孤独について考える――自由と高望みの代償――
世の中において、孤独というものが当たり前になりつつある。
既に四人に一人が生涯未婚(定義上は50歳まで未婚のことを言うらしい)と言われる時代であり、私もこれを書いている現時点では独身である。それどころか、ろくに話す相手もいないことは以前述べた通りだ。
この「お一人様」割合はわずか数十年前には考えられなかった事態であり、しかも今後ますます増えると考えられている。
色々原因はあるのだが、有力なものとしては以下の3つが挙げられると思う。
①恋愛に市場原理が導入されたから
②娯楽が増え、生活が便利になったことで恋愛・結婚する必要性が薄れた
③日本が貧しくなってきている。結婚、子育て自体が大きなコストになる時代
①から順番に見ていこう。
1900年代半ばまでの日本では、結婚への圧力が根強かった。生き遅れという表現が当たり前のように使われ、結婚してようやく一人前扱いという時代であった。
そのため、親も親戚も職場でも、ローカルなレベルでのサポートが手厚かった。お見合い結婚のような、限られた半強制的な選択肢によって、高い結婚率は維持されてきたのである。
こうした血縁・地縁的なローカルコミュニティは、1900年代が終わりに向かうにつれて、徐々に希薄となり、崩壊してしまった。
人は恋愛においても自由な選択肢が与えられるようになり、なおかつそれが持て囃されるようになった。出会い系サイトやアプリの登場と隆盛は、自由市場恋愛主義の時代を象徴している。
自由というものは素晴らしい権利である一方で、極めて義務的な側面もある。
与えられた者がどう行使するのかを、常に向き合わなければならない。誰も助けてはくれず、己の意志によって道なき道を進むしかないのだ。
つまり今の時代、積極的に恋愛「しに行かねば」中々出会いがない。しかも望む相手に巡り会えるとも、見つけたとして振り向いてもらえるとも限らない。
自然と誰かが来てくれることはまず滅多にないのであり、就活と同じように、恋活や婚活を「不自然に」頑張らなくてはならない。これは大多数の人々にとって、非常にハードルが高い。
私なんかもう面倒ですべてを諦めたいし、すべてを投げ出したい気分になる。独りの方が気楽でいいじゃないかと、時折寂しいのも真実であるのに思ってしまう。こんな人、たぶん私だけではなくて、結構たくさんいるんじゃないだろうか。
さて、この時代でも学生時代や職場の中で、あるいはネットの個人的付き合いといった近場で縁を見つけられた人は、幸運であるだろう。どうか幸せになって下さい。
一方で、既に世の大多数は、否応なしに恋愛自由市場社会へ飛び込むしかない状況になっている。
ここで不幸なのは(と私は思っているが)、まさに恋愛が自由であることそのものなのだ。
誰もが無限に近しい選択肢を与えられるがゆえに、より優れた、より自分に相応しい人物を探そうとしてしまう。
あるいは積極的になれなければ、素敵な誰かが来てくれることを待ち望むばかりになってしまう。
色々な意味で高望みしがちになってしまい、結果としてマッチングしない。
さらに不幸は続く。
人は中身が大事であると、多くの人は認めるだろう。しかし大切な内面というものは、何度か付き合って深く話してみなければわからない。
まっさらな赤の他人と語らおうというのであれば、無差別というわけには中々いかない。限られた時間やリソースの中で、まずもってフィルタリングが発生する。就活のエントリーシートと、実はほとんどまったく同じ構造だ。
まずはカタログ化された、外見やステータスというデータの色眼鏡で人を見るしかない。この段階で人は相当に選別され、機会的強者と弱者に分かれてしまう。
ところで、実は恋愛未経験率や生涯未婚率を見ると、男性の方がやや高くなっている。日本の男女の数はほとんど同じなのに、どういうことだろうか。
まあ言ってしまえば、一部の恋愛強者が女をとっかえひっかえしているという身も蓋もない現実がある。自由恋愛市場においては、外見やステータスの持てる者に恋愛機会が集中する構造になっているのだ。
他に似たようなものを知らないだろうか。
まさしく、自由資本社会における富の集中と同じことが起こっている。
これは、恋愛や富に限らない。
なろう小説の人気もそうだ。pixivに上げたイラストの人気などもそうだ。
自由こそが格差を生む。自由競争市場では、極一部の強者と、大多数の零細なる弱者に分かたれてしまう。
お見合い結婚のような下駄を履かせられない、完全に自由な市場に近いほど、統計的にそうなってしまうのだ。
かくして、個々人がモテるとかモテないとか、気構えだとか要領だとか、それ以前の構造的問題として。出会えない者たち、満たされない者たちは量産されることとなる。
自由を手に入れた代償は、望むものを手に入れることができない多数の敗者の現出である。
恋愛においても、そんな厳しいことが起きている。
悲しい事実を確認したところで、②に移ろう。
①が構造的な問題とすれば、②は必要性の問題である。
昔はなぜ結婚率や出生率が高めになるのかと言えば、一つは他に娯楽が少ないからである。やることやるくらいしか愉しみがないからである。
今はそうではない。特にインターネットの登場によって、爆発的に娯楽は増えた。家にいながらにして世界と繋がり、様々な漫画やアニメ、小説、動画などを楽しむことができる。
性的なことに限っても、ちょっと検索するだけでおかずには困らない。二次元に恋することだってできるし、その相手が理想的であるがゆえに、現実で相手を妥協することが馬鹿らしくなったり、見つけられないことだってあるのだ。
家事分担というものも、昔は極めて負担が大きかった。すべての家事が手作業だった時代、専業主婦というのは、本当にそれが「仕事」になるくらい重いものだった。
今やあらゆる家電は自動化された。家事代行サービスさえ出てくるようになった。家事が大変と言いながら、それは確かに事実であるものの、家事自体に取られる時間や労力は昔より著しく減っている。
なのになぜみんな忙しく、余裕がないのか。他にすることができてしまったからだ。
皮肉にも、家事負担の減ったその余裕が、共働きの時代をもたらした側面がある。
情報社会ではデスクワークも増えて、働くのが男性でなければならない理由は減った。女性が社会に参画「することができる」と同時に「しないといけない」「することが求められる」社会になった。
そして、働き手というプレイヤーが増えたことで、一人頭の平均的な稼ぎは上がらず、共働きしてようやくトントンという状態に皮肉にもなってしまった。
女性は男性に経済的な依存をする必要が薄れた一方で、多数は労働に駆り出され、時間的余裕を失った。男も女もみんな忙しく、恋愛などにかまけている暇は少ない。
趣味にできることもたくさんある。お金もそれなりにはある。様々な意味で、結婚などしなくてよくなってしまった。
お一人様で生きるという選択肢が、男女問わず、誰にとっても現実的なものとして浮かび上がってきてしまうのだ。
子育てという意味でも、現代はつらいものがある。
昔は家の結びつきが強かった。祖父母や親戚が子供の面倒を見るということがよくあったし、できた。
核家族化が進んだ現代、誰かに頼るということはしにくくなってしまった。
そうなると、家事分担の問題が重大な家庭問題として浮上する。
家庭という事業に積極的に参画しない者は、社会的にも悪者とみなされ、相手からも大抵嫌がられる。
つまり、私のような家事がろくにできず、全部外注しないといけないようなクソ不器用な人間はそもそもお呼びでない。資格がない。大人しく一人で文章でも書いていなさいということである。哀しいなあ。
恋愛自由市場が発展してしまったことも、安定した関係の崩壊へと追い打ちをかける。
もしパートナーに問題があれば、男も女も今の関係や家庭をさっさと放り捨てて、違うところへ行く権利が簡単に持ててしまう。離婚率や、水面下での浮気率の上昇が象徴的だ。
ああ。人は恋愛・結婚においても、終身雇用は幻となって、いつクビになるかを恐れなくてはならなくなってしまった。
夢も希望もなく、安定も望めず、現実的なメリットも少ないのなら。情愛という繋がり以外で、お気持ち以外のところで、誰が結婚などするのだろうか。
一緒にいたいという愛がなければ、それなりの相互協力がなければ、恋愛生活も結婚生活もまともに成り立たない。どちらかの利己的な面が強くなってしまったら、合理だけで考えてしまったら、今の娯楽や選択肢に溢れた世の中ではすぐダメになってしまう。
ある程度、幸せに盲目でなければならないということだ。
そして、そういられるような素敵な愛は、誰にも訪れるものではないし、いつまで続くとも限らないということだ。
哀しみに暮れたところで、③について話そう。
必要性にダメ押しで、経済的な問題が乗っかってくる。トリプルコンボだ。
実はこれも、自由市場社会の発展と関係がある。
一億総中流社会と言われたのも今は昔のこと。2000年代に入ると、正規雇用と非正規雇用の格差が大きな問題となった。これは解消されるどころか、今にいたるまでますます傾向を強めている。
より分析的には、知識労働者と単純作業労働者の格差という説明ができる。AIの高度化や仕事の専門化によって、AIや知識を使いこなせる者と、AIによって仕事を追われるか、単純な作業しかこなせない者とに分かれつつあるのだ。
この格差と不安定の時代において、そもそも結婚して子供を作ること自体が大きなリスクとなってしまっている。
子供が一人前になるまでの教育コストが、時代が進むほど、社会が高度になるほど、ますます増えていく。既に大学を卒業するのは普通であり、さらに大学院へ進む割合も増えている。
愛情という言葉で片付けられないほどに、お金の面がつらい。何とも世知辛い世の中である。
以上、つらつらと理屈っぽいことを語ってきたわけだが。
孤独が当たり前となりつつある社会で、我々一人一人はどうやって生きていけばよいのだろうか。
私自身、この問題とどう向き合っていけばいいだろうか。新しい生き方として受け入れるべきだろうか。
もうぶっちゃけ、わからない。
独りになってしまう構造的な理由はわかっても、そのことは何も自らの状況を変えてはくれない。世の客観的なデータを見て「みんなそうなんだから」と慰めになるだろうか。
ああ、ちくしょう。ほとんどならないんだな。これが!
かと言って、孤独はつらいだけ、楽しさがないと言えば、それも嘘になる。
人付き合いの煩わしさもある。誰かを支えたり養う責任も、私だけならばない。
独りは独りの良さがある。自分の人生と目的にのみ集中できる。
私は孤独をまだ楽しめている方だとは思う。
実際、コロナ禍でもほとんど苦痛がなかった。普段とほぼ何も変わらなかったのだ。
それでも、時折寂しくてどうしようもないことがある。無性に惨めに感じてしまうことがある。
なぜなら、人はいかに強がってみたところで、社会的生き物であることからは逃れられないからだ。
人に認められ、評価され、愛されて。初めて真の充実と幸せを感じることができる生き物なのだ。たぶん。
思い立ったとき、私はすぐ行動に移すタイプだ。
恋愛もそうである。
惨めで不器用な挑戦は毎回、手痛い失敗に終わる。
当然だ。見た目もダメダメだし、性格も良くない。
そもそも、価値観も求めるものも、大抵の人とはまったくずれているのだから。
……なんというか、私はとにかく小説が書きたいのと、経済的に自由を得たい。
そのためにそこそこ稼ぎ、投資もしている。
ただ現状、家事がまったくできない。自分の不器用な性質とか性格から、何度トライしても続かず、どうにもできる見込みがない。
食費とか家事代行だけやたらお金かかっているので。そのくらいだったら、一人の生活なら支えられるから。
まあ一緒にご飯くらい食べて、どっちも普段好きなことやってて。ちょっと話し相手になってくれたり、たまにどこか出かけられると嬉しいかなあという、そのくらいの緩めの関係性のパートナーを求めている。
……書いてて思うが、本当に変な奴だな。
何というか、普通の恋愛をしようとしていない。冷静に考えてかなり意味不明なので、当然相手など見つからない。
結局、私だけの小さな巣(こういうところだ)に帰ってきては、やっぱりなあと落ち込む。そのうち平気になって、開き直っている。
この繰り返しだ。困ったものだ。
もう一度言うが、人は誰かに認められ、評価され、愛されて。初めて真の充実と幸せを感じることができる生き物なのだ、と私自身は考えている。
今の自分にそのどれもがろくにないことは、自分で一番よくわかっていて。
なのに報われにくいだろうなという方法で頑張っている。色々馬鹿馬鹿しいと思うこともあるのだけど、死にたくなることもあるけれど。頑固なところは変えられなくて。
面白い小説でもあっというような文章でも、何でもいいから、ガツンとやってやるくらいしか思い付かなくてね。
せめて人生を浪費しないように、なるべく余計に苦手なところで働かなくてもいいようにって、アーリーリタイアの計画を立てて実行している。
こんなことばかりは、ちょっとずつ上手くいく。かつてフェバルを始めたとき、仕事もなく、生活苦に喘いでいた私は、経済面だけはようやく克服しつつある。もちろん、この先どうなるかはわからないが。
でもいつか目標が叶ったとき、いよいよ私は社会との繋がりが消えて、趣味ばかりに没頭し、孤独を極めるだろう。
それは素晴らしいと思うと同時に、それでいいのかと思うこともある。お金は持てても、一緒に愉しむ相手はいない。
まったく、人と方向違いの努力ばかりしている。昔からそうで、どうしようもないのだ。
だから、孤独について考えるとき、私にとってはいつも反省が付きまとう時間になってしまう。
どうか。文章でくらいは「私はここにいる!」と叫ばせてもらえないだろうか。「誰かこんな自分をもらってくれ!」と叫ばせてはくれないか。
でも「やっぱ鬱陶しいのは要らねえ!」と思っている私も確かにいる。
理想を言うなら、人生の邪魔にならない程度で、少しあったかい関係を下さい。
ほら、高望みだ。困ったねえ、ほんと。
小説は人の物語だ。大抵はたくさんのキャラクターがいて、色めくような関係性やドラマがある。
冷たい現実の――孤独の海の底から、私は人の繋がりと眩しさを見上げて、描いているのだ。
寂しいからこそ、苦しいからこそ、人の尊さがわかる。原動力がそこにある。
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