第7話 推しとお出かけ

 あれから少し体調が悪い。いや、体調と言うより元気が出ないと言うべきか。精神的ストレスから来る不調かもしれない。


 あの運動会の日、前の家族のことを考えた。ただ、お弁当だって、母の手料理だって初めて食べた訳じゃなかった。

 それに記憶を思い出した時に理解したはずだった。いや、理解したようで納得はしていなかったのかもしれない。推しに出会って舞い上がっていたのが少し落ち着いてきたのもあるだろう。


 ここはゲームの世界で、私はその登場人物ではない。ストーリーが始まれば、どうなるのかもわからない。

 そして"私"の家族はどこにもいない。

 それを自覚した。あの日はきっと、ただのきっかけだ。


 それを理解しても、本当の意味で受けとめることができずにいる。

 受けとめなくてはと思ってはいるが、受けとめるのを心のどこかで拒んでしまっているような……とにかく自分の中で感情がぐちゃぐちゃになっている。


 勉強だって、現時点はすでに習ったことのある範囲ではあるが、集中できていない。いつもなら楽しいはずの趣味だってやる気にならない。習い事も先生に集中できていないことを見透かされて叱られてしまった。


「はぁ……」


 ため息もふとした時に出てしまうし、どうしてこうも振り回されているのだろう。


「紗綾さん」

「あ、栞さん。どうしたの?」

「夏休み前にまたテストがあるじゃない? その前にどこかへ遊びに行かない?」

「遊びに?」


 なかなかに唐突だね?


「夏休みにも課題が出されるし、旅行に行くかもしれないでしょ? 時間のあるテスト週間前に行きたくて……難しいかしら……」


 うっ……そんな悲しそうな、残念そうな顔されたら胸が痛む……なんだかその顔に見覚えがあるし、デジャヴな気がしないでもないが、推しの誘いは断りたくない。


「うん、行こっか」

「本当? 嬉しいわ。紗綾さんはどこか行きたいところはある?」

「うーん……」


 行きたいところ……ひとりでならあるけど、推しとふたりとなると、場所が絞られるな……


「そう言えば、紗綾さんが気になるって言ってた映画、もうすぐ公開するんじゃないかしら?」

「あ、そうだね」

「私もあれから気になっていたの。良かったら一緒に観に行かない?」


 なんと……!

 私が以前話した内容を覚えていてくれていて、さらに映画に誘ってくれるなんて……嬉しい!


「行く……!」

「決まりね。楽しみだわ。」


 ふふ、と嬉しそうに微笑む推しが可愛い……推しからマイナスイオン出てない? 癒しでしかないんだけど……


 それから日程を決めて、数日後。ついに明日!推しと映画を観に行きます!


 ───


 楽しみすぎて眠れない……なんてこともなく、おやすみ1分ぐらいで就寝。良く寝たおかげで朝もすっきり起きた。


 今日は大人っぽい推しの雰囲気に合わせて、少し年上に見られるようにシンプルめなコーディネート。映画館は冷房が良く効いていることが多いため、薄手の上着を着ていこう。


 小さすぎることも大きすぎることもないサイズのバッグを持って、いざ出発!

 小さすぎると全然持っていけないし、大きすぎると動きづらいからね。身軽でいたいのさ。


「お母さん、行ってきます!」

「行ってらっしゃい。気をつけてね」


 待ち合わせは駅の改札前。複合施設の中にある映画館で観ようと思っている。早めに集合して、映画を観る前にいろいろ見てまわるつもり。


 それにしても映画って、ちょっとデートっぽくない? え、もしかしてこれってデートなの? いや、「恋慕う相手」ではないから違ったわ。お慕いしておりますけど恋じゃないからね。

 ……でもデートって心ときめく言葉よね。推しはどんなデートするのかな。


「紗綾さん、おはよう」

「わ!……おはよう、栞さん」


 推しのデートの想像してたら本人来てた。ごめんなさい、勝手に想像してました。いつかデートしたらお話聞かせてほしい。それだけで満足なんで。


「待たせちゃったかしら」

「いや!さっき着いたばっかりだから大丈夫!」

「そう?じゃあ行きましょうか」

「うん」


 待ち合わせの定番のような会話をしてから、目的地へと歩を進める。今回観る映画や、雑談をしていればあっという間に施設に辿り着いた。


「まずチケット買いに行かないとね」

「ええ。映画館は……4階ね」

「エレベーターで行く?」

「そこにエスカレーターがあるから、そっちで行きましょ」


 推しって階段とか使わなそうだな。個人的には、近くに階段があったら階段使うタイプ。ちょっとした運動にいいかなって。


「栞さんはあまり階段使わない?」

「そうね、こういう場所で積極的に使うことはないわね。歩くことは嫌いではないのだけれど、階段は学校や家で使うくらいかしら」

「そうだよね、学校でたくさん階段の登り降りしてるからね」

「学校で生活しているだけでも、運動になっているような気がしているわ」


 そんなたわいない会話も、推しとしていると思うと不思議なものだ。

 それからチケットを購入し、お店を見てまわっていると会場時間が迫っていたため、入場した。


「何か買わなくてよかったの?」

「うん、栞さんこそよかったの?」

「私は映画に集中したいからなくて大丈夫よ」

「私も映画観てると食べたり飲んだりするの忘れちゃうからなくていいや」


 隣に座って推しを盗み見る。

 推しに出会えて幸せだ。たわいない話だって、推しとだったら楽しいし幸せを感じる。それは変わらないだろう。ただ、私にはもっと大切なものがあったのだ。

 世界は残酷だ。この手で抱えきれないほどあった大切なものも、突然手から零れ落ちてしまう。なんとなくだけど、もうあの日々には戻ることができないのだと思う。

 過ぎ去った大切な日々に別れを告げることはまだ難しい。それでも、少しずつ、私はここでの日々を受け入れていくのだろうか。


 照明が消えた。本編が始まったため、考えることをやめて映画に集中することにした。


「紗綾さん、今日はありがとう。楽しかったわ」

「こちらこそ!すごく楽しかったよ」


 物思いにふけった時間もあったけど、気になっていた映画も観ることができて、何より推しとお出かけできたことが嬉しかった。


「楽しめたみたいで良かったわ。……出かけると気分転換になって良いわね……」

「……そうだね」

「また、どこかへ出かけましょうね」

「……うん」


 なんだか見透かされているようだった。直接何か言われた訳じゃないけど、なんとなくわかるよ。たぶん私が物思いにふけっていたのを見て、気にかけてくれたんだろうな。


 ありがとう、栞さん。

 すぐには切り替えれないけど、少し経てばまた元気になるから。


「じゃあ、またね」

「また学校でね」


 きっと大丈夫。

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