五月十日 朝刻
朝起きたら、◼が大仏に変わっていた。
大仏に変わっていた。
俺は中学の修学旅行で行った奈良のことを思い出した。晴れ晴れした奈良公園を抜け、高いチケットを買って東大寺の中に入る。人混みを掻い潜り、何とかお堂に辿り着く。大仏。涼しいお堂の中にある大仏。それにそっくりな◼だ。
思考は停止している。洗面台の鏡の前に唖然と口を開いた◼はマヌケと馬鹿にするのも憚られる立派な大仏。髪型まですっかりあのボールがいっぱいくっついたようなもの。
一先ず◼を拭き、リビングに向かうことにした。どうしようもない。どうせリビングに居るのは母さんだけだ。見られても構いやしないのだ。
更に奇妙な光景を目にした俺は面食らった。
大仏、大仏、そして大仏。◼という◼は皆大仏のあの◼になっている。笑いがこみ上げてくるなんて生易しいものじゃない、腹に笑いの虫が住んでいれば、そいつを吐き出してしまうほどの強烈な恐怖、ユーモアの毒。俺はその場に立ち尽くしていた。
「
大仏の◼をした母はパンにバターを塗りながらそう言う。
『……昨今のイラク情勢は……』
テレビのコメンテータはあの◼でつらつらと立派なことを言っている。
リビングに飾ってある
こんなにもありがたい父の姿を拝めたのは僥倖と呼ぶべきなのかも知れない。
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「彰?どうかしたの、様子が変よ」
その◼が変な母親に言われても、返す言葉はない。
「もうご飯なんて食べてる時間、ないでしょ。はやく着替えて、学校に行きなさい」
足をふらつかせて自室に戻る。とりあえず制服に着替えよう。今の自分について相談するのはそれからだ。学校も今日はなんとかして休ませてもらおう。あの頑固な母親でもそれくらいのことは聞き入れてくれるだろう。
自室の制服を探す。これは定位置に見つかった。◼以外についてはあまり変わりがないのがこの奇妙な世界の救だ。今でも悪い夢だと思ってはいるが、目の前にある以上、現実として受け止めるしかないのだ。
制服を手に取り着替える。◼と首の変わり目はどうなっているのか、気になり出したが、鏡がなければ知りようもない。今はとりあえず着替えるのが先だ。
着替えが終わると、リビングへ直進した。
「……」
今度は母が俺を見て呆然としている。
「あんた……その格好何よ」
もうなんでも良い。母の前にどかっと座り、「母さん」と口に出した。蚊の泣くような声だったのかも知れない。
「どしたの?」
「俺の◼どこか変?」
「え?彰の◼はいつもどおり素敵よ」
この◼の母親と話すと気持ちが悪い。懐かしさと新奇さが相まって絶妙な恐怖を胸に突き刺す。
「……そんなことより、その格好で学校に行くなんて本気?」
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