第5話
――死への恐怖。
私が、その時に強く感じたものは、死への強い恐怖だった。
死にたくない。
おどろおどろしいその恋人は、私に近寄り、何かを呟く。
その時の私は、それがなにを呟いているのか聞き取れなかった。
この世に対する恨み辛みなのだろうか? それとも、あの時、救うことが出来なかった私に対する憎しみなのだろうか。
恐怖におびえた私は、靴も履かずに玄関のドアから外へ飛び出した。
外に出れば大丈夫だろうと考えていたが――
「ねえ、なんで逃げるの?」
恋人は、後ろにいる。
目の前には通行人もいるのに、なぜ? 人のいる場所では今まで現れなかったのに?
私は、それを見ないように最大限の努力をした。
引き払う予定だったこの部屋に、私一人で戻ってきたことを本当に後悔した。
私はすぐに友人数名に連絡を取り、一緒に片付けを手伝ってほしいと懇願した。
友人は快く了承してくれた。
だが、私は、友人に事情を話すことを躊躇った。
今、私の後ろにいるこの存在は、私以外の人間には見えないのだから。
友人たちが手際よく部屋の片づけを手伝ってくれたおかげで、あっという間に引っ越しの準備が完了した。
私は、恋人との思い出の品を一つ残らず、すべてをゴミにだした。
これで、後日、まとめた荷物を移転先に送り、大家さんにこの部屋を引き渡すだけとなった。
「なんで、出ていくの? ここが、嫌いなの?」
恋人が語り掛けてくる。
それでも、私はその恋人を無視し続ける。
「なんで、返事をしてくれないの?」
私は無視をしたまま、友人たちと共にこの呪われた部屋を後にした。
電車でも、バスでも、繁華街でも、どこにでも異形と化した恋人がいる。
恐ろしい形相で私を見つめている。
朽ち果てところどころ崩れ落ちたその顔には、薄っすらと悲しみの念が込められていると思えることもあれば、私の恐怖を喜んでいるようにすら見えることもある。
道すがら、恋人の亡骸が転がっていることもあり、そのたびに私は恐怖する。
何かがおかしい、私から見えるすべてのものが血で染まり、そこら中に何かの肉片が散らばっている。
これは、私への罰、なのだろうか?
ふと、恋人の最期を思い浮かべる。
あの時、私が手を伸ばせば、恋人の手を掴めたはずだ。
そうすれば、恋人はまだ生きていたのだ。
そう、手を伸ばせば――
その時、私の手には、ちぎれて血の滴り落ちる恋人の腕が握られていた。
「なんで、なんで自分だけ助かっているの? どうして、どうして見捨てたの? なぜ、なぜこんなにも苦しい思いをしなければいけないの? 教えてよ、教えてよ、教えてよ!」
その手から、恨めしそうな恋人の声が聞こえてくる。
私は急いでその手を振り払った。
そこには何もない。
手には、恋人の腕の感覚がしっかりと残っている。
心霊現象というものは、得てしてこういうものなのかもしれないのだと。
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