田村さんと消しゴムのおまじない。

夕藤さわな

第1話

 ――どうしたんだろう。


 長い髪が床につくのも構わずにクラスメイトの田村さんは教室に並んだ机や椅子の足元をのぞきこんでいる。何か探しているようだ。

 何を探しているの? と尋ねるより先に田村さんが振り返った。


「木村君、村田君が職員室から戻ってきたら先にやり始めててって言っておいてくれる? ちょっと美術室に行ってくる!」


 探し物は見つからなかったらしい。そう言うと田村さんは青い顔で廊下へと飛び出していった。

 美術の授業は昼休み前の三・四時間目にあった。どうやら昼休み後の五時間目に失くし物をしたことに気が付いたらしい。


 でも、なぜ村田に伝言を? やり始めててって何を? と思ったけどその謎はすぐに解けた。

 黒板の右下にある日直欄に村田と田村さんの名前が並んでいたからだ。


 と――。

 村田が教室に戻ってきた。プリントを手に教室内を見回している。田村さんを探しているのだろう。


「村田、田村さんから伝言。先にやり始めててってさ」


 俺の大声に目を丸くした村田はすぐさまニヤリと笑った。 


「サンキュー、木村。ところでさ、ちょっと見てくれよ」


 駆け寄ってきた村田がずいっと何かを突き出す。近すぎて焦点が合わない。一歩下がった俺は首を傾げた。

 ただの消しゴムだ。

 半分ほどになった使い古された消しゴム。消しゴム本体よりも紙ケースの方が背が高くなってしまった、ただの消しゴム。

 これがなんだというのだろう。


「実はこれ、田村が落とした消しゴムなんだ」


 村田はそう言って消しゴムケースに貼られたクラゲのシールを指さした。

 消しゴムケースに好きなキャラや動物のシールを貼るのが女子の間で流行っていることは知っている。田村さんが大のクラゲ好きなこともだ。


 これで謎が一つ解けた。

 田村さんが探していたのは恐らくこの消しゴムだ。


「探してたよ、田村さん。日直の仕事は変わってやるからさっさと返してきなよ」


「まぁ、待て。まだ見せたいものがあるんだ」


 田村さんが探していたと聞いても慌ても焦りもせず、村田は消しゴムの紙ケースを外した。見せたいものとは? という謎は口にする前に解けてしまった。


「女子の間で流行ってるおまじない、知ってるか。新品の消しゴムに好きなやつの名前を書いてその名前を誰にも見られずに使い切ると両想いになれるってやつ」


 よく知っている。

 昔からあるおまじないで三つ上の姉も中学時代にやっていた。うっかり見てしまって引っぱたかれた痛い思い出付きでよく知っている。


 紙ケースの中から出てきた田村さんの消しゴムには〝村〟と〝田〟の文字が書かれていた。


「村田、これ……」


「そう! そういうことなんだよ、木村!」


 消しゴムは半分ほどになっているけど欠けたり折れたりしそうな様子はない。おまじないを成功させたいと田村さんが丁寧に使っているからだ。

 だというのに――。


「女子の間でそのおまじないが流行ってるって知ってて紙ケースの中まで見たの? うっかり見ちゃったんだとしても俺にまで見せるのはアウトでしょ」


 じとりと睨みつけるとようやくまずいことをしたと気が付いたらしい。村田は首をすくめた。


「い、いや、紙ケースを取ったのは俺じゃねえよ。隣のクラスの佐々木」


 その名前を聞いて俺はため息をついた。

 佐々木と村田は同じ野球部で仲が良い。バカと呼び合ったり小突き合ったり、二人そろうと悪ノリするタイプの仲の良さだ。


「美術室を掃除してる時に拾ったんだってさ。んで、田村に返しといてって渡されて……」


 と、言い訳しながら村田の顔はにまにまとゆるんでいく。


「いやぁ、校外学習の時にご神木のおまじないどうこうって言ってたから同じ学年だとは思ってたけど……まさかの俺!」


 校外学習はひと月前に行われ、俺たち二年は電車で一時間のところにある地元の観光地に行った。毎年定番の行き先で消しゴムのおまじない同様、両想いになれるというおまじないが昔からある。

 縁結びで有名な神社のご神木と好きな人が一緒に写っている写真を、好きな人に気付かれずに撮れると両想いになれるというやつ。好きな人が同学年じゃないとやれないおまじないだ。


「去年も同じクラスだったけどほとんど話したことなかったからなぁ。意外だなぁ、困っちゃうなぁ」


 なんて言ってるけど村田の顔はニヤついている。

 女子に好かれて悪い気がする男子は少ないし、それが大人しい性格で目立たないけどすらりと背が高くてきれいな田村さんなら尚のこと。

 気持ちはわかる。わかるけど――。


「村田、その消しゴムは田村さんの机にこっそり置いてきなよ」


 ここは見なかったふりをするべきだ。

 田村さんは半分ほどに小さくなった消しゴムを欠けたり折れたりしないように丁寧に使っている。誰かに見られないように消しゴム本体よりも大きくなってしまった紙ケースにきちんとしまっている。

 おまじないを成功させたい、好きな人と両想いになりたいと思っているからだ。


 見てしまったものは仕方ないけど、せめて見なかったふりをするべきだろう。

 それに――。


「なんだか違和感があるんだよな」


 俺は村田が持っている田村さんの消しゴムをじっと見つめた。


 半分以上、使われた消しゴム。

 消しゴムに書かれた〝村〟と〝田〟の文字。


「そうか、〝村〟と〝田〟なんだ」


「へ? 〝村〟と〝田〟?」


 村田への返事は後回しにして俺は教室を見回した。違和感の答えは黒板の右下にあった。


 黒板の日直欄に田村さん自身が書いた〝田村〟の文字。

 消しゴムから紙ケースを外したのは佐々木だという村田の発言と、村田と佐々木の関係性を考えれば犯人も動機も筋は通る。


「村田、言いにくいけど田村さんの好きな人は村田じゃないと思うよ」


「言いにくいって言うわりにきっぱりと言うな、木村。なんでだよ!?」


「まず一つ目。この消しゴムは半分以上使われている。なのに使っていない部分に名字二文字の両方が残っているというのはちょっと考えにくい」


 消しゴム本体と紙ケースのサイズを見比べた村田の口が真一文字になった。確かにと思っているのだろう。


「二つ目。〝村〟は田村さんの字だけど〝田〟は違う。日直欄の字と見比べてみてよ。田村さんの〝田〟は可愛らしい丸文字だけど」


「消しゴムの〝田〟は汚い」


 うん、まぁ、確かに汚い。


「それに〝村〟の字は青み掛かった太い文字だけど〝田〟の字は黒くて細い。使ったペンも違うし、〝村〟の字は書いてから時間が経っているんだと思う」


 小学生の頃、消しゴムにボールペンで落書きしたことがあった。そのとき描いた謎の絵の線は時間が経つにつれて青みが強くなり、にじんで太くなっていた。

 〝村〟の字はまさにそんな感じの色合い、太さをしている。


「つまり誰かが〝村〟の下に〝田〟を付け足したってことか」


「誰かっていうか佐々木だろうね」


「田村の好きな相手は俺じゃなくて〇村まるむらってことか」


「恐らくね」


 村田のことだ。大げさに叫びながら頭を抱えて落ち込むかと思ったのに、


「ふーん」


 と呟いてニヤニヤと笑い出した。

 かと思うと――。


「なるほど、わかった。佐々木を殴ってから田村に謝りに行ってくるから日直の仕事は任せるな!」


 持っていたプリントを俺の胸に押し付けて村田は駆け出した。


「ちょっと待て、村田!」


「そのプリント、美術の太田が返却しとけってさ。隣のクラスの分もあるからよろしくー!」


「じゃなくて! 先に田村さんに謝ってから佐々木を殴りに……!」


「佐々木、てめぇ! 人のことをおちょくりやがって!」


「いってぇ! 何すんだよ、村田!」


「何すんだはこっちのセリフだ! 田村と俺に謝れ!」


「げ、もうバレたのか!」


 タイミング良くというか悪くというか。教室を飛び出してすぐに佐々木と鉢合わせた村田は逃げる佐々木を追いかけて階段を駆け下りて行ってしまった。


「行きなよって……もう聞こえないね」


 遠退く二人の足音を聞きながら俺はため息をついた。

 村田に押し付けられたプリントをめくる。右上には名前が書かれていて一枚目は一組の相田さん、最後は二組の渡辺君になっていた。

 学年全員の机に入れて回れということらしい。


「仕事を変わるだなんて気安く言わなければよかったかな」


 村田のニヤニヤ笑いはていよく面倒な仕事を押し付けられたからだったのかもしれない。

 なんて考えていると――。


「遅くなってごめんなさい、村田君……って、木村君?」


 田村さんが戻ってきた。

 いつの間にか教室に残っているのは俺だけになっていた。一人残っている男子の背中を見て村田と勘違いしたのだろう。振り返った俺を見て田村さんは目を丸くした。


「色々とあって日直の仕事を変わることになったんだ」


「そうなの? なんだかごめんね。あとはやるから大丈夫だよ。ありがとう、木村君」


 差し出された田村さんの手を見てふと心配になってきた。消しゴムは村田の手から田村さんの手に無事に戻ったのだろうか。


「探し物は見つかった?」


 尋ねると田村さんは驚いたように目を見開いた。でも、すぐに肩を落として首を横に振った。

 行き違いになったのか、佐々木を追いかけまわして田村さんに消しゴムを返すのを忘れてしまったのか。消しゴムは村田が持っていると伝えた方がいいのか、おまじないのこともあるし黙っておいたがいいのか。

 うつむく田村さんを見ていると迷ってしまう。


「美術の時間までは確かにあったからまた探してみるつもり」


 日直の仕事を終えたあと、また消しゴムを探しに行くつもりらしい。校庭からは野球部の声が聞こえ始めている。村田と佐々木が所属する野球部の、だ。

 弱々しい微笑みを浮かべる田村さんと校庭の賑やかな声に俺は意を決して言った。


「探してるのって消しゴム? もしそうなら村田が持ってたよ。田村さんに返さなくちゃって言ってた」


 おまじないのことには触れないように気を付けて。


「え、村田君が?」


「クラゲのシールが貼ってあるのって田村さんのでしょ?」


「うん、そう! そっか、村田君が拾ってくれたんだ!」


 田村さんはほっと笑みを漏らした。でも、すぐにそわそわし始めた。

 気にしているのが例の件なら聞かないでほしい。そんな俺の祈りも空しく――。


「木村君……紙ケースの中、見た?」


 田村さんは小さな小さな声で尋ねた。不安げな声に見てないと言ってあげたいけど聞かれた以上、嘘を言うわけにもいかない。


「ごめん、見ちゃった」


 でも、言った瞬間に後悔した。

 佐々木を追いかけて階段を駆け下りていく村田を捕まえて、消しゴムを奪い取って、こっそり田村さんの机に置いておけばよかった。見なかったふりで返しておけばよかった。

 そう後悔した。


 だって田村さんは顔を赤らめて目に涙をにじませたから。


「本当にごめん! でも、本当は誰の名前が書かれていたのかは知らないから!」


「本当は、誰の……?」


 きょとんとする田村さんに俺は深く頷いた。


「元々、書かれていた〝村〟に佐々木が〝田〟を付け足したみたいでね。村田が勘違いしてたけど……」


「違う、私が好きなのは村田君じゃなくて……!」


 田村さんの言葉に俺はほっと息をついた。


「よかった」


「よかった……の?」


 自信はあっても俺のはただの推理でしかない。田村さんが誰を好きなのか、真実を知っているのは田村さんだけだ。その田村さんが俺の推理は間違っていなかったと太鼓判を押してくれたのだ。


「うん、よかった。ほっとした。そうだろうと思って村田にも説明したけど、もし間違いで、田村さんの好きな相手が村田だったら余計なことをしちゃったことになるから」


「あ、そういう意味……」


 そう呟いた田村さんは肩を落とすと力なく微笑んだ。

 やっぱり紙ケースの中を見られたことがショックなのだろうか。好きな人と両想いになれるというおまじないが失敗してしまったことに落ち込んでいるのだろうか。

 そう思ったら――。


「大丈夫だよ、田村さん」


 反射的にそう言っていた。


「えっと……そう! 俺も村田も佐々木も、消しゴムに書いてあった文字が〝村〟だったこと以外は知らない。田村さんが例のおまじないをしていたかどうかも。それに俺はこの瞬間に忘れるし、村田も佐々木もすぐに忘れちゃうだろうから……だから、大丈夫だよ」


 無理のあるなぐさめ方だっただろうか。ちょっと心配だったけど、


「そっか。……うん、そうだね。」


 田村さんはくすりと笑みを漏らした。やっぱり力ない笑い方だけどさっきよりは明るい笑い方だ。


「試合形式の練習が始まったら捕まらなくなっちゃうよ。基礎練をやってるうちに村田から消しゴムを返してもらっておいで」


「でも……」


 田村さんの視線が俺が持つプリントに向けられた。


「隣のクラスの分もあるからすぐには終わらないよ。戻ってきたら一緒にやろう」


 プリントはあいうえお順だけど教室の机は席替えをしたあとで、教卓に置かれた座席表と見比べながら配ることになる。なおのこと時間がかかるだろう。

 田村さんは少し迷ったあと、困ったような微笑みを浮かべた。


「木村君のそういうところ……」


 何か言いかけて結局、田村さんはそれ以上、何も言わなかった。そして今度こそ曇りのない明るい笑顔を見せた。


「じゃあ、ちょっと行ってくるね。……すぐに戻るから!」


「急がなくていいから。気を付けていってらっしゃい」


「うん! ありがとう、木村君!」


 笑顔で教室を出ていく田村さんを見送って俺はほっと息をついた。

 消しゴムのおまじないが失敗してちょっとは落ち込んでいるかもしれないけど、どん底までは落ち込まずに済んだようだ。


 さっき。

 田村さんは何を言おうとして、結局、飲み込んだんだろう。


「悪い意味じゃないといいなぁ」


 なんて苦笑いして俺は教卓の上にある座席表をのぞきこんだ。


「………」


 消しゴムのおまじないの件は忘れると田村さんに言ったのに。

 どうしても並んでいる名字を目で追ってしまう。相田さんの席を探してるだけと言い訳しながら座席表の名字を追い終えた俺は首を傾げた。


 耳を澄ませてみる。田村さんが戻って来る様子はまだない。俺は小走りに隣のクラスに向かった。

 教卓の上に置かれた座席表をのぞきこんで並んでいる名字を目で追って――。


「え……あれ?」


 俺は顔が熱くなるのを感じた。


 村田のニヤニヤ笑いの謎が解けた。

 二年に〇村まるむらという名字は木村おれと田村さんしかいない。そのことに村田は気が付いていたのだ。


 でも、田村さんの好きな人が同学年というのは〝ご神木のおまじないどうこう〟という情報からの村田の推理だ。間違っていて実は違う学年の〇村まるむらという可能性も十分にある。

 十分にあるのだけど――。


 ――木村君のそういうところ……。


 田村さんが飲み込んだ言葉の続きを想像して、ますます熱くなる顔を俺は座席表で隠した。


「これは謎じゃない」


 言い聞かせるように呟いた。


 田村さんが誰を好きなのか。

 真実を知っているのは田村さん自身だけだ。


「だから解こうとするな。考えるな」


 考えてもこの謎は解けない。

 解けるとすれば、それは田村さん自身が答えを教えてくれるその時だけなのだから。

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田村さんと消しゴムのおまじない。 夕藤さわな @sawana

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