五月十一日 朝刻(2)

 (宇陀先輩?)

 私はエリちゃんの言葉を聞いて後ろを振り返った。そこにいたのは一人の菩薩男。制服姿でもなんでもないおもしろみのない服を着ている。

 不味いと思った。宇陀先輩が話を聞いていたのならば、必ず世界を元に戻す方法を聞き出そうとするだろう。エリちゃんがそれを断ることはないはずだ。ここに来てまた運がない。私は元の世界に引き戻されることになる。【顔】のある世界――不仲な両親が、面白みのない現実が、私を悩ませる世界に。私の意志に関わらずこの世界の帰結は最早運命づけられているのだ。

「洲上、今の話って」

 エリちゃんはいつものようにスンとした芯のある姿勢を崩さない。

「本当よ。宇陀くん、あなたにも記憶があるのかしら」

 澄まし顔のエリちゃんは淡として宇陀先輩の質問に答えた。

「宇陀くん、もし興味があるならついてきて頂戴。あなたならきっとできるわ」


 私はこの世界にある糾弾者の存在を見誤っていたことに気がついた。それは他でもない、エリちゃんなのだ。エリちゃんは私のどこまでを知っていたのだろうか。顔にコンプレックスを抱いていたこと?それとももっと核心的な私の心の在り方も?

 宇陀先輩は糾弾者などではなかった。彼の存在は運命のいたずらに過ぎない。しかし、エリちゃんは私のわがままを断罪するためにこうして現れた。それは彼女の私に対するいつもに増して冷淡な態度から見て取れることだった。


「それに、茅吹さんも、何を心配しているのかわからないけど興味があるのならついてきて。力になれるかも知れないわ」


 杞憂だったのだろうか。_________________


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 私達三人は学校をサボって近くの喫茶店までやって来た。高校生活が始まって初めてのサボりをこんな形で迎えることになろうとは思ってもみなかった。

 サティのグノシエンヌの流れるルミエールの店内はこの時間には私達以外誰もいない。菩薩顔のマスターが注文をとってカウンターに戻っていった。

「話を始めましょうか」

 店内の閑麗な内装にそのメイド服姿がよく似合う。

「まず私が尋ねたいのはあなたのことよ、茅吹さん」

 冷徹なエリちゃんの瞳の中に昨日のイタチを思い出す。厭に冷たい北風が記憶に、肌に蘇る。

「この世界を創ったのは、あなた。それで間違いないわね」


 私には黙って頷くしか出来なかった。結果として騙す・・形になってしまった宇陀先輩には申し訳ない気持ちでいっぱいだった。私は顔を上げることができなくなった。その術を奪われてしまったのだ。

 「ちょっとまってくれ。千聖が、?どういうことだよ、それ」

「宇陀くんは黙っておいて頂戴、今は茅吹さんの番よ」


 「ごめんなさい」

 私は蚊の鳴くような声でぼそっと呟いた。

「あら、どうしてあなたが謝るの?」無情なエリちゃんは私をどうしたいのかわからない。生殺しにされた状態から早く抜け出したい。そのためには真意を早く引き出す必要があるのだ。

「私がイタチ様に願ったからこんなことになっちゃったんだよね。私があのベッドの中で祈ったりなんてしなくちゃ、こんなことになんかならなかったんだよね」

 一息。一息で言い切った。私は出せる全てを出した。涙ぐんでいたって仕方がない。私にはここまでしか出来ないのだ。

「半分正解ってとこかしら」

 エリちゃんの口角が薄らかに上がる。

「あなたはきっかけを創ったまでよ。世界が変わるにはあなた自身の足が必要なのよ。新たな地平に立ったあなたがその足を進めるのかはあなた次第。イタチはそこまであなたを導いてくれたに過ぎないわ」

 「さっきから意味……」

「何度言ったらわかるの?宇陀くんは黙っていて」

 宇陀先輩にはちょっぴり……いや、ここ二日間のことを含めるとかなり同情する。


「で、茅吹さんにその意志はあるの?」

 

「……答えかねます」

 

 俯いて確かにそう言った。わからない、わけじゃない。ただエリちゃんの真意が見えない以上、ここでは答えられない。それだけだった。


 呆れられたのか、飽きられた・・・・・のか、冷淡なエリちゃんの視線は私を突き放した。

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