猟笛

 エサロス島の男子は、十八歳で成人を迎える。そしてその通過儀礼として、新成人二人、大人一人の三人で小さな旅団を組み、七日七晩の狩りの旅に出る。そこで双蹄竜ディオハリプを討伐し死体を持ち帰った者は、背中一面を彫り、そうして成人の仲間入りを果たすことができるのだ。この旅は、住人の間では「角獲りの旅ライゼン・ゴニアス」と呼ばれている。


 単蹄竜と双蹄竜は、ネコとトラくらいに似て非なる存在である。比較的温厚で人間と良好な関係性を築き続けてきた単蹄竜に対し、双蹄竜は密林の暴君という名が相応しい程に凶暴な性格をしている。体も非常に大きく、成体は平均体長が八ドレグ(=約十六メートル)と、単蹄竜の四倍以上だ。加えて、皮膚も鎧のように硬い。鉄鏃は運が良ければ突き刺さることもあるが、それでも角度が悪いと弾かれるほどである。

 頭部の大きな湾曲した二本の角、鞭のような細長い尾という脅威をかいくぐり、狩人たちはこの暴君を斃さねばならない。村の男たちは、革命に成功して初めて一人前と見なされるのだ。


 村の中央の集会所では既に大きな焚火が燃やされ、この初夏までに十八歳を迎えた新成人男子二八名が集っていた。そして、集会所中央の広場を円形に囲む階段状の座席には、集落じゅうから集まった老若男女がまばらに座っている。その中には、今日同じく成人するはずだったマルソの父親、セダイの姿もあった。

 セダイが軽く手をあげたので、トレクスもそれに応じた。マルソが命を落として以降、セダイは目に見えて更けていった。単蹄竜の世話は欠かさなかったが、村の男子が狩りに行くのに躊躇いを見せることもあった。「大丈夫さ、マルソは力になってくれる」と、アレンが背中を叩いた。


 低く太い角笛の音がして、辺りが静まり返った。続いて、集会所の奥に置かれた祭壇に、髭を長く伸ばし、髪を後ろで結った老人が姿を現した。パトラスの長老である。日に焼けた皮膚にシミが目立つものの、その筋肉は未だに力強く張っており、かつての狩人の姿を留めている。

「今年は二八人の男子が無事、この日を迎えることができた。これほど多くの者がこの日を迎えられたことは、わしの七十餘年の人生でも初めてだ。君たちが皆、無事我々大人の仲間入りを果たせることを、心から願っておる」

 そうならないことは誰もが知っていた。それほど過酷な狩猟なのだ。しかし、それも彼らにはいずれ乗り越えねばならない、人生という試練の通過点に過ぎない。試練を耐え抜いた者だけが、長老のように老いて尚壮健な肉体と、威厳と名誉を獲得できるのだ。

 ゆえに、長老の言葉には誰もが重みを感じているはずだった。


「さて、皆も知っての通り、このエサロス島はかつて、英雄トリケネイアとその一族による黄金の時代を迎えていた。その場しのぎの楽しみのみを眼に留めておった愚かなマグルダ王の時代までの。そして――」

「そして空の神イメールと大地の神グエロの思し召しによって、聡き翼ソポカルフィアの一家を残し王国は海に沈んだ」と隣に立っていたアレンが、伸びやかな長老の声に続くように、物語の続きを呟いた。「実際のところどうなんだろうな、エサロス王国の建国の言い伝えってさ」

「どう、ってどういう意味だ?」トレクスは長老の方を見たまま問いかけた。「ウソかホントかって意味なら、僕はそれはナンセンスだと思う。大事なのは僕らが何を信じるかだ」


 ひゅう、とアレンが口笛を吹いた。彼はトレクスをからかうとき、決まって口笛を短く吹いた。だがトレクスは往々にして相手にしなかった。

「聡き翼がその後に聞いた神の声も、彼を取り巻いていた賢人たちの存在も、双蹄竜がグエロの化身なのか否かも僕らは確かめようがない。でも僕らはそれを信じて生きているんだ。双蹄竜が僕らにとっての試練なのは変わらない。その事実だけでいい」

「お前は相変わらず信心深い奴だな」

「信心深い、か……そうかもね。或いは、僕にとってこの物語はなくてはならないのかもしれない。僕は――僕はどこまでも『半分』だから」

「……」

「そこで困った顔をするなよ、僕が困るじゃないか。僕が半分なのは事実だし、それは僕自身がいちばんよく知っている。大事なのは、二人でこの旅を乗り切ることだから」


 それもそうか、とアレンは笑った。長老は、双蹄竜がグエロの化身として密林を闊歩している訳を話していた。アレンはそういえば、と言って尋ねた。「トレクスは旅の後でどんな絵を背中に入れるんだ?」

 まだ何も考えてないよ、とトレクスはかぶりを振った。「双蹄竜の死骸を村に引きずりながら、ゆっくり考えるさ」

「どうせなら、同じシンボルをどこかに入れないか? 一緒に狩りに出るようになって十年だぜ。もはや俺たちはバディだ」

「急に気持ち悪い、やめろって。結婚するんじゃあねえんだぞ」とトレクスは目を瞠った。互いになんとなく気まずい空気になったのを察してか、アレンは手首に巻いた麻布を締め直していたが、それがトレクスをさらに居心地悪くさせた。


 思い返せばアレンは昔から男女分け隔てなく情に篤く、いささか自己犠牲の気を感じるほど篤すぎるのではないかとトレクスが思うこともしばしばあった。とはいえそれは村の子供たちにとっては好印象であったらしく、結果的にアレンが周りに敵という敵を作ったことはない。

 一方のトレクスはその生い立ちの影響あってかあるいは生来の気質なのか、友人と呼べるような人間は片手で数える程度だった。否、もとより作ろうとしなかったというのが正しいだろう。単独行動を好み、沈思黙考している時間が子供にしては長すぎる彼の姿を見て、周囲も積極的に近寄ろうとはしなかったし、彼もまた孤独にある種の心地よさすら覚えていたのである。

 ある意味対照的な二人だが、なぜかトレクスとアレンは気が合った。アレンが無闇に接近することもなかったし、トレクスがわざわざ突き放すこともしなかった。アレンは唯一の、トレクスの良い友人だった。


「老人からの激励はこのくらいにしておこう。……後は皆それぞれで頑張ってくれたまえ」

 長老がにこやかに祭壇を降りると、成人した男たちが長老に入れ替わる形で広場へと入ってきた。コンポジット・ボウや槍を持った彼らの身体が積乱雲のように隆起しているのが、狩衣の上からでもはっきりと確認できた。「角獲りの旅」において新成人をアシストする者たちである。


 夏草色のマントを翻している人混みの中にも、ユリアスの姿ははっきりと見てとれた。周りの男たちに比べると体躯が細く、ブロンドの細い髪を短く刈り込んでおり、力強さにおいてはやや劣って見えるためだろう。

 だがユリアスは、天与の身体のしなやかさを武器に変幻自在な狩りを――王都や外国では戦いを――展開してきた。長槍、短槍、剣、短弓、長弓のいずれにおいても右に出る者はいなかったという。事実、王室旅団では前衛部隊・後衛部隊・遊撃部隊のいずれにも正式に所属せず、作戦に合わせて部隊に加わっていた。異例の配属形態であり、その意味で空前絶後の戦士である。

 それもあって、ユリアスは他の者とは一風異なる雰囲気を醸していたのだ。そこに存在するのは、絶対的強者故の隔絶だった。トレクスは、ユリアスと昔から気が合った。


「気分はどう?」ユリアスが駆け寄って言った。

「最高」

「それはよかった。トレクスは?」

「何だか変な感じだ。これで大人になるなんて」

「二人ともいつも通りみたいだな。さ、単蹄竜に乗ろう」ユリアスの先導で二人は臨時の厩舎に歩いていった。他の新成人たちも三々五々同じ方向へと歩いている。

 鞍にまたがると、トレクスの背筋を鳶が急降下していった。そうして、視界が開けた。――狩りが始まる。いつもと同じように、ジンは応えてくれそうだった。


 事前に決められた順序で、三人旅団が広場に列をなした。草原の蒸気を吸った微風が、頬を舐めるように掠めていく。

 祭壇に再び姿を現した長老は、腕ほどの長さにまっすぐ伸びる円錐状の笛を手にしていた。双蹄竜の角を加工して作った、号令用の猟笛りょうてきである。

 行け、狩人たちよ、という微かな声が届いたと同時に、集会所中に太く長い音が響きわたった。低い地鳴りと共に、狩人たちが次々と野に放たれる。

「行こう、コヨーテ」

 トレクスの相棒も鞭を一つ受けて大きくいななき、レコン草原のその先、円月山地の麓を目指してごうと駆けだした。

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