第2話 推し
榎本栞。それが私の推しの名前。
『空っぽの
私立
感情のない主人公が、ある日心の中の瓶を手に入れる。人と関わることで空っぽの瓶を埋めながら、感情を得ていく、というのが簡単なあらすじ。
糖度は低めで、青春ものに近いかもしれない。
ストーリーを進める中で、主人公に登場する攻略キャラクター達の情報をくれるのが、私の推しなのである。
神出鬼没でミステリアスな美人さん。そう思っていたのが、ストーリーを進めていくほど、彼女に惹かれていった。
ゲーム内での情報は、見た目と主人公と同学年であること、彼女自身については、はぐらかして教えてくれなかった。少ない情報しかなくとも、私は彼女に魅せられていた。
そんな彼女に、出会ってしまったのだ。
───
時は今朝に巻き戻る。
新入生である私達は入学式を終え、教室で担任の先生が来るのを待っていた。
入学式は何の変哲もなく、世界は変わっても校長先生の話が長いのは恒例なようで、お話を右から左へ受け流してまったのは許してほしい。
教室では子ども達が思い思いに過ごしている。早い子達はすでに仲良しグループをつくっているし、我関せずと言わんばかりに自分の世界に入っている子もいる。
小学校からの友人はクラスが分かれていないため、どうしようかと考えていると、斜め前の席の女の子と目が合った。
「はじめまして、私は榎本栞。よろしくね。」
時が止まったかのようだった。
「小松紗綾。よろしく。」
なんとか口を動かしたが、見事に片言で返してしまった。素っ気なさすぎる……!
でも待ってほしい。推しが突然目の前に現れて正常な判断ができる人はいるのか。いや、いない訳でもないが、私は無理だった。
え……? 推し……? やっぱりこれは夢だったのか?
誰も答えてくれない疑問が生まれたが、とにかく微笑んでいる推しが美しいので、目に焼き付けておこう。
うむ、推しが生きていて(?)尊い。
推しをじっと見つめていると、担任の先生が入ってきた。このまま見ていたいが、前を向くことにする。
幸運なことに斜め前という視界に入りやすい席に推しがいるため、先生を見ていてもぼんやり見える。それで我慢だ。
いまだに宇宙へと飛んだままの思考が帰ってこない。訳わからん。思考を放棄していいだろうか。お布団に帰りたい。
このまま考えていたら、推しのゲシュタルト崩壊を起こしそうだ。……なんだ推しのゲシュタルト崩壊って。
すでに働いてない頭を使っても、どうにもならないことがわかったところで、先生の話が終わったようだ。やばい。ちゃんと話を聞いているようで、何も聞いてなかった……
混乱した頭で先生の話を聞けるほど、私に余裕などない。ひとり慌てていたが、すでに教室の皆は帰り支度を始めたり、周りの子と話したりしている。
きっと聞いていなくても大丈夫な話なはず……
少し不安を抱えながら周りを見ると、また推しと目が合った。
「どうしたの?不安そうな顔をしているわ」
お、推しに心配されてる……!心配してくれて、ありがたいけども!これはいけない!
「えっと、先生の話を聞いていなくて……」
……は! これだと不真面目なやつだと思われるじゃないか! 何と弁解したらいいのか……
「……そうなの。でも心配いらないわ」
そうして先生の話の内容を教えてくれたので、ほっとした。
それにしても、なんて優しいんだ…… もしかして推しは女神だったのか?
……え?チョロい?……知ってる。推しに対しては往々にして、チョロくなるものなのですよ。
「小松さん。また明日。」
それから推しは手をひらひらと振って、颯爽と帰っていきました。
返事ができていたかは覚えておりません。
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