戻るかっていう肝心な話はまだしてないよな」

 もう昼も近づいてきた。こう変に緊張しっぱなしだと身が持たない。話を進めようとする宇陀先輩を置いて、私はお昼にしようと提案をした。

 エリちゃんは「クラブハウスサンドくらいはあるんじゃない」と言いながら、マスターを呼ぶ。各々の注文を聞くとまたそそくさとカウンターに戻っていった。


 「それで、どうすれば戻れるか、という話ね」

 エリちゃんが確認を取る。

「まず訂正を一つ入れましょう。私達が戻るわけではないわ。この世界を戻すのよ。この世界は茅吹千聖の願望によって改変された世界。まだこんなにも継ぎ接ぎつぎはぎだらけな世界なら戻すこともさほど難しくないわ」

 ツギハギというのは昨日先輩が言っていた洗顔剤やワックスのことだろうか。今朝確認したらお父さんのも確かに洗面台に整然と並べられていた。

「世界改変の仕組みは意外と簡単よ。まずイタチが願望を聞くと、イタチは自身に内包された力を用いて《夢世界》と呼ばれる改変された世界を創り上げる。ここからキーとなるのが『夢』の存在よ。夢は即ち願望のことだけれど、夢世界が成立し続けるためには、望みを願う者が『これは夢=自分の願望である』と認識し続ける必要があるの。これはイタチの優しさというやつね。『幸せを願わん者には、幸せを忘れてしまわぬための配慮が必要である』なんて大げさなね。そのためにあるのが……」

「対極者の存在」

 私はポツリと呟いた。一人ひとの幸せのための犠牲者、それが対極者。いつもそうだ。誰かが幸せになれば誰かは不幸になる。世界はそういう風に出来ているのだ。

「正解。イタチは必ず一つ対極者を選ぶ必要があるの。人でも物でもなんでも構わない。そして、それは世界の維持のために欠かせないものと……」

 

 ポカポカと陽光が照る窓の外を見た。人の暮らしがそこにはあった。私が変えてしまった人々の生活。これはこの世界が課したものでないとしても、軽率な私に、この運命が課した大きな罰だ。私には反省する必要があるのだ。


 「聞いてるの?茅吹さん?」

「はい、聞いてます聞いてます」

 鉄の女は抜かりない。自分に対する注意に常に敏感でなければ、あそこまで鋭敏な反応は出来ないだろう。


「それで?早く本題に移ってくれ」

 宇陀先輩が急かした。


 「オトボケ・・・・サマが二人もいると大変ね」

 御仏様にかかってるとでも思っているのだろうか。

「私の今までの話をまとめると、この世界の成立に必要なものは3つ。《望みを願う者》と《対極者》と《イタチ》の3つ。これでわかってきた?」

 

 そういうとエリちゃんは立ち上がり、メイド服の……名前も知らない謎の穴から猟銃を徐に取り出し、机の上に投げ置いた。

 

「まさか……これで千聖を殺せっていうのか?」

 宇陀先輩は天然なのだろうか?

「これじゃあオトボケサマからただのボケ・・に格下げね」


 『先輩、これでイタチを仕留めろって意味だと思いますよ』

 不肖茅吹千聖、先輩に耳打ちをしてあげた。

「これで……イタチを?」

「そうよ。イタチは昼夜問わず活発に活動する哺乳類。今すぐにでもここから出て、野山を駆けずり回って死物狂いで茅吹さんの世界を創ったイタチを見つけて仕留めれば、世界は元に戻るわ」

「そんなこと出来るのか?」

「それがあなたに出来る考え得る全てよ……それとも茅吹さんをここで殺す・・の?」

 冷や汗。背中に百足が走ったような最悪な感触。面白くない冗談を言うのは止めてほしい。

「そんなに顔を青白くすることはないのよ、茅吹さん」


 「私はどうすれば良いんですか?」

 エリちゃんの話をまとめると、イタチと私に鍵があることになる。私が何かをすれば、この世界は元に戻れるのだろうか。

「難しいことは言わないわ。さっさと認めてしまえば良いのよ。【顔】のある世界、あなたがこれまでいた世界が最高でいて、無欠。あなたのこの世界に対する付け足しは蛇足・・だったって」

「……どうすれば、認めたことになるんですか」

「自分を殺す・・のよ。字句通りの意味で捉えないで頂戴ね。何も自殺しろということではないわ。あなたは一個の我を捨てて、新しい茅吹千聖として生きれば良い。【顔】を望んだ茅吹千聖を殺してしまえば、もうそれでいいのよ」


 『自分を殺す』


 私に課せられた罰は私の考えていたそれよりずっと重いものだった。

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