第34話 彼らとの距離

「いらっしゃい」


 双子に笑顔で迎えられた私は、その輝いた空間に目をしょぼしょぼさせた。


 もう3度目の榎本家の訪問。少しだけ余裕を持ち始めたものの、インターホンを鳴らすのでさえ躊躇してしまう。もう慣れてきてもいいはずだが、この空間に慣れてはいけないような、気軽に足を踏み入れてはいけない領域にも思えていた。

 遠目に見えた庭の様子も春に来た時から変わっているようで、よく手入れがされている庭なのだろう。少し見てみたかったが、今日は勉強をするために来たのだと自分を言い聞かせ、前を歩く執事(仮)の大森さんの後をついていった。


 廊下の角を何度か曲がったところで大森さんが部屋の扉を開けると、栞さんと榎本くんが待ち構えていた。


 うっ、今日も大変麗しいですね栞さん……

 榎本くんも元気そうで何より……


 久しぶりに会えた栞さんはいつにもまして輝きを放っていて、やさぐれた心に染み渡る。ちょろい私は気分が急上昇しております。

 やっぱり栞さんは私にとっての推し……という考えはもうやめたんだった。今は友人なの一瞬忘れてた。


「おじゃまします。……ねぇ栞さん、お菓子持ってきたけど、本当にいいの?」

「もちろん。紗綾さんが好きなものを食べてみたかったの」

「うぅ……」


 事の発端は数日前。栞さんから手土産は持ってこなくていいと言われ、さすがにそれは無理だと断った。いつもケーキとかを用意してくれているのに何も持っていかないのは罪悪感で楽しめないです私。

 その代わりに私が普段食べているお菓子が食べたいと言われてしぶしぶ持ってきたが、やっぱりやめておいた方が良かったかもしれない。


 私が持ってきたのはスーパーで買える箱に入ったクッキーだ。それに個包装ではなく全部一緒の袋。このクッキー大好きでお気に入りなんだけど場違い感が否めない。

 せめて個包装のちょっといいやつにすれば良かった? 

 でも始めに思い付いたのがこれだったんだよ。この1箱を数日に分けてちまちま食べるのが好きなのよ。数枚でも満足感すごいのよ。

 でもこれじゃなかったかなやっぱりー!!


「何の話?」

「紗綾さんが好きなお菓子を持ってきてもらったの」

「ほんと? 僕も食べてみたいな」


 逃げ場がなくなったー!!

 榎本くんも食べるの? この豪邸に住むふたりに食べさせていいの?

 はっ! これはあの優しげなおじさま、執事(仮)の大森さんもお怒りになるのでは? 「お嬢様に何てものを食べさせるんだ!」って!


 そんなことが頭を過ったその時、ノックの音が聞こえて嫌な予感がした。入ってきたのは案の定大森さんで冷や汗が出てくる。噂をしたら来るって本当なのね……迷信だと思ってたの謝るから誰か助けておくれ。


「紗綾さん?」


 いつまでもお菓子を出す様子のない私を不思議に思ったのか、栞さんが声をかけてきた。榎本くんも栞さんと同じように首をかしげてこちらを見ている。

 その視線に耐えかねて栞さんと榎本くんにクッキーの箱を差し出せば、栞さんが受け取ったのが目に入った。


「これが紗綾さんの好きなお菓子? 美味しそうね」

「クッキーだね。お皿がいるかな」

「ご用意しましょうか?」


 物珍しそうに箱を見つめるふたりに、大森さんが問いかける。


「今は大丈夫。またお願いするわ」

「かしこまりました」


栞さんと、一礼して出ていく大森さんのやり取りをただ見ていることしかできなかった。


 ……あれ? 何も言われなかったな。てっきり怒ることはなくても、大森さんには止められるかと思っていたのに。


「どうしたの? ぼーっとして」

「いや、持ってきたけど食べると思わなくて」

「何で?」


 榎本くんがきょとんとした顔で聞いてくる。


「だって、普段ふたりが食べているようなものじゃないだろうし……」

「それがどうしたの? 僕達、小松さんの好きなものが知れて嬉しいのに」


 そんなこと知って嬉しいの? そう口に出しそうになった。


「私達、別にお店のお菓子しか食べない訳じゃないわよ? 普段はお手伝いさんが作ってくれたものを食べているし」

「栞なんかバレンタインの練習で失敗したブラウニーを顔しかめながら食べてたよ」

「……そんな顔してなかったわよ」

「してたけどなー」


 確かに、バレンタインの時に手作りのブラウニーをもらった。少し形が崩れていたけれど、とっても美味しくて嬉しいのに複雑な気分だった。このまま一緒にいていいのか、わからなくて。


 でもそうか、栞さんも失敗したものとか食べるんだ。普段食べるものはきっと比べるまでもなく違うものだし、やっぱりスーパーで買ってきたお菓子を食べるのは違和感があるけど、私が買ってきたものを突き返すような人ではなかったし、私が好きなものを食べたいと言ってくれるような人だ。


 住む世界が違う人だと勝手に思っていて、それは今もそうだと思っているけれど、歩み寄ってくれる栞さんを私が勝手に遠ざけているのかもしれない。栞さんも榎本くんも、そうやって距離を取る人ではないというのに。


「いけない、紗綾さん座って。ごめんなさいね、立ち話してしまって」


 なんだか自分が情けなく思って無言で促されるまま椅子に座ると、向かいに栞さん、その隣に榎本くんが座った。


「先に勉強する? それともお菓子食べる?」


 そう言う榎本くんの視線はテーブルに置かれたクッキーの箱にあって、きっと榎本くんの答えは後者だったのだろう。


「勉強をしてからお菓子をいただきましょう」


 そんな榎本くんの視線を無視して勉強を先にすると言った栞さんは強い。私なら勉強は後にしちゃう。


「わかったよ」

「紗綾さんもいいかしら?」

「うん、いいよ」


 ひとまず、勉強をしよう。


 栞さんと榎本くんが私を好意的に思っていてくれるとしても、その周りの人がどう思っているかはわからない。こうして仲良くしていること自体、よく思わない人だっているだろう。

 これからも仲良くしていきたいけど、今すぐにできることは勉強をすること。考えるのは帰ってからもできるはずだ。それに少し時間を置いて考えたかった。

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